history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:インパール

今日の記事は長いです。

今日の記事で言いたいことをざっくり言うと、「旧日本軍は兵たん(※1)を軽視している」、「物資の調達は、現地調達という考えが根強い」「それは人命軽視につながっている」です。


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1 わたしには神様がついている

「わたしには神様がついている」

ずいぶん、ゴーマンちきな言葉ですねwまるでカルト教団の教祖様みたいな言いっぷりですが、さて誰の言葉でしょう?

この言葉を言ったのは第15軍司令官の牟田口廉也むだぐちれんやさまです。

インパール作戦で悪評高き人物です。

牟田口がこの言葉を言ったのは、インパール作戦が発動される直前のことです。


イギリス軍が100機のグライダーとのべ600機のダコタ機(短距離用の輸送機)で9000人の兵員と1100頭の動物を中部ビルマに投下させました。このことをしった第五飛行師団長・田副登たぞえのぼる少尉は、連合軍の飛行機による大量輸送能力を数字をあげて説明し、作戦中止を訴えました。連合軍はすでに、100両編成の貨物列車に相当する兵力を、毎日空から届けることができるという説明に、牟田口は「それは数字の間違いにすぎない、数字に驚かされてどうする。わたしには神様がついていると。

ほかにも牟田口がいった変な発言をもうひとつ取り上げます。

2 普通一般の考え方では初めから成立しない
 補給を心配した師団長が補給担当の参謀に「責任がもてるか」とたずねたら、その参謀(薄井誠三郎少佐)は「とても責任がもてません」とこたえました。これはこれでずいぶん変な話です。師団長は「補給に責任がもてんでは戦はできん」と答えました。当然です。師団長のいうことは正しいです。

しかし、牟田口は「もともと本作戦は普通一般の考え方では初めから成立しない作戦である。かては敵による(占領してそこの食料で食いつなぐこと)ことが本旨である。各兵団はその覚悟で戦闘せねばならない。敵と遭遇すれば銃口を空に向けて3発うて、そうすれば敵はすぐ投降することになっているのだ」と。


このように牟田口は「普通の作戦とはちがう」と強調したが、一か月後にビルマ方面軍(※2)の参謀長から「再考の余地はないのか」と質されました。参謀長は牟田口のやりかたに疑問を投げかけたのです。しかし、牟田口は「心配はご無用です。わたしの経験から申せば、今回ほど準備を周到にやった戦はかってないほどです」と答えました。

3 ビルマ人のうらみを買っただけだった
 牟田口が用意周到と答えた根拠の一つとして、食料補給にめどがついたということでした。それは大量の牛をつれてくることでした。牛の背中に米や弾薬を背負わせ、その牛も最後は食ってしまおうという一石二鳥の補給法を牟田口は考えたのです。

その牛は農家から徴発されました。しかし、牛は歩みがのろいので、日本兵は早々と牛を殺して食べちゃったそうです。しかも大量の牛を整然と連れていくにも技術が必要で、大部分の兵士がそれに慣れていなかったのです。そのうえ牛にあたえる飼料も持って行かなかったので、途中で牛がたくさん倒れてしまったり、川の氾濫で牛が流されてしまったのです。

牟田口による牛連行作戦は、実際には食糧問題解決にはまったく役に立たず、それどころかビルマ人のうらみを買ってしまったのです。なぜなら、あまりに牛を大量に徴発されたので、農作業ができず飢餓におちいった村もあったほど。戦後になってビルマで「牛を殺してはならない」という法律ができたそうですが、それというのも牟田口がこんな法律が必要になるほど牛を減らしてしまったのです。


4 反対意見が多かったインパール作戦

 牟田口の作戦には反対意見も多かったのです。たとえば第15師団の参謀長官である小畑信良は特に強く反対しました。アラカン山系のジャングルを越える作戦実施は不可能と判断したから。小畑は兵たん(※1)に明るい人でした。しかし、牟田口は小畑を「消極的だ」といって参謀長就任一か月にもかかわらず、牟田口は小畑を更迭。

司令官の牟田口は、このような報復人事だけでなく、ひごろから持ち歩いているムチで自分の子分を叩くような男でした。そのため部下もこわがって牟田口に意見さえいうこともできませんでした。

これじゃあ、部下が「上がおかしなことをいってるぜ」と頭ではわかっていても、ただ泣き寝入りをして上司に従わざるをえないでしょう。

昭和天皇は、日本の敗因の一つとして「常識のある首脳者が存在しなかったこと」をあげましたが、牟田口なんかはそんな非常識な首脳者の一人です。どんなに下が優秀でも、上に立つ人間が愚かだと悲劇が起こるのだと改めて思いましたね。

 兵隊たちは牟田口を「ビルマの三バカ」の一人としてあげております。ちなみに残りの二人は河辺 正三中将と辻政信だそうです。さて、インパール作戦終了後、人事異動が行われましたが、河辺はどんどん栄転し、昭和20年3月には陸軍大将にまでのぼりつめました。この昇進にはさすがに軍司令部でも批判があり「負けても大将か」と批判があったほど。牟田口はいちどは予備役に編入されるものの、その後予科士官学校の校長に任命されたというから驚きです。インパール作戦は明らかに失敗だったのに、その失敗が問われずに、出世してしまうなんて。

※1 戦場で後方に位置して、前線の部隊のために、軍需品・食糧・馬などの供給・補充や、後方連絡線の確保などを任務とする機関。その任務。

※2 ビルマ方面軍とはビルマ全体を包括していて、牟田口のいた第15軍もビルマ方面軍の傘下にあった。ビルマ方面軍の参謀長官河辺 正三は牟田口の上司。


※参考文献

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