history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: 昭和

1 ドラゴンボール
漫画家の鳥山明がお亡くなりになられて、もう3か月たつのですね。ご冥福をお祈りします。僕はショックでしたね。藤子・F・不二雄の次に好きな漫画家でしたから。代表作は、「ドクタースランプ」と「ドラゴンボール」それからゲームの「ドラゴンクエスト」や「クロノトリガー」のキャラデザもしていました。鳥山明は日本を代表する漫画家であり、特に「ドラゴンボール」の連載は長期にわたり、まさに歴史といってもいいくらいでしょう。「ドラゴンボール」はとても長く連載され、その期間は1984年から1995年まで、まさに昭和から平成にまたがって、およそ10年ほど連載されました。その「ドラゴンボール」を振り返ると以下のような流れになっております。

  • 少年編(冒険活劇)

  • ピッコロ大魔王編

  • サイヤ人編

  • フリーザ編

  • 人造人間・セル編

  • 魔人ブウ編


連載当初は「西遊記」に基づいた冒険ものだったのですが、次第に格闘漫画に変わっていったのですね。僕は冒険ものの時はハラハラドキドキしながら見ていたのですが、マジュニアが出てくる時あたりから、「あれ」っておもいはじめ、それから次から次へと強敵が現れ、だんだん僕も冷めてきたのですね。人造人間が出てきたころにはいい加減にしてくれって思ったほどです。7つ揃えるとどんな願いも叶うというドラゴンボール。その集める過程が面白かったのに、いつのまにか、死んだ仲間を蘇らせるためだけの手段になってしまって。

そしてジャンプ漫画のお約束w、かつての敵が味方になるのも「ドラゴンボール」で繰り返されました、ピッコロにベジータ、それから人造人間18号という具合に。フリーザはさすがに味方になりませんでしたが。

2 実はもっと早く連載を終わらせたかった
実は何かの本で知ったのですが、実は鳥山明は、もっと早く連載を終わらせたかったようです。何度も終わらせようとしたけれど、『ドラゴンボール』の人気が高くて編集側がなかなか終わらせてくれなかったようです。

人造人間編においても、最初はデブと老人の人造人間が出てくるのです。そして老人の人造人間の正体が、ドクターゲロというレッドリボン軍の科学者で、自らを人造人間の体に改造したのです。鳥山明はどうもドクターゲロをラスボスにして、「ドラゴンボール」の連載を終わらせたかったって話をきいたことがあります。

鳥山明はどうも人間の最終形態は老人であり、ラスボスは老人で、見たくれと違って強いってイメージがあるように感じられるのです。主人公の孫悟空の師匠である亀仙人しかり、ピッコロ大魔王だって初めて出てきたのは老人の姿。ちなみに「ドラゴンクエスト6」のラスボスも老人だったなあ。

しかし、編集側がダメだといったのですね。ラスボスはビジュアル的にかっこよくなくてはって注文をつけたのですね。それから、人造人間16号、17号、18号と出てきて、最終的にセルがでてきたのです。これも鳥山の意向とは全く違ったといいます。

でも、鳥山が初めて「ドラゴンボール」を終わらせたいと思ったのは「人造人間編」ではないようです。それは「ドラゴンボール」のコミックス7巻で終わらせるつもりだったと。物語でいうと、まだ少年編で、孫悟空が天下一武道会にはじめて出場し、ジャッキーチュン(正体は亀仙人)に負けてしまい、それからレッドリボン軍と戦うあたり。

たぶん、レッドリボン軍に勝って、それで終わらせたかったのかなって。その後、孫悟空は成長し、おとなになって、結婚して子供までできるのですが、もしかしたら、鳥山は孫悟空をこどもの姿のままで終わらせたかったのかもしれない。それから僕は個人的にヤムチャが好きだったのですが、もしもレッドリボン軍のところで終わっていたら、噛ませ犬役ではなく、割と強いキャラのままで終わっていたと思います。


実は「ドラゴンボール」も当初はそんなに人気がなかったようです。それが天下一武道会で盛り上がり、それから人気になったと聞きます。天下一武道会から冒険活劇から格闘漫画に切り替わり、それから人気上昇。編集側もやめさせてくれません。

ピッコロ大魔王を倒す時点で鳥山は終わらせたいと言ったがだめと言われ、それでピッコロの分身であるマジュニア。マジュニアを倒して終わらそうとしたらダメ。そしてサイヤ人が出てきたところで本当に終わらせようと鳥山は思ったようでした。アニメも「ドラゴンボールZ」という題に変わったのもその表れ。ゼットはアルファベットの最後の文字ですから。

3 好きなものをかけない漫画家という職業
僕は何となく感じるのですが、鳥山明は本来は格闘もの、戦闘ものよりも、「ドクタースランプ」のようなギャグマンガのほうが得意だと思うんですよ。ギャグのセンスもあるし、そして何よりも「ドクタースランプ」を改めて読んでみると、筆者である鳥山は楽しんで描いているなって僕は感じるんですよ。「ドラゴンボール」も基本的に冒険ものだが、ギャグもある、そんな感じにしたかったのだと思う。それが、読者や編集側の意向で、変わってしまったのだと思います。漫画家にあこがれる人結構いるけれど、自分が本当に描きたいもの、好きなものは描きたくても描けないんですね。

編集者からのチャチャ入るし、自分が面白いと思っても売れなくては意味がありませんからね。

話は脱線しますが、「ナニワ金融道」の作者の青木雄二は、本来自分がかきたかったのは金融屋の話ではなかったのですね。彼はマルクス主義者で日本の資本主義の矛盾を描いた漫画を描きたかったようですが、編集者側からノーと言われたようです。青木雄二とて編集者に変に逆らったら、編集者の判断で強制的に連載終了なんてありうるのです。それは鳥山明や青木雄二のみならず漫画家はそんなジレンマの中で仕事をしているのです。


とはいえ、本人の意思とは異なり、ドラゴンボールに出てきたキャラは敵キャラを含め、多くの人々に愛されております。本人は大変だったかもしれないけれど、10年も続けたことはすごいことだと思うし、10年続いたからこそ、これだけ多くの人々に愛されているのだなって。また、鳥山明自身も連載中は描くのが嫌で嫌でしょうがなかったけど、終わってからドラゴンボールの連載をやりきったことを誇りに思っているとも語られております。










1 賢治が発達障害だった根拠

宮沢賢治が発達障害だった可能性。

結論からいえば、大いにあった、というかまさにそうだったと思います。

僕は専門家じゃありませんが、彼の幼少のころから亡くなるまでの生い立ちをふりかえっても、数々の文献や、彼の関係者たち、たとえば弟の宮沢清六氏の発言を聞いてみても、間違いないと思う。また精神科医のブログとか文献を見ても、宮沢賢治が「躁うつ病」だとか「発達障害」と言及されている。

  • 賢治のこどものころは「石っこ賢さん」とよばれ、石を集めるのが好きだった。発達障害の人はこだわりが強い


  • 宮沢賢治は、勉強は基本的にできたものの、運動神経が悪く、体育の成績が非常に悪かった。得意な教科と苦手な教科の差が極端だった


  • 時々、「ホーホー」と奇声をあげたとか



  • 空気が読めなかった。昔の花巻は念仏が盛んで、賢治の父親の宮沢政次郎は熱心に念仏を信仰をしていた。が、そんな状況で賢治はただ一人法華経に傾倒。うちわ太鼓をたたいて花巻の村を歩いた


  • 一方で、文学の才能は素晴らしいものがあったものの、生前はあまり評価されず、評価されたのは戦後。発達障害の人は特別な才能があるものの、なかなか周囲から認められないことが多い


あと賢治には保坂嘉内という友人がいました。二人は学生時代から親しく、世の中を幸せにしようという夢を分かち合ったのです。しかし、二人の仲は決裂します。それは賢治が国柱会という宗教団体に入り、執拗に嘉内に勧めたのです。手紙には「我を捨てるな」という悲痛な叫びをつづってまで国柱会に勧めた有様。それで嘉内は付き合いきれんと縁を切ったのです。わかるなあ。僕だってそこまでしたら絶交するもん。なんの信仰をするかは本人の自由だもん。賢治はよいと思うと周りがみえなくなっちゃうんだろうな。

2 家族は温かかった

そんな賢治に手を焼いていたのが宮沢家の家族、とりわけ父親の政次郎。

父の賢治に対する評としては「早熟児で、仏教を知らなかったら始末におえぬ遊蕩児になったろう」「自由奔放でいつ天空へ飛び去ってしまうかわからないので、この天馬を地上につなぎとめるために手綱を取ってきた」と。父の政次郎は賢治に対して厳しい態度をとったのですね。しかし政次郎は、いわゆるツンデレで、賢治には厳しい態度をとりつつも、結局、賢治を誰よりも甘やかしているのですね。この子は普通の子供ではないと父はわかっていたのかもしれません。


生前の賢治は宮澤家のお荷物でした。しかし、宮沢賢家の人は父をはじめ基本的に彼に優しかった。地元の人間に非難されようと、家族は賢治を守ったのですね。そして、今や子孫にとって宮沢賢治は誇りとなったし、彼の作品どころか遺品に至るまで大変なプレミアも付いています。

まるで賢治が草葉の陰から宮沢家に恩返ししているかのように。

実際、賢治から 嘉内に送られた手紙が今も残っているのですね。それも73通も。その手紙は実は嘉内が大事にとっておいたのですね。亡くなる直前まで嘉内は自分の枕元に手紙を置いていたのです。決裂したようで、二人はつながっていたのですね。


さて、その手紙ですが、嘉内の息子さんである保阪庸夫氏が「なんでも鑑定団」にご主演され、番組で鑑定した結果、1億8000万円の値打ちが付いたといいます。驚きですね。でも、その手紙を保阪氏は売るつもりはさらさらないとのこと。僕も5年くらい前に山梨県にある博物館に訪れました。山梨は保阪嘉内のふるさと。そこで賢治の手紙を展示している実物を見たことがあります。僕も実物をみて感動したものです。


3 有名になると近づく人間の悲しい性

閑話休題、どこのブログか忘れたのですが、あるガイドさんの宮沢賢治評が書かれておりました。なんでも、「もし、時代に自分が花巻にいて、かつ賢治が有名になることを知らなかったら、近寄らなかっただろう」とガイドさんがいったとか。さらに、そのガイドさんが「賢治は親のすねをかじって好き勝手やった甘えん坊」だと。確かに宮沢賢治の生き方をみたら、そう取られても仕方がないですね。「宮沢賢治の父」という小説がでて、映画化もされましたが、そこでも、そのような賢治像が描かれております。それまで宮沢賢治というのは、求道者のイメージで描かれることが多かったのですが、時代は変わったのだなって。

ただ、そのガイドさんの言葉をきいて僕がふと思ったのが、「では、賢治が有名になることをあらかじめ知っていたら近づいていたってこと?」

有名じゃないときは、バカにしておいて、有名になったとたんに掌を返して、その人を天まで持ち上げるってことですよね。さらに、有名になるまではバカにしていたくせに、有名になったとたんに私はあの人とずっと友達だったと平気でうそをつく人。僕から言わせれば最低だと思う。有名になった後も賢治に対して厳しい評価をし続ける人のほうがずっと良い。

賢治のことを甘ちゃんだとか、わがままだとか思うのは自由ですが、彼なりに必死だったと思いますよ。まして、あの時代は発達障害の概念がなかった時代ですから、なおさら賢治は変な目で見られていたとおもいますし、本人も内心はつらかったのかなって。彼の作品に「猫の事務所」という作品があって、いじめがテーマの話なのですが、そうした彼の実体験に基づいた話なのかなって僕はふと思います。





菜根譚 (岩波文庫)
今井 宇三郎
岩波書店
2018-11-15



1 ノムさんも感銘を受けた本
『菜根譚』に書かれていることは、確かに素晴らしいが、現実の社会はとても汚れていて、この『菜根譚』に書かれていることを完璧に実践したら、逆に人からいいように利用されるとか、あんまり実践的ではないって意見もちらほら聞きます。しかし、厳しい競争社会においても、『菜根譚』に説かれている内容は現在の社会においても光るものばかり。

すべてはここに書いてあることを実践できなかったとしても、この本を手に取って読んでみると、発見があるかもしれない。一読の価値はあると思います。


実際、『菜根譚』を愛読し、それを実践した人も少なくありません。松下幸之助も『菜根譚』を愛読していたというし、川上哲治やノムさんこと野村克也も『菜根譚』を愛読していたといいます。野村克也はヤクルトの監督になる前に「菜根譚」に出会い、感銘を受けたといいます。もちろん弱肉強食のプロ野球の世界に身を置いてきた野村克也にとって、自分の考えと相いれない内容のものもあったが、それでも仕事や勝負に通じる金言が多いとおっしゃってました。


2 絶頂期の時こそ要注意

たとえば、『菜根譚』のなかに、

苦心中 常得悦心之趣 得意時 便生失意之悲

苦心の中に、常に心を悦ばしむる趣を得、得意の時に便すなわ失意の悲しみを生ず。(前集58)

という言葉がありますが、野村克也はそれを痛感したと。これは「得意の絶頂のときこそ、失意の前触れがひそんでいる」って意味です。

連勝して絶頂の時に、すでに連敗の原因が奥深くで生まれていると。勝っているときは、どこかで無理しても勝利の余韻に覆いかくされ、その隠れた無理がたたって、連勝のあとの連敗もありうると。連勝もそうだが優勝もそうだと。実際、野村監督はヤクルトの監督を9年間務めたが、1993年、1995年と1997年と三度も日本一になりましたが、日本一になった翌年はすべてBクラスなのですね。日本一の栄冠をつかんでも将来の敗北の原因がそのときに生まれていると。選手は頂点に立った達成感から有頂天になり、監督である野村も日本一になるために選手をムリさせたという遠慮がでてしまい、選手起用に迷いがでてきたと。そのうえ、ライバルチームは次の年、目の色を変えて日本一になったヤクルトをマークする。そうなれば、さすがのノムさん率いるヤクルトだって分が悪い。

川上哲治率いる巨人もそうでした。1966年から1973年までの9年間日本一になり、いわゆるv9を達成しました。しかし、1974年は2位になり、そして長嶋茂雄が監督になった1975年には最下位。最下位になった理由は長嶋監督のせいみたいに当時のマスコミは言ったのですが、実は川上はv9時代若手をあんまり育てなかったこと、スタメンの高齢化がすすんだこと、そうしたv9の時代にその最下位に転落する元凶が潜んでいたのでしょうね。

3 権力者に取り入るものは、その盛衰に人生を左右される
趨炎附勢之禍、甚惨亦甚速。棲恬守逸之味、最淡亦最長。

炎に趨り勢いに附くの禍いは、はなはだ惨にしてまたはなはだ速やかなり。
恬に棲み逸を守るの味わいは、最も淡にしてまた最も長し。


この言葉にも野村克也も痛感したとのこと。意味は権力者に取り入るものは、その権力者の盛衰に、自分自身の人生を左右されてしまう。つまり、派閥抗争が激しい会社があったとします。そこにAという人がいて、B部長にゴマをすって出世できたのよいが、そのB部長が派閥抗争かなんかで地位を追われてしまうと、B部長の子分だったAの地位も危うくなってしまうとのこと。

欲を持つことは悪いことではないが、権力欲だけは切り離したほうが良いってことでしょうね。

1977年の秋に野村監督は南海の監督を解任されてしまったが、そのとき野村監督は記者会見で「プロ野球の世界にも政治があることを知らなかった」と語ったのこと。当時、南海のドンだった鶴岡一人とその一派に野村監督は嫌われてしまったのですね。要するに派閥抗争に巻き込まれ、野村はそれに敗れてしまったと。こうした政治は永田町だけでなく、一般の会社でもありますし、スポーツの世界でも残念ながらあるんですね。

派閥抗争と申しましても、実は、これにはサッチーこと野村沙知代 夫人がからんでおりまして。サッチーが南海の現場介入して、選手との間でトラブルがあったとのウワサがあったと。それで、ドンの鶴岡一人を怒らせてしまったと。ともかく、その解任事件以来、野村は権力とは遠いところで仕事をするようにして、野球評論家として第二の人生を歩んだといいます。

自らの野球理論を惜しみなく新聞やテレビなどで解説。ノムさんが評論家をやっていたころ、中にはオーナーだとか球団社長などのフロント陣にゴマすりまくって監督になった人もいたようですが、ノムさんはそうした道をとらなかった。野球解説者として働く傍ら、「菜根譚」や孔子の「論語」それから安岡正篤の著作のほか、経営の本までも読み漁ったといいます。そうした経験が、ヤクルトの監督をやった際に役に立ったと。

そんなノムさんのずば抜けた野球理論に目をつけたヤクルトの球団社長が、ノムさんの声をかけ、「うちの選手に野球を教えてくれ」と言われ、晴れてヤクルトの監督となったといいます。その時、野村は、権力闘争から距離を置いて正解だったと語られております。また、『菜根譚』のもこんな一説が。

伏久者 飛必高 開先者 謝独早知此可以免蹭蹬之憂 可以消躁急之念

伏すこと久しきは飛ぶこと必ず高く開くこと先なるは謝することひとり早しこれを知らば
もってそうとうの憂いを免るべくもって躁急の念を消すべし(後集76)


長い間うずくまって力を蓄えていた鳥は、いったん飛び立てば必ず高く舞い上がる。 力をたくさん蓄えれば、大きな成果が期待できるって意味です。野村監督は浪人時代を無駄に過ごさず勉強をし続けた、それがヤクルトの監督になった時に大きな成果を上げたのですね。


4 ノムさんが納得できない?一節
「径路窄処留一歩与人行滋味濃的減三分譲人嗜此是渉世一極安楽法」(前集13)

径路の窄き処は、一歩を留めて人の行くに与え、滋味の濃やかなる的は、三分を減じて人の嗜むに譲る。二これは是れ世を渉る一の極安楽の法なり。


狭い道を行くときは、一歩避けて他人に道を譲りなさいという意味です。こうした心掛けが、世の中をうまく生きるための秘訣だと「菜根譚」にあるのです。しかし、現実のプロ野球の世界は弱肉強食。他人を蹴落とすことも必要になってきます。たぶん、野球選手だけでなく、この『菜根譚』の一節に納得できないビジネスパーソンもいらっしゃるのではないでしょうか。他人に道をゆずるということは、一見正しいことのようですが、成功を放棄するようなものでもありますから。

まして野球は9人しかいません。それで自分のポジションをまもるために、故障をかくしてまで試合に出続ける選手もいるとのこと。ノムさんは「キャッチャーという、チームに一人しか出番を許さないポジションを生き抜いてきた私は、道を譲るなんてできない」っておっしゃっていた。『菜根譚』を座右の書としている野村監督ですら、この一説は納得できないみたいです。


野村克也の「菜根譚」
野村 克也
宝島社
2013-11-08








何かと大谷翔平の周辺が騒がれておりますが、周囲の雑音というかバカはほっておいて野球のほうに集中してほしいなって思います。ただ、いくら何でも他人に自分の口座を教えるのはまずいなと。芸能人とかスポーツ選手の中には金銭管理が苦手な人がすくならからずいますが、教えるならせいぜい身内でしょうね。ただ、今回の件、野球とばくで野球界を永久追放された西鉄ライオンズの池永正明を思い出してしまい心配です。

さて、今年は大谷は打者に専念するといいますが、良かったと思います。というか、ずっと打者でいいと僕は思う。僕はかねてから二刀流には反対だったのですよ。二刀流のリスクは高く、大谷の身体を壊してしまい、選手生命を早く絶たれてしまうこともあるし、思うような記録も残せないまま終わってしまう、記録より記憶に残る選手で終わるには、非常に惜しい方だと僕は思う。

こんなことを言うと、「何言っているんだ、大谷は二刀流でずっとやれる!」という声も出てくるかもしれないが、二刀流は我々の想像以上に肉体にダメージを与えるそうですよ。二刀流でずっとやってくれることを期待している人も多いかと思うけれど、それには結果を残さなくてはならないので、プレッシャーも大きい。僕はあんまり無理をさせたくないんですよ。

競技は違うけれど、かつて円谷幸吉というマラソン選手がいました。円谷は東京オリンピック(1964年)に銅メダルを取りました。それで円谷は「つぎのオリンピックでは銀メダルを取る」と宣言、国民は多大な期待をしたのですね。しかし生真面目な円谷はそれが大きなプレッシャーになったのです。その後、けが、信頼していたコーチの更迭、婚約者からの一方的な結婚破棄、など様々な不幸が重なり、自殺をしてしまったのですね。過度な期待が円谷を追い詰めた面もあると思います。

それで、大谷翔平の二刀流について、プロ野球のOBや現役選手の間でも賛否両論で、大谷の二刀流を支持する人たちはいいヒトで、反対する人たちは老害だとか、ワカランチンみたいな感じでたたかれてしまう。僕は大谷の二刀流支持派が必ずしも良いヒトばかりとは限らないと思います。

大谷はたしかにすごい選手です。バッターとして育てたら王貞治の記録を抜くかもしれない、ピッチャーとして育てたら沢村栄治や野茂英雄よりもすごい投手になるかもしれない。だから、大谷に自分の輝かしい記録を塗り替えられるのが怖いって人たちも少なくないんですよ。大谷には二刀流をやってもらい、中途半端な結果で引退してくれたほうがありがたいと内心思っている人も少なからずいるのですよ。こういう人たちが一番悪いと僕は思うんですが、どうでしょう。


大谷二刀流反対派の中には確かに老害としか思えない人もいるといえばいる。しかし、そんな人ばかりではないです。例えば、ダルビッシュ有。彼は大谷の二刀流をかねてから懸念して、プロ野球ファンからずいぶんたたかれたそうですが、僕はダルビッシュの意見は正しいと思うし、むしろ大谷のことをマジで心配していると思う。ダルビッシュは、大谷にメジャーではピッチャーになることを強く勧めていたのですね。大谷がメジャーでピッチャーになったら、ダルビッシュの記録が大谷に塗り替えられる可能性がある。自分の存在が大谷によってかすんでしまうかもしれないのに、それを承知の上でピッチャーを勧めるのですから、ダルビッシュはすごいなって。

ちなみに二刀流といえば大谷が最初ではありません。あのベーブ・ルースがはじめはピッチャーとバッターの二刀流だったのです。ベーブが二刀流をしたのは1917年と1918年の二年間。その成績は以下の通り。もし、ベーブがずっと二刀流をやっていたら、打者としてあれほどの成績を残せなかったと思います。

1917年 24勝13敗・防御率2.01、6完封。 打者の成績 打率.325
1918年 13勝7敗・防御率2.22。11本塁打






1 教育勅語とは程遠い、こどもたちのいじめ
藤子・A・不二雄の「少年時代」を読了しました。さすが巨匠の漫画。ぐんぐん引き込まれましたね。藤子・A・不二雄といえば「まんが道」をよんだことがあり、僕も子供のころに読んで感動しましたが、「少年時代」は本当に引き込まれました。この漫画のテーマはずばり、いじめです。

いじめといえば、戦後のイメージがありますが、実は戦前・戦時中からありました。戦前からいじめがあったという話は僕のブログでも以前に触れましたが、いじめの問題は根が深いものです。よく戦前は「教育勅語」があったから質実剛健なこどもばかりだったといいますが、それははっきりって嘘。「少年時代」を読み返せば読み返すほど、「教育勅語」とは程遠い子供たちの姿が浮かびます。

教育勅語には「朋友の信」−友人はお互いに信じあって付き合おう。ってありますが、「少年時代」に出てくる子供たちは、陰湿ないじめと、ガキ大将の恐怖政治におびえる子供たちの姿だけです。あと藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」にも疎開先でいじめにあったって話がでてきますし。何言ってるんだ!、そんなの漫画の話だけだ!なんて怒る人もいるでしょう。確かに、そういう子供たちばかりではなかったこと思います。けれど、そうした話は全くなかったとは言えないし、僕は「少年時代」のような話はむしろ珍しいことではなかったと思います。

この漫画の主人公は風間進一という生まれも育ちも東京の少年。空襲がひどくなったので、富山県に疎開をするのです。そこで進一少年が出会ったのがタケシというガキ大将。このタケシという少年が、この「少年時代」のもう一人の主人公ともいえる人物でもあり、進一少年を苦しませ続けるのです。このタケシがどんな少年かというと。


  • 成績も優秀、字もうまいし、運動神経もよい。村の人から信頼されている

  • 大人顔負けの筋肉質な体つき。だから力も強いし、ケンカも強い

  • はじめは進一にスイカをくれたり優しい

  • 東京から来たばかりの進一にからむ、村のいじめっ子から守ってくれる

  • しかし、学校ではまさにお山の大将であり、暴君。進一に対してもなぜか冷たい態度をとる

  • 時に、進一に対しても取り巻きを使って意地悪なこともする

  • いつも取り巻き連中をつるんでいるが、一方で陰では疎まれており、取り巻き連中もタケシからリーダーの座を奪おうと虎視眈々と狙っている
  • いわば、『ドラえもん』のジャイアンと出木杉を足して二で割ったような人





2 ケンカは強いが実は気が弱いタケシ
 タケシは学校で強権的な態度をとるのでしょう?おそらくタケシは怖いのだと思う。自分がガキ大将でいられなくなるが。実は臆病なんでしょうね。だから彼は徒党を組みたがり、ときに強権的な態度をとる。

本当に強い人は徒党なんて組まないし、わりとひょうひょうとしていて、自分の強さを見せつけない。無駄にケンカなんかもしないのですね。そして、普段は何も言わないけれど、ここぞって時にビシッと言う。まるで「白い巨塔」にでてくる大河内教授のよう。


また、タケシはなぜ進一と学校では距離を置いているのでしょうか。それは、下手に東京もんの進一をひいきすると、タケシの地位が危うくなるからだと思います。それでなくても進一のことを快く思わない人間のほうが多い。新参ものでしかも東京もんの進一をひいきすれば、たちまち取り巻き連中の反感を買い、あっという間に取り巻きたちのクーデターが起こってしまう。それをタケシは恐れたのでしょう。

タケシは本音では進一とマジで仲良くしたかったのだと思います。しかし、学校というある種の公共の社会においては、素の自分を押し殺している。プライベートではいいヒトで家族思いだが、会社では、まさにブラック企業の社長で、いつも部下を怒鳴っている、そんな感じでしょうか。

一方で、「少年時代」の中でも担任の先生が、進一に「ともだちになることと子分になるということは違うんだよ」って警告するのですね。タケシが進一に親切にするのは自分の家来にするためという計算もあったのかもしれない。

では、タケシは恐怖ではなく、もっと子分に優しく、親切にすればよかったのではないか。けれど、タケシにはそれができなかったのですね。それをやれば、子分どもは自分をなめてくるのだとタケシは思ったのでしょうね。人望を集めるよりも恐怖政治を強いて自分に従わせようとしたのでしょうね。それをやればやるほど子分からの反感を買い悪循環なのに。

ましてタケシの取り巻き連中は性格が悪いのが多い。だからこそ、タケシも下手に子分たちを甘やかしたらつけあがると思い込んだのでしょうね。性格の悪い連中を抑えるには自分が悪者になるしかないとタケシなりの正義感でもあり責任感でもあったのかもしれないけれど。


3 タケシのようなリーダーが日本をだめにする?
 「少年時代」は、タケシは戦前の日本の象徴で、主人公の進一が戦後民主主義の象徴のようだと語られることが多いです。しかし、タケシのようなリーダーは戦後になっても幅を利かせていました。タケシは行動力もあるので、高度成長期まではむしろ必要な存在でした。自分が悪者になってでも、ぐいぐい引っ張ってくれるリーダーのほうがありがたかったのです。いまでも年配の方はタケシのようなリーダーが必要だと思うでしょう。

しかし、グローバル化がすすんだ現代では、こういうタイプは足かせ、下手すりゃ害悪になります。こういうタイプがリーダーだと若者は委縮して、思う存分能力を発揮できないでしょう。中には、タケシみたいなリーダーが嫌で海外に活路を見出す若者もでてくるでしょう。そうなれば、ますます日本はタケシとその取り巻き連中みたいな人間ばかりが残る


ところが、現実の社会、特に今の政治家は高度成長期のやり方が今でも通用すると思い込んでいる人間が多すぎます。困ったことに自民党どころか、野党もそんな議員さんが多い。まして、戦前のような日本を目指したら、日本はナンバーワンになるどころか世界から孤立しそうな気がします。




エスパー魔美(1) (てんとう虫コミックス)
藤子・F・不二雄
小学館
2017-02-28



白い巨塔(一〜五) 合本版
山崎 豊子
新潮社
2015-03-20


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