1 今日から来たデマ
ペストはその恐ろしい症状だけでなく、人間を不安と恐怖のどん底に陥れました。そして、それから逃れるために行われたのがうさ晴らし、逃亡、どんちゃん騒ぎや酒を食らったりして現実逃避をしたり、他の都市に逃亡したり。一部の富裕層は郊外へ逃げ、今でいうステイホームをしたそうです。その中でも作家のボッカチオは『デカメロン』という著作からこのようなことを書いております。
「この疫病がひどい有様になったのは火との接触によって病人から健康な人へと感染していったからです。」「病人を時々訪ねるだけでも感染してしまい」「衣服をはじめ病人が触ったりつかったしたものは何でもひとたび触るとたちまち感染してしまうのです」
そして、黒死病が流行って弱いものがどんどん迫害されるようになります。その標的になったのがユダヤ人。「ユダヤ人が井戸や泉に毒物を入れ、ペストの原因となる瘴気を発生させた」と。まったくの濡れ衣ですが、当時のヨーロッパ人はペストはユダヤ人の陰謀だと信じていたのです。1348年3月スペインのバルセロナでペストが大流行すると、ユダヤ人が疑われ、大勢殺されたといいます。
そうやってスペインからスイスやフランスへと広まっていくとさらにユダヤ人に対するまなざしは厳しくなります。ひどかったのが1349年2月、フランス北東部のストラスブールで起きた悲劇です。この街ではまだペストがひろまっていないに被害を未然に防ごうと約900人のユダヤ人が共同墓地に掘った大穴で焼き殺されたといいます。
その後もユダヤ人迫害はヨーロッパ中で広がり、一万人以上が犠牲になったといいます。ユダヤ人大量殺害というとヒトラーを連想しますが、すでにこの時代から始まっていたのですね・・・・また、ユダヤ人だけでなくロマやハンセン病の人までも迫害を受けたといいます。
恐怖の原因を自分たちと異なるものに原因を求めて、恐怖のはけ口にしていたのですね。デマを信じて、これほどの被害が起こるというのは現代でもないとは言えないのです。
情報が発達した現代においてもありえるのです。実際SNSでもデマの書き込みが随分ありましたし、自粛警察と呼ばれる人たちが、非常事態宣言のさなか営業中のお店に張り紙を貼ったり、嫌がらせ電話をしたとか。大量の情報があふれるからこそかって混乱が生じるという事があるのです。それを「インフォデミック」というそうです。
2 ペスト最悪のパンデミック 小さな村の悲劇
また、17世紀半ば、イギリスのイーム村という小さな村でも悲劇が起こりました。その村の牧師が村人たちに恐るべき提案をしました。「病をほかの村に移して入らない。村を封鎖すべきだ」と。周囲の村々への感染を防ぐために村ごとロックダウンしようというもの。キリスト教徒としての義務感、また、たとえ自らが犠牲になっても感染拡大を防ぐべきだという意識からきていたのかと。
村人の中には、牧師の意見に反対する声もありましたが、その牧師は粘り強く説得し、同意をとりつけました。こうして村はロックダウンをするのです。ところが、イーム村でペストの患者が続出。村には医者がいません。ほかの村から医者をよぼうにもロックダウンをしている手前、医者を呼ぶこともできない。
ロックダウンのおかげでイーム村周囲の村にペストは広がりませんでした。しかし、イーム村では一年で4割近い人が命を落としたのです。イーム村の人たちは身をもってペストの広がりを防ぎましたが、自らが犠牲になるとは、やるせない話です・・・
3 ペストの社会的影響
コロナがはやり日本でもテレワークが注目されたり、働き方やそれまでの価値観が変わろうとしております。同じようにペストの影響で社会も大きく変わりました。中世ヨーロッパはカトリック教会の権威が絶大でした。ペストも神が人間に与えた罰だと信じられていたので、だからこそ振興にすがるしかなかったのです。しかし、いくら信仰しても、状況は良くならない。疫病の前に教会は何もしようとしない。もちろん、信心深い人は、疫病が流行ったということで、より一層信仰を深める一方で、教会のほうはかつてのような絶大的な権威は失われていきます。
これがのちの宗教改革につながるのではないかと。つまり、カトリック教会の威信や権威は落ちたものの、神との親密で個人的な関係はむしろ深まったと。宗教改革でプロテスタントという宗派が誕生したのも、そういった背景があるのかもしれません。プロテスタントは教会そのものよりも、あくまで神との個人的な関係を重視するみたいですし。
また、教会の聖職者たちがおこなったペスト対策が何も役に立たなかったことから、ローマ教皇は、感染の原因を発見する目的で死体を解剖する許可を与えたそうです。それがベルギーのアンドレアス・ベサリウスの解剖書『人体の組み立てについて』(1543)につながり、近代医学の夜明けとなっていったとか。
20世紀になり、ペストは直せるようになりましたが、2017年にマダガスカル島でペストが大流行するなど、まだまだペストが猛威を振るう可能性がゼロではないのです。
※ 参考文献
ペストはその恐ろしい症状だけでなく、人間を不安と恐怖のどん底に陥れました。そして、それから逃れるために行われたのがうさ晴らし、逃亡、どんちゃん騒ぎや酒を食らったりして現実逃避をしたり、他の都市に逃亡したり。一部の富裕層は郊外へ逃げ、今でいうステイホームをしたそうです。その中でも作家のボッカチオは『デカメロン』という著作からこのようなことを書いております。
「この疫病がひどい有様になったのは火との接触によって病人から健康な人へと感染していったからです。」「病人を時々訪ねるだけでも感染してしまい」「衣服をはじめ病人が触ったりつかったしたものは何でもひとたび触るとたちまち感染してしまうのです」
そして、黒死病が流行って弱いものがどんどん迫害されるようになります。その標的になったのがユダヤ人。「ユダヤ人が井戸や泉に毒物を入れ、ペストの原因となる瘴気を発生させた」と。まったくの濡れ衣ですが、当時のヨーロッパ人はペストはユダヤ人の陰謀だと信じていたのです。1348年3月スペインのバルセロナでペストが大流行すると、ユダヤ人が疑われ、大勢殺されたといいます。
そうやってスペインからスイスやフランスへと広まっていくとさらにユダヤ人に対するまなざしは厳しくなります。ひどかったのが1349年2月、フランス北東部のストラスブールで起きた悲劇です。この街ではまだペストがひろまっていないに被害を未然に防ごうと約900人のユダヤ人が共同墓地に掘った大穴で焼き殺されたといいます。
その後もユダヤ人迫害はヨーロッパ中で広がり、一万人以上が犠牲になったといいます。ユダヤ人大量殺害というとヒトラーを連想しますが、すでにこの時代から始まっていたのですね・・・・また、ユダヤ人だけでなくロマやハンセン病の人までも迫害を受けたといいます。
恐怖の原因を自分たちと異なるものに原因を求めて、恐怖のはけ口にしていたのですね。デマを信じて、これほどの被害が起こるというのは現代でもないとは言えないのです。
情報が発達した現代においてもありえるのです。実際SNSでもデマの書き込みが随分ありましたし、自粛警察と呼ばれる人たちが、非常事態宣言のさなか営業中のお店に張り紙を貼ったり、嫌がらせ電話をしたとか。大量の情報があふれるからこそかって混乱が生じるという事があるのです。それを「インフォデミック」というそうです。
2 ペスト最悪のパンデミック 小さな村の悲劇
また、17世紀半ば、イギリスのイーム村という小さな村でも悲劇が起こりました。その村の牧師が村人たちに恐るべき提案をしました。「病をほかの村に移して入らない。村を封鎖すべきだ」と。周囲の村々への感染を防ぐために村ごとロックダウンしようというもの。キリスト教徒としての義務感、また、たとえ自らが犠牲になっても感染拡大を防ぐべきだという意識からきていたのかと。
村人の中には、牧師の意見に反対する声もありましたが、その牧師は粘り強く説得し、同意をとりつけました。こうして村はロックダウンをするのです。ところが、イーム村でペストの患者が続出。村には医者がいません。ほかの村から医者をよぼうにもロックダウンをしている手前、医者を呼ぶこともできない。
ロックダウンのおかげでイーム村周囲の村にペストは広がりませんでした。しかし、イーム村では一年で4割近い人が命を落としたのです。イーム村の人たちは身をもってペストの広がりを防ぎましたが、自らが犠牲になるとは、やるせない話です・・・
3 ペストの社会的影響
コロナがはやり日本でもテレワークが注目されたり、働き方やそれまでの価値観が変わろうとしております。同じようにペストの影響で社会も大きく変わりました。中世ヨーロッパはカトリック教会の権威が絶大でした。ペストも神が人間に与えた罰だと信じられていたので、だからこそ振興にすがるしかなかったのです。しかし、いくら信仰しても、状況は良くならない。疫病の前に教会は何もしようとしない。もちろん、信心深い人は、疫病が流行ったということで、より一層信仰を深める一方で、教会のほうはかつてのような絶大的な権威は失われていきます。
これがのちの宗教改革につながるのではないかと。つまり、カトリック教会の威信や権威は落ちたものの、神との親密で個人的な関係はむしろ深まったと。宗教改革でプロテスタントという宗派が誕生したのも、そういった背景があるのかもしれません。プロテスタントは教会そのものよりも、あくまで神との個人的な関係を重視するみたいですし。
また、教会の聖職者たちがおこなったペスト対策が何も役に立たなかったことから、ローマ教皇は、感染の原因を発見する目的で死体を解剖する許可を与えたそうです。それがベルギーのアンドレアス・ベサリウスの解剖書『人体の組み立てについて』(1543)につながり、近代医学の夜明けとなっていったとか。
20世紀になり、ペストは直せるようになりましたが、2017年にマダガスカル島でペストが大流行するなど、まだまだペストが猛威を振るう可能性がゼロではないのです。
※ 参考文献
疫病について その1 黒死病 前編
本題に入る前にクイズを。の絵をごらんください。この衣装は何の衣装でしょうか?
- 中世ヨーロッパの医療従事者の衣装
- ハロウィンのコスプレ
- 宇宙人の衣装
- 鳥人間の衣装
正解は一番です。これは中世のヨーロッパでペストが流行ったときに当時の医療従事者というか医者がこのような衣装をしていたのですね。最近、テレビで医療従事者という言葉ばかり聞いていたので、つい医療従事者って言葉が出てきます。三番はあり得ませんねw中世はまだ宇宙人の存在は知られていないはずw
当時の医者が鳥のようなマスクをつけていたのです。それはマスクのくちばしのところに汚染された空気を浄化するための薬が入っていたのですね。そのマスクの眼の部分にはガラスがはられております。これは悪い空気をふせぐため。当時のヨーロッパでは感染症は悪い空気が引き起こすと考えられていたのです。
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