1 相互監視社会になる
今日は、歴史の話というよりも、もし現在が戦前のような日本に戻ったらどうなるかを検討したいと思います。日〇会議あたりは戦前の価値を良しとして、戦前のように日本を戻すべきだと主張しておりますが、はっきり言って、良くならないと思います。むしろ、それは日本にとって大変マイナスだと思います。
戦前は治安維持法といって、共産主義者のみならず政府を批判するものを弾圧する人間を弾圧する法律が作られました。「おしん」でも、おしんの恋人の浩太が、農民の小作運動をやって、農民を救おうとしたのですが、危険人物として政府からにらまれ、政府のみならず、世間の人からも危険な人間だと思われていたのです。
戦時中になるともっと大変で、戦争は嫌だといっただけで、非国民だと袋叩きにされてしまいますし、最悪の場合、逮捕されてしまいます。
「火垂るの墓」でも、まだ中学生の清太にさえ、西宮のおばさんは、冷たく当たるのです。身内でさえもその調子だから、世間はもっと冷たく厳しい態度をとるでしょう。お国のために働くのは当たり前で、戦争が嫌だなんてとんでもないって価値観だったのです。
もし、治安維持法が今の日本に復活した場合、戦前よりもひどいことになりそうですね。いまはマイナンバーとかありますから、個人情報をを政府ががっちり握ることができるし、民間レベルでも、SNSで、政府を批判したもの、あるいは戦争は嫌だといったものがさらされれてしまう恐れがある。戦前、戦時中はまだ緩い面もあったし、まだ人情が根付いていたから、まだよかったが、今の日本は人情も薄くなりましたし、いろいろ昔より規制とか厳しい時代になりました。正直、怖いですね。それに徴兵制が復活したら怖いですね。昔は徴兵逃れといってうまく逃げた人もいたが、今は情報網も発達し、やはりマイナンバーで個人情報が政府に抑えられております。うまく逃げても、SNSでさらされてしまう恐れもある。はっきり言って、戦時中よりもやばい社会になりますね。
2 社会保障が認められない
「日本の社会保障は海外と比べると恵まれている、日本素晴らしい。」なんて書き込みをネットでしばしば見かけます。だから、海外で働きたい、移住したいなんて人に対して、おせっかいにw水をさす人もいます。確かに今は社会保障は充実しております。しかし、古くは石〇慎〇郎とか、いまの大阪維〇の会のやっていることを見ていると、社会保障はどんどン減らされ、このままいいわ、いいわで社会保障削減を手をこまねいてみていると、そのうち戦前並みになってしまう可能性も否めません。そうなれば、海外の社会保障は貧弱だなんて、笑えなくなるでしょう。
日本の社会保障が厚くなったのは戦後。戦時中は社会保障なんて全くなくて、年金なんてありません。また今の日本は国民皆保険ですが、戦前はそうでもなく、保険料も高くて、所得がある人じゃないと払えなかったのです。おしんの家族なんて保険料払う余裕なんて全くなかったから、具合が悪くなっても医者もなかなか呼べないのです。医者が来てくれたとしても、ろくな治療もしてくれません。
さらに、戦前は生活保護もありませんでした。だから家が貧しくなって、食べ物に困っても国は知らん顔。困った家は、「おしん」みたいに幼い我が子を奉公に出したり、最悪遊郭に売ったりしたのですよ。お金もそうだけれど、口減らしのためですね。口減らしというのは、とてもざんこくな言葉で、子供を奉公とかに出すことで、その分家族の食費を減らせるという寸法なのです。もちろん、奉公先でもろくに食べ物など食わせてもらえず、「おしん」の加賀屋みたいに奉公人に腹いっぱいくわせてやるなんてところは非常にまれでした。幼い子供を働かせるなんて今なら児童福祉法違反ですが、当時はそんな法律もありませんし。
で、生活保護の前身である救護法が定められましたが、救護法が定められたのは1932年(昭和7)でした。だから、明治大正時代はそうしたものは一切なし。しかも救護法が制定されるまで、いろいろ紆余曲折がありまして、議会でも「怠け者を増やすだけ」といって反対意見も結構あって、なかなか審議が進まなかったといいます。その救護法制定に尽力したのが渋沢栄一です。意外ですよね。
それと、昔の金持ちは、芸術の才能がありながら世渡り下手な人のパトロンになってあげるほどの木間の良さもありましたっけ。いくら芸術の才能があっても世渡り下手なら、まともな職業に着けず、まして明治大正の時代だったらホームレス街道まっしぐらでしょう。宮沢賢治だって世渡り下手でしたが、父親の支えがあったから生活できたのです。
かたや今の財界人や金持ちって弱者救済やパトロンどころか、自己責任論をかかげ、弱者に対して説教をしそうな人ばかりですもん。アメリカでさえ生活保護の制度があるのに、もし、戦前のように生活保護がなくなれば、大変ですね。そうなれば水商売や売春さえも生きるために厭わずやる人も出てくるでしょう。
3 女性の人権がなくなる。
いま中居正広やフジテレビの性被害のことが問題になっております。昔はフジテレビは「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズのもと、子供向けの番組や良質な番組作りを心掛けてきたが、80年代に入って「面白くなきゃテレビじゃない」とバラエティー路線に走ってからおかしくなったという意見もありますが、いろいろ調べてみるとフジテレビの創業者である鹿内信隆は、もともと軍の関係者で慰安所を作り、しかも慰安所を作ったことを自慢げに語っております。僕はこれを見るにつけ、フジテレビの体質って結構根が深いと思ったし、「慰安婦なんていなかった」なんて話もきくけれど、ウソだなって思いましたもん。
それに慰安所の事は水木しげるの漫画にも出てきますし。
セクハラ、いじめと同じで、やったほうは覚えていなくても、やられたほうはしっかり覚えているんですよ。「おれはセクハラしてない、性被害なんてとんでもない」って思っていても相手にとってはそれは屈辱だったりするのです。まして戦前は家父長制でしたから、男性の権利が認められ、女性は蚊帳の外。ですから、男の人がセクハラなんてやっても、やりたい放題。抵抗すれば頬を叩いていうことを聞かせればいい。そんな時代でした。もし、今の日本が戦前のような時代に変えたら、セクハラという言葉が消えるでしょう。そして性被害もぐんと増えるでしょう。ネットで日本は性被害が世界でも圧倒的に少ないと威張っていられなくなるでしょう。
暗数調査でも日本は性被害が圧倒的に少ないので
— 涙香 (@mngswrik) February 6, 2025
多くの女性が広く薄くなどという事もありえないね https://t.co/wOzKFvLOMM pic.twitter.com/ZQ0yWeA5AY
4 社会主義が台頭するようになるかも
「人はみな自由だ。家や親に縛られて、私の人生さどこにあるっていうんだ!」
「おしん」にでてくる、お加代さまは加賀屋の跡取りになることに興味もなく、絵描きになるのが夢でした。そして、加代は当時、新しい考え方だった「白樺」や「青鞜」にはまったのです。特に「青鞜」は当時最先端の考え方であったフェミニズムを説いたものでした。なにしろ明治末期の日本では良妻賢母こそが女性に求められており、選挙権はなかったのです。また、治安警察法は女性の政治活動を禁止されていたのですから。でも、人間は本来自由であり、女性は己の実力を思う存分発揮すべきだという考え方でした。当然、お加代さまの心をとらえたと思います。
『青鞜』の名は"Bluestocking"(ブルーストッキング)の和訳で、生田長江がつけたといいます。18世紀にロンドンで、フォーマルなシルクの黒い靴下ではなく、深い青い色の毛糸の長靴下を身につける事が、教養が高く知性を尊重する婦人達のグループ(ブルー・ストッキングス・ソサエティ(英語版))のシンボルとして採用された事から引用されたものです。
ともあれ、良妻賢母であり、家の跡取りになることを強いられる加代にとっては、これらの思想は魅力的であり、さらに加代は社会主義にも傾倒します。
これはドラマだけの話ではありません。実際に明治、大正の価値観、そしてその理不尽さこそが、社会主義にはまる人間を増やした一因であると思います。社会主義のみならず、戦後の民主主義的な価値観もすでに戦前から生まれていたのですよ。しかし、時の政府は、それを危険思想といって批判し、弾圧しまして。もし令和の現代でそんなことをしたら、反発する人も多数いることでしょう。そうなると案外、一時はソ連崩壊で否定されていた共産主義や社会主義が再び日の目を見るかもしれない。