history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:横田英

1 お花見

「三月末ごろでありました。製糸場一同は一ノ宮へお花見に参りました。役人方・取締とりしまり一同・まかない方、なかなか盛んなことでありました。尾高おだか様をはじめ、その他お出になりました。その前日、北海道から工女が両名入場いたしました。その人も参りまして・・・。(略)その日は三味線もありまして、工女の内でひきます人も中には本手に踊ります人もありまして、 実に面白いことでありました。工女も皆十二三より二十五六歳位までの者が揃って、ふだん日な たに出ず毎日湯気に蒸されて居ますから、かみつや顔の色実に美しいことで、とても市中の婦人と 場内の人では一つになりませぬ。」


『富岡日記』P57より




春といえば、お花見。お花見ちえば、桜。桜といえばケツメイシの「さくら」をボクは連想しますがw、富岡の工女さん達にとってもお花見は楽しみの一つでした。

ちなみに尾高様とは、尾高惇高おだかあつただのことで、富岡製糸場の責任者であり、初代工場長だった人物。
また、富岡の工女さんたちは工場の人たちとともに富岡市にある一之宮貫前神社にも参拝するなど、仕事だけでなくレクリエーションも結構盛んだったのです。 



2 夕涼み

夏は夕涼み。特に富岡製糸場の中はカイコを煮た熱気がむんむんしていて非常に蒸し暑いのです。ましてや昔は冷房れいぼうがなかった時代。中には仕事中に具合が悪くなる人も出てきます。それで、工女さん達は工場の庭で夕涼ゆうすずみをしていました。

 

「だんだん暑気しょきが強くなりますにしたがいまして、病人たくさん出てまいりました。洋医よういの申しますには大勢部屋に閉じこめておくから病気になるのだ。夕方から夜8時半まで、広庭ひろにわにだして運動させるようにと申しましたとのことで、毎夕広庭に出まして遊ぶことになりました。役人・取締りが付きいまして九時ごろまで遊びます。」


『富岡日記』‘p43からP44




3 賄方のお芝居


 


たしか十二月頃かと思いますが、ある日事業済み後部屋長から、今夜おまかないにお芝居があるから 参って見るようにと申されました。大喜びで皆参りました。何個もあります大釜の上に舞台が出 来まして、花道は本式にかかって、賄方の番頭共が皆役者になりまして、かつらをかむり、衣裳 なども皆本物で致します。何と申す芝居か名は忘れましたが、白玉と申すおいらんが恋人と道行 の所で、色々台詞を申して居りますと、花道から製糸場と印のある弓張提灯を持って副取締の相 川と申す方と中山様と申す役人がつかつかと出て参られました。
『富岡日記』p53より





いきなり白玉になって居ります者の領髪えりがみ(※1)取って投げ付け、恋人も 突き飛ばし、蹴倒し、大声でののしっておいでになりましたが、未だ気が付きませぬ。その内に芝居 方は申すまでもなく女の取締の方々から部屋長の人々まで総立ちになりまして逃げ出しました。
『富岡日記』P53〜54より



そしていよいよ年も暮れ。年の暮れになるとクリスマスやら正月やらイベントが盛りだくさんですが、昔はクリスマスなんてありません。その代わり、頑張った工女さんを楽しませようと、工場側がイベントを行いました。賄方まかないかたが役者になって芝居をしたこともあったそうです。それがなんと、役者をしていた賄方同士が芝居の最中にいきなり取っ組み合いのけんかをしてしまったのですね。あとで、ケンカをした賄方たちは上司から大目玉を食らったのは言うまでもありません。のちに横田英は「今思えば笑い話」と言っています。普段は大変な仕事をしていた工女さんたちにとって、こうした賄方の男性のお芝居は、心が休まるひとときだと思います。








4 年末


「もはや一月も間近く成りましたころ、部屋に年中土焼どやき火鉢ひばちがありまして三度三度にまかない方の女中が火を配ります。炭は大箱に出して、はしご段のところに置いてありますから、めいめい持って参りまして(火を)おこしますが、おそくなるとありません。夜具(寝具しんぐ)は一人につき、四布蒲団よのぶとんが二枚わたされておりますが中々寒くあります。」
『富岡日記』p51より




そして、事業も十二月二十八日に終いになりまして、いよいよ三十一日になりますと、今夕はお年取だ 賄では何を出すだろうと申して居ました。いよいよ夕食に参って見ますと、虫のさしたあじの 干物に冷飯と漬物、一同驚きまして、ろくろく御飯も頂きませず、部屋に帰り、皆ぶつぶつ申し て居りました。しかしおかちんだけは渡りました。一升ます位な四角さの薄き物二枚ずつ、今から 考えますと中々大したことであります。(正月の)三ガ日は羽根をつきまたまりをつき、市中へ散歩に参り遊 びまして、たしか四日から事業を致しました。しかし業は進みますだけ楽で面白くなりますから、 少しも退屈致しません。
『富岡日記』p54



年の暮れになると、だんだん寒くなるからつらくなってきます。特に富岡の町は山に囲まれていて寒いところです。ボクも3年くらい前の12月ごろに富岡に訪れたのですが、東京の朝よりもずっと冷えこんでいました。

富岡製糸場の仕事納めは12月28日です。一年間、頑張ったから、ふだんはそまつな食事でも、一年の最後の食事くらいは豪華だろうと思っていたが、普段の食事とあまり変わらずがっかりしたようですね。ただ、おかちんはもらえたようです。おかちんとは、岡村隆史さんのことではありませんw.お餅のこと。正月は3が日が休みで、4日から仕事始めだったようです。






※1首の後ろの部分の髪。







※ 参考文献 





富岡日記 (ちくま文庫)
和田 英
筑摩書房
2014-06-10




※ 参考文献
富岡日記 (ちくま文庫)
和田 英
筑摩書房
2014-06-10

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写真の女性は横田英。横田英は富岡製糸場の工女さんで、富岡で働いてから故郷の松代に帰り、後進こうしん(※1)の指導に当たった人物です。そして横田英は、「富岡日記」を書きました。横田はのちに結婚して和田さんとなります。今日は横田英が残した日記をもとに工女さんたちが一等工女になるためにどんな修業をしたのかを2回にわたってみていきます。






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