※ この記事は2024年11月28日に加筆修正しました。
(パラオの位置 Wikipediaより)
1 パラオの国旗のモデルは?
パラオ🇵🇼とは太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国です。僕はパラオというと、太平洋の真ん中あたりにあるのかと思っていたのですが、地図でよく見たらフィリピンに近いのですね。
調べによりますと、この国はスペインやドイツの植民地になったり、日本の委任統治(※1)が行われた歴史があるそうです。戦後はアメリカに信託統治(※2)をされ、そして1994年に独立したとのこと。
ちなみに『山月記』の中島敦は日本統治時代、パラオで役人をやっていたそうですね。僕も調べて、とてもびっくりしました。
さて、パラオは親日で、パラオの国旗🇵🇼が日本の日の丸🇯🇵をモデルにしたとネトウヨが言っているようですが、本当なのでしょうか?
調べによりますと、そのような事実はないようです。
ある記者がパラオの大統領に「パラオの国旗のモデルは日の丸ですか」とたずねたところ、大統領は苦笑いをしたそうです。そういう質問をする日本人が多く、大統領も苦笑いをせざるを得ないのでしょう。
また、この国旗の製作者も「私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない。日本は日本、パラオはパラオだ。」といって否定しております。ちなみに、パラオどころかバングラデシュの国旗も日の丸に似ています。
パラオの国旗が制定されたのは1980年で、公募によって選ばれたデザインを採用したようです。国旗にえがかれている青は国民の暮らしを支える海を表しております。
国旗にデザインされている丸は、お日さま☀️ではなく、お月さま🌙だそうです。パラオが外国からの支配を受けることなく主権国家となったことを表しております。
また、月はパラオの人にとって重要なものだそうです。調べによりますと、パラオの人たちは潮の満ち引きや月の満ち欠けをもとに生活をしてきたといいます月の満ち欠けをもとに生活をしてきたといいます。パラオの年中行事にも月の満ち欠けを基準に実施しているようですね。
国旗にデザインされている満月は中心よりもずらしておりますが、これは日本に対する礼儀からだといわれておりますが、実は、円がわずかに旗ざおよりなのは、旗がはためいたときに中央に見えるように配慮したためだといわれております。
2 パラオが親日なのは本当
国旗のモデルが日の丸だっていうのはデマですが、パラオが親日な人が多いのは本当です。パラオの高齢者は日本語ペラペラです。日本の統治時代、パラオの子供たちはパラオの公学校に通い、日本人の教師から、勉強だけでなく礼儀作法なども教わったのですね。『世界ふしぎ発見!』で公学校に通ったことのある女性の元生徒さんが御出演されました。日本の先生は指導法が厳しいという意見もある一方で、その元生徒さんは「自分は、そう思わない、厳しいことがなければ子供は利口にならない」とまで言い切ったのですね。また、元生徒さんは日本統治時代に歌われた『パラオ小唄』という歌を口ずさんでいました。
パラオは激戦地で町も爆弾でメチャクチャに壊され、犠牲者も出たので、元生徒さんは戦争はダメという一方で、日本の統治時代を懐かしむようでした。統治時代というと聞こえは悪いですが、当時の日本はパラオに病院を作ったり、インフラを整えたりしていたのですね。もちろん、パラオの人みんなが日本の統治時代を良しとしているわけではないのですが。
パラオと日本のつながりといえば、クニオ・ナカムラ大統領。パラオ独立に導いた人物です。ナカムラ大統領は日本人の父とパラオ人の母の間で生まれました。ナカムラ氏が大統領だった頃の、大統領官邸の執務室には日本の伝統工芸品や人形が飾られていたといいます。ナカムラ大統領は、「私にとって日本は親愛な国なのです。もし、パラオ以外の国をえらぶとしたら、”日本”です。私の父は純粋な日本人であり、私の身体にも日本人の血が流れています。それは誰にも変えることができません。私はそのように生まれたことを幸せに思っています・・・」
もう一つ、パラオと日本のつながりと言えば、KBブリッジ。これはバベルダオブ島とコロール島を渡す橋で、その幅250メートルの海峡で隔てられているのです。一度、1996年に壊れてしまったようです。暗黒の9月事件と呼ばれるほどの大惨事で、ナカムラ大統領も国家非常事態宣言を出したほど。橋を新たに建設する余裕はパラオにありません。それが日本の援助によって新たな橋を架けることが決定。鹿島建設がこの事業を担い平成14年(2002年)に新たなKBブリッジができたのです。この新KBブリッジは「日本・パラオ友好の橋」とも呼ばれております。この橋とパラオと日本両国の国旗は、2012年1月にパラオ郵便局より発売された建設10周年を祝う記念切手にも描かれたといいます。

(KBブリッジ)
(地図の左下の島がコロール島。右上の島がバベルダオブ島。その間をつないでいる橋がKBブリッジ)
3 日本語からパラオ語になった言葉
おしまいに、パラオにまつわるクイズをだします。
「Bantosang Tsukarenaosu」
これはパラオ語なのですが、日本語がもとになっております。読み方は「バントウサン、ツカレナオス」と読みます。以下の4つからお選びください。
正解は3番です。「ツカレナオス」は「ビールを飲む」、「バントウサン」は「バーテンダーやレジ係、店員」さんのことです。
このように日本語からパラオ語になった言葉がいくつもあるのですね。たとえば、「テッポウ」(鉄砲)、「コイビト」(恋人)、「ドクリツ」(独立)、「レキシ」(歴史)、「サミシイ」(さみしい)、「デンワ」(電話)、「ダイジョウブ」(だいじょうぶ)など。パラオに限らず親日国では、日本語がそのまま現地の言葉になることがよくあることです。やはり親日国のイランで「タナコラ」って言葉があります。古着市場って意味なのですが、これはイランで「おしん」が大ヒットし、おしんの苗字がタノクラといってそこからイラン語になったのです。おしんは服飾店をやっていましたから。
* おまけ
クニオ・ナカムラ大統領は友好のあかしとしてカヌーを寄贈。そのカヌーは三重県立水産高等学校にて実習用の船として活用されております。
※1 第一次大戦後、国際連盟の委任のもとに、戦争で勝った国が負けた国の植民地などに対して行った統治
※2 自立能力の不十分な非自治地域を国際連合の監督のもとに,ある国家が統治すること(国連みずからも統治できる)。
※ 参考文献および参考サイト
ウィキペディア 「パラオの国旗」の項
(パラオの位置 Wikipediaより)
1 パラオの国旗のモデルは?
パラオ🇵🇼とは太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国です。僕はパラオというと、太平洋の真ん中あたりにあるのかと思っていたのですが、地図でよく見たらフィリピンに近いのですね。

調べによりますと、この国はスペインやドイツの植民地になったり、日本の委任統治(※1)が行われた歴史があるそうです。戦後はアメリカに信託統治(※2)をされ、そして1994年に独立したとのこと。
ちなみに『山月記』の中島敦は日本統治時代、パラオで役人をやっていたそうですね。僕も調べて、とてもびっくりしました。
さて、パラオは親日で、パラオの国旗🇵🇼が日本の日の丸🇯🇵をモデルにしたとネトウヨが言っているようですが、本当なのでしょうか?
調べによりますと、そのような事実はないようです。
ある記者がパラオの大統領に「パラオの国旗のモデルは日の丸ですか」とたずねたところ、大統領は苦笑いをしたそうです。そういう質問をする日本人が多く、大統領も苦笑いをせざるを得ないのでしょう。
また、この国旗の製作者も「私はもちろん日の丸を知っているが、特別にそれを意識してデザインしたわけではない。日本は日本、パラオはパラオだ。」といって否定しております。ちなみに、パラオどころかバングラデシュの国旗も日の丸に似ています。
パラオの国旗が制定されたのは1980年で、公募によって選ばれたデザインを採用したようです。国旗にえがかれている青は国民の暮らしを支える海を表しております。
国旗にデザインされている丸は、お日さま☀️ではなく、お月さま🌙だそうです。パラオが外国からの支配を受けることなく主権国家となったことを表しております。
また、月はパラオの人にとって重要なものだそうです。調べによりますと、パラオの人たちは潮の満ち引きや月の満ち欠けをもとに生活をしてきたといいます月の満ち欠けをもとに生活をしてきたといいます。パラオの年中行事にも月の満ち欠けを基準に実施しているようですね。
国旗にデザインされている満月は中心よりもずらしておりますが、これは日本に対する礼儀からだといわれておりますが、実は、円がわずかに旗ざおよりなのは、旗がはためいたときに中央に見えるように配慮したためだといわれております。
2 パラオが親日なのは本当
国旗のモデルが日の丸だっていうのはデマですが、パラオが親日な人が多いのは本当です。パラオの高齢者は日本語ペラペラです。日本の統治時代、パラオの子供たちはパラオの公学校に通い、日本人の教師から、勉強だけでなく礼儀作法なども教わったのですね。『世界ふしぎ発見!』で公学校に通ったことのある女性の元生徒さんが御出演されました。日本の先生は指導法が厳しいという意見もある一方で、その元生徒さんは「自分は、そう思わない、厳しいことがなければ子供は利口にならない」とまで言い切ったのですね。また、元生徒さんは日本統治時代に歌われた『パラオ小唄』という歌を口ずさんでいました。
♪ 海で暮らすなら パラオ島におじゃれ 北はマリアナ 南はポナベ 浜の夜風にやしの葉ゆれて
若いダイバーの舟唄もれる ♪
パラオは激戦地で町も爆弾でメチャクチャに壊され、犠牲者も出たので、元生徒さんは戦争はダメという一方で、日本の統治時代を懐かしむようでした。統治時代というと聞こえは悪いですが、当時の日本はパラオに病院を作ったり、インフラを整えたりしていたのですね。もちろん、パラオの人みんなが日本の統治時代を良しとしているわけではないのですが。
パラオと日本のつながりといえば、クニオ・ナカムラ大統領。パラオ独立に導いた人物です。ナカムラ大統領は日本人の父とパラオ人の母の間で生まれました。ナカムラ氏が大統領だった頃の、大統領官邸の執務室には日本の伝統工芸品や人形が飾られていたといいます。ナカムラ大統領は、「私にとって日本は親愛な国なのです。もし、パラオ以外の国をえらぶとしたら、”日本”です。私の父は純粋な日本人であり、私の身体にも日本人の血が流れています。それは誰にも変えることができません。私はそのように生まれたことを幸せに思っています・・・」
もう一つ、パラオと日本のつながりと言えば、KBブリッジ。これはバベルダオブ島とコロール島を渡す橋で、その幅250メートルの海峡で隔てられているのです。一度、1996年に壊れてしまったようです。暗黒の9月事件と呼ばれるほどの大惨事で、ナカムラ大統領も国家非常事態宣言を出したほど。橋を新たに建設する余裕はパラオにありません。それが日本の援助によって新たな橋を架けることが決定。鹿島建設がこの事業を担い平成14年(2002年)に新たなKBブリッジができたのです。この新KBブリッジは「日本・パラオ友好の橋」とも呼ばれております。この橋とパラオと日本両国の国旗は、2012年1月にパラオ郵便局より発売された建設10周年を祝う記念切手にも描かれたといいます。

(KBブリッジ)
(地図の左下の島がコロール島。右上の島がバベルダオブ島。その間をつないでいる橋がKBブリッジ)
3 日本語からパラオ語になった言葉
おしまいに、パラオにまつわるクイズをだします。
「Bantosang Tsukarenaosu」
これはパラオ語なのですが、日本語がもとになっております。読み方は「バントウサン、ツカレナオス」と読みます。以下の4つからお選びください。
- 番頭が疲れている
- 番頭さん、お風呂に入ろう
- マスター、ビールを飲みたい
- 板東さん、つかえ治す
正解は3番です。「ツカレナオス」は「ビールを飲む」、「バントウサン」は「バーテンダーやレジ係、店員」さんのことです。
このように日本語からパラオ語になった言葉がいくつもあるのですね。たとえば、「テッポウ」(鉄砲)、「コイビト」(恋人)、「ドクリツ」(独立)、「レキシ」(歴史)、「サミシイ」(さみしい)、「デンワ」(電話)、「ダイジョウブ」(だいじょうぶ)など。パラオに限らず親日国では、日本語がそのまま現地の言葉になることがよくあることです。やはり親日国のイランで「タナコラ」って言葉があります。古着市場って意味なのですが、これはイランで「おしん」が大ヒットし、おしんの苗字がタノクラといってそこからイラン語になったのです。おしんは服飾店をやっていましたから。
* おまけ
クニオ・ナカムラ大統領は友好のあかしとしてカヌーを寄贈。そのカヌーは三重県立水産高等学校にて実習用の船として活用されております。
※1 第一次大戦後、国際連盟の委任のもとに、戦争で勝った国が負けた国の植民地などに対して行った統治
※2 自立能力の不十分な非自治地域を国際連合の監督のもとに,ある国家が統治すること(国連みずからも統治できる)。
※ 参考文献および参考サイト
ウィキペディア 「パラオの国旗」の項