history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: ヨーロッパの歴史

1 ヒトラーの懐刀
 今日はヒトラーの懐刀、ゲッペルスの話を。ゲッペルスは巧みな話術と宣伝術をもって、ナチスの勢力拡大に大きく貢献しました。当初はマスコミから「行き場のないアウトロー気分」とか「むき出しの暴力本能」いわれるほどナチスは泡沫政党であり、キワモノ扱いだったのが、あれよあれよと権力を握るようになったのは、ゲッペルスの力が大きかった。だから、ヒトラーは大変ゲッペルスを信頼したのです。

また、ヒトラーはオーストリアの人間でドイツ国籍を持っていなかった(のちにヒトラーは国籍取得したが)ので、実質政治活動はゲッペルスが指揮したのです。

そんなゲッペルスは、幼少期は体が弱く、右足が不自由だったといいます。それは成人しても治らず、生涯、右足に特殊な装備をしていたといいます。ゲッペルスはドイツの名門ハイデルベルク大学で文学を学びました。憧れだった文筆家の道を目指したといいます。そのためにはまず出版業界やマスコミ関係を目指したといいます。しかし、当時のドイツはそうした業界のほとんどはユダヤ人が経営者だったといいます。ゲッペルスは何度も新聞に投稿しましたが、採用されることはありませんでした。そうしてゲッペルスはユダヤ人に対する憎悪を抱くようになったのです。

失意のゲッペルスを高揚させたのは、ナチスが起こしたミュンヘン一揆でした。一揆はすぐに鎮圧されましたが、ゲッペルスはユダヤ人に対して批判的だったナチスと、そのリーダーだったヒトラーという人物に興味を持ったのです。

それからゲッペルスは政治家転身を目指し、ナチスに入党。

ゲッペルスは、演説の才能があったので、すぐに台頭したのです。言葉だけでなく、全身を使って人々の心を打ったのです。ヒトラーは「ゲッペルスこそ私が長い間待ち望んだ人間だ」と評価。


1926年、ヒトラーはゲッペルスをベルリンのナチ党の指導者に指名。当時のベルリンは赤のベルリンといわれるほど左派が強かったのです。そんな状況で、ゲッペルスはあえて共産党の集まった集会で過激な演説を行ったといいます。そして突撃隊を送り込み、共産党員と大乱闘をおこしたといいます。その共産党とナチ党の乱闘はマスコミの注目を集めたほど。すると2000人以上のナチ党入党の申し込みがあったといいます。その後も、ゲッペルスは共産党との乱闘を繰り返しては、ナチ党の希望者を増やしたといいます。赤のベルリンとは言われていても、内心は共産党のやり方に不満を持っていた人も少なくなかったのです。そうしてナチスも国会で議席を持つほどになったのです。

2 ゲッペルスの手法
 とはいえ、ナチスはまだまだ泡沫政党。それでゲッペルスは様々な層にそれぞれ異なったアプローチでナチスの公約を訴えたのです。


  • (政治に無関心で無知な)大衆には実現不可能な政策を連発

  • 富裕層には共産党からの脅威

  • 農家には農産物買い上げ価格の引き上げ

  • 労働者には農産物価格の引き上げ


そして、ゲッペルスは使えるものは何でも使いました。


  • 街頭をヒトラーのポスターで埋め尽くした

  • 大量のビラ

  • 飛行機を使って、ヒトラーが空から降り立つパフォーマンスを行った

  • 当時普及して間もなかったラジオを使った

  • 集会ではたいまつを使い、集会者の気持ちを高揚させた



そうして、ナチスは200議席以上を取得。そうしたナチスの動きに各国は警戒したのです。軍国主義的で過激な主張を恐ろしいと思ったのでしょう。でも、ゲッペルスは各国の首脳にナチスは危険な政党ではないと主張。

そして、ゲッペルスはヒトラー独裁を盤石にするため、国民啓蒙・宣伝省を設立。そのトップ大臣の座に就いたのです。ゲッペルスは、ドイツ国民の思想をナチスの思想一色に統一させ、異なる意見を弾圧したのです。出版、映画、そしてラジオとあらゆるメディアを管理下に置いたといいます。特にラジオからは毎日のようにナチスの思想が流れたといいます。映画館でもナチスの政策を訴えるニュースが必ず流されたといいます。そんなに毎回のようにナチスのことを宣伝されたら、ナチスに反感を持つ人間も出てきます。しかし、ナチスは自分たちと異なる考えを持つものは国家の敵とみなされたのです。


特にナチスは結婚を奨励したのです。各家庭が幸せになってほしいから?まさか。そんなことはありません。産めよ育てよで、将来兵隊となって危険な戦地でとびこんでくれる人間を増やすためですよ。戦争もしょせんは人海戦術がものを言いますから。

ゲッペルスの妻はマクダといいまして、マクダは上流階級の出身で、ナチスの理想の女性として宣伝されました。6人の子供もいましたから、埋めよ育てよのナチスにとっては理想だったのです。またヒトラーには妻がいなかったので、マクダが事実上ファーストレディーの役割をはたしたといいます。僕はヒトラーはマクダに不倫でもしたのではないかと勘繰りたくなりますが。

ヒトラーの不倫をといいましたが、実は、ゲッペルスは不倫をしていたのですね。ゲッペルスは女優のリダ・バーロヴァに夢中だったといいます。ゲッペルスと20歳も離れていたといいますから、親子ほど年が離れております。それを知ったマクダはゲッペルスとの離婚を決意。そしてマクダはヒトラーに離婚を若し出たといいます。それを知ったヒトラーは激怒。ゲッペルスとマクダの和解を命じたといいますが、二人の関係は冷え切ったまま。そして不倫相手のリダ・バーロヴァは国外追放されたといいます。

さらに、ゲッペルスは国民に対してウソの情報も流しました。ゲッペルスにとって、情報の正しさなど問題ではなかったのです。


  • アウトバーンの工事作業は、最新式の機械を使わず人海戦術を行ったので、あまりうまくいかなかったが、工事をしている労働者たちの汗水たらして働く姿は、ナチスの理想と宣伝された。


  • ポーランドでドイツ系住民が迫害されたと宣伝。実際はそんなことはなくて、ナチスがポーランド侵攻の正当化していた。表向きは、ドイツ系住民の保護とされていたが、ただの侵略戦争だった。


  • ウソと偏見にまみれたユダヤ人批判のプロパガンダ映画を作り、ユダヤ人弾圧を正当化


実際、ゲッペルスは作った映画の出演者にこういうセリフを言わせております。

世界はすぐに忘れる。ウソも何度も繰り返されれば、最後には信じられるようになるのだ」


3 ゲッペルスの最後
戦争が泥沼化し、ドイツが負けそうになると、ヒトラーが引っ込みがちになり、かわりにゲッペルスが前面に出るようになったのです。彼がヒトラーに変わり大衆の前で演説したのです。しかも、円是宇野会場ではサクラまで仕込んだというからたちが悪い。演説が終わるとゲッペルスは部下たちに満足げにこう語ったといいます。

私がビルの屋根から飛び降りろと命じていたなら、彼らはその通りにしただろう。

ドイツは、数々の戦争に負けて、どんどん追い詰められていきます。それでもゲッペルスはドイツ国民を戦争に駆り立てることをやめませんでした。ソ連兵によるドイツ人虐殺をあえて大々的に訴え、降伏の恐怖を訴えたといいます。最後まで徹底抗戦を続けさせるために。ベルリンにソ連兵が迫る中、ゲッペルスは「コルベルク」という映画を作り上げました。これは19世紀にプロイセンにナポレオン軍が攻め寄せたが、それを勇敢な市民たちが立ち上がり徹底抗戦したって映画です。ゲッペルスはこの映画をつくった狙いをこう語りました。

ここに映画大作『コルベルク』の制作を命じる。本作では、題名に冠された都市を模範に、郷土と前線が一体となった国民はいかなる敵にも勝ることを示すものとする。国防軍、国家、党の全部署に対し、必要な場合に援助、支援の申し入れを行う権限を与える。またその際、ここで本職が命じた映画は、我々の精神的戦争遂行に貢献するものと言及することも許可す




しかし、この映画は当時のドイツ人には受け入れられず興行成績も散々だったといいます。そりゃ戦争で敵も目前と迫っている状況じゃ映画どころじゃありませんよね。しかも、この映画に出てきたほぼ同じセリフを、ゲッベルスは1943年2月にスポーツ宮殿演説の終末に使用していたのです。「今こそ、民よ、立ち上がれ、そして嵐よ、起きよ! 」って。国民の間には厭戦ムードが漂っていたのに、空気読めませんね。しかも、皮肉なことに、本作の舞台となったコルベルクは1945年3月18日にソ連赤軍とポーランド人部隊によって陥落したが、ゲッベルスはそれを報じることを禁じたといいます。


敗戦間際になると、ヒトラーに金魚の糞のようにくっついた側近たちもあっさり離れ、ゲッペルスだけが付き従ったといいます。ヒトラーにとっては感激でしょう。ゲッペルスを心の友と思ったことでしょう。ヒトラーは、ゲッペルスを次期首相に命じて自ら命を絶ちます。すると、その翌日ゲッペルスも後を追うようにマクダと子供6人を道連れにして自殺をするのです。

「私は総統のために総統のそばで役立てうるのでなければ個人として何の価値もない子の命を総統の傍らで終えることを選ぶのである」と言い残して。


最後にゲッペルスの言葉を。

プロパガンダは人々を説得し、ある考えに駆り立てることができればよいのである。大衆とは弱く、臆病で、怠惰な人々である。アイデアがシンプルで日常生活に関連していればいるほど、それをみんなに伝えたいという要求が高まっていく。一人ひとりが大衆に広めるなら我々の世界観が国家を乗っ取る日が来るだろう。



この記事は「映像の世紀」を参考にしました。

1 世界で最も民主主的な国



本題に入る前に↑の曲をお聞きください。この曲はアルノルト・シェーンベルクが作曲した曲です。アルノルト・シェーンベルクはユダヤ人の音楽家で、ドイツで活躍しておりました。彼が活躍したのは、当然、ナチスドイツ時代ではありません。その前のワイマール共和国時代です。彼だけではなく、ワイマール共和国ではユダヤ人が活躍したのです。

「ベルリンは新たに生み出される金と浪費。向こう見ずな行動とショーに満ち溢れた社会だった。そこではすべてのことが可能だった」

これはドイツのある音楽家が語った言葉で、1918年から1933年までのワイマール共和国について語った言葉です。ワイマール共和国は世界で最も自由な国を目指したのです。ワイマール共和国は帝政ドイツが第一次世界大戦で倒れ、その後に誕生した国です。世界でも民主的な国家ということで注目を浴びたのですね。ワイマール国はこんな感じでした。


  • イギリスやアメリカに先んじて、女性に参政権を与えた

  • 失業保険

  • 一日8時間労働を世界で最初に取り入れた。それで人々に余暇がうまれた

  • 平等権も与えられ、それまで差別されていたユダヤ人も日の目を見るようになった


当時、ドイツは世界でもっとも民主主義な国だといわれましたが、ワイマール共和国は14年ほどで崩壊し、ヒトラーが権力を握って独裁的なナチスドイツへと生まれ変わったのです。北朝鮮のような国だったらともかく、民主主義的な国でなぜヒトラーが権力をにぎることができたのでしょうか?
理由はいくつも考えらますが、

  • 当時のユダヤ人に対するドイツ人たちの反感

  • ワイマール憲法の条文の欠陥

  • 敗戦国に重くのしかかった多額の賠償金


だと僕は考えております。


2 ユダヤ人に対する反感
ユダヤ人についてですが、先に先に挙げた、アルノルト・シェーンベルクもそうですが、ドイツの多くの銀行や著名な百貨店もユダヤ人が経営していたのです。ユダヤ人はむかしから、お金儲けが上手でしたから。

しかし、そうしたユダヤ人の活躍を疎ましく思う人間も少なくなかったのですね。もともとユダヤ人はヨーロッパの人から疎まれ、古くは中世ヨーロッパで黒死病が流行ったころや魔女狩りのときにもユダヤ人は目の敵にされ、多くのユダヤ人が殺されたといいます。

ワイマール時代においても、ユダヤ人の実業家でもあり政治家でもあったヴァルター・ラーテナウが極右青年グループによって暗殺されました。(1922年6月24日)。

ある反ユダヤ主義者がこんな言葉を言っていました。

「1920年代は科学でも医学でも、あるいは文化面でも、すべてユダヤ人に支配されていた。明らかに金儲けができるような仕事は全部ユダヤ人が握っていた。我々ドイツ人にとっては全くやりきれないことだった」

この反ユダヤ主義者も、そうしたユダヤ人の活躍を快く思わず、のちに、ヒトラーが権力を握り、ユダヤ人弾圧をもろ手を挙げて支持したのでしょう。

3 多額な賠償金

 当時のワイマール政府にとって一番の頭痛の種は、フランスやイギリスなどの戦勝国から課された賠償金でした。第一次世界大戦は当時の皇帝ヴィルヘルム2世が野心をもっておっぱじめた戦争です。だから、本当は帝政ドイツが始めた戦争なのでワイマール政府にとっては本来無関係であり、いわば親の借金を子供が背負うようなものです。

しかし、戦勝国は「ドイツには違いないだろ」って、どこぞの金融屋みたいに「親の借金は子供が返すものだろ!」っていうようなもんですね。その賠償金の金額は1320億金マルク。日本円に直すと200兆円を超えるというから驚きですね。当時のドイツの国家予算の20倍とも30倍ともいわれておりますから、こりゃ払えるわけありませんね。それどころか、戦勝国はドイツの工業地域であるルール地方を占領したのです。賠償金を滞ったという理由で。経済の生命線を失われたドイツの経済は大混乱。

ドイツはすさまじいまでのハイパーインフレになったのです。

たとえば、極端な例ですが

5月1日 ジャガイモ5キロ 1000マルク

5月2日 ジャガイモ五キロ 5億マルク

5月3日 ジャガイモ五キロ 10億マルク


てな具合に、日に日に物価が上昇、ていうかマルクの貨幣価値が下がったために、今まで安く変えたものが買えなくなったのです。紙幣も紙くず当然になったのです。ある舞台俳優は、ステージの出演料を半分使って、やっとソーセージ二本買えたというから、いかに当時のドイツがやばかったかがうかがえます。食べ物もろくに買えないから国民は飢えてしまいますね。社会がいくら自由になっても、これだけ物価があがり食べ物もろくに食べれなくなるようじゃ、国民の不満は高まります。

そんな状況に政府は手をこまねいたわけじゃなく、ときの首相シュトレーゼマンが全権委任法を制定しました。これは国会の審議を得ずに首相や大統領の権限を強める時限立法でした。そうしてシュトレーゼマンは経済と財政の立て直しを行い、新たな通貨レンテンマルクを発行しました。レンテンマルクの価値は土地を裏付けにしていたため、貨幣価値は安定し、インフレを治めることができたのです。さらにシュトレーゼマンはアメリカに近づき経済的な協力を求め、フォードとかアメリカ資本の企業も続々とドイツにやってきたのですね。要するにドイツの経済的混乱をアメリカに助けてもらったのですね。

しかし、1929年世界大恐慌で、政治は大混乱。アメリカの経済に頼っていたドイツはがた落ち。アメリカ資本がどんどんドイツから引き揚げ。そのため失業者も激増。また、ワイマール共和国が定めていた失業手当も国の財政を圧迫。税制も減ってしまったので、失業者達に払うことも困難。打開策を打ち出せないまま、ときは流れ、国民は強い指導者を求めたのです。

4 ワイマール憲法の欠陥
ワイマール共和国において、柱になったのがワイマール憲法です。ですが、憲法ができるまで結構大変だったのです。憲法草案は全部で5回も審議されたといいますから、結構もめたのかなって。

7月31日、本会議において最終的な採決が行われ、賛成262票、反対75票、棄権1票で可決成立したといいます。。しかし、83人の議員が採決を欠席したといいます。一人や二人ならともかく、83人も欠席したとはでかいですね。手続きに問題はないものの国民の総意とは言い難い採決でした。

憲法公布には、右派はもちろん、共産党などの左翼からも反対意見がでました。それどころか、賛成したものまでが、この憲法にある重大な欠陥を懸念したといいます。ある者は、中央集権的な性格が弱すぎると、また、ある者は各州の独立性が不十分である、つまり地方分権を進めろと。

特に、多くの議員が審議の段階で懸念を示したのが、ワイマール憲法第48条(いわゆる、緊急事態条項の1つ)でした。これは混乱を鎮めるために武力行使を含め国民の自由も制限できるというもの。しかも、大統領権限が強大過ぎて、民主主義を脅かすかもしれないと議員も心配したのですが、この懸念はヒトラー誕生という形で的中するのですね・・・

このように賛成派でも、このような懸念が出てくるくらいだから、よほどワイマール憲法は欠陥があったのだなって。

議員が懸念を示しながらも、ワイマール憲法は1919年8月に公布されました。たしかに、ワイマール憲法は欠陥がありました。実際、ヒトラー率いるナチスはワイマール憲法下の選挙で国民から多数の支持を受け、ヒトラーはワイマール憲法第48条を根拠に独裁政治を行ったのです。条文には男女平等とか言論の自由とか、労働者の権利保障、団結権、生存権まで認められたのです。いろいろ欠陥はあったものの、その民主的な内容は画期的であり、戦後の様々な国家にも影響を与えたといいます。



※ この記事は「映像の世紀」を参考にして書きました。

今日は史実の歴史ではなく、神話をお話します。神話や伝説も時に史実なみ、いや史実以上に後世のひとに影響を及ぼすことがあるので。ギリシャ神話の二大英雄と言えば、ペルセウスとヘラクレスです。メデューサと戦ったペルセウスと、怪力無双のヘラクレス。じつはペルセウスとヘラクレスは血縁関係で、両者ともゼウスの子とされております。ペルセウスの話を数回に分けてお話したいと思います。

ペルセウスはダナエとゼウスの間にできた子です。ダナエとはアルゴスという国の王女でそれは、それは美しい美女だったそうです。

ゼウスと言えばギリシャ神話で全治全能の神であり、少々スケベwな神様で、あっちの女、こっちの女に手を出しては子供を作って、それで妻のヘラに怒られていたのです。ゼウスと言えば、ビックリマンチョコについているおまけのシールにスーパーゼウスというキャラが出てきました。もちろん、ギリシャ神話のゼウスがモデル。僕が子供のころビックリマンチョコがはやりましてね。チョコのおまけについているシールをみんなこぞって集めていました。このスーパーゼウスの性格もエッチなのですが、この年になってギリシャ神話の本を改めて読んで、ゼウスって本当にエッチな神様だったんだって驚いたほどです。



で、ペルセウスは決して家族から望まれて生まれてきたわけじゃないのです。実は、ペルセウスの母、ダナエの父である、アルゴス王アクリシオスがペルセウスのことを疎ましく思っていたのです。ペルセウスが生まれる前、アクリシオスが神託を受けたのです。「あなたは、自分の孫に殺されてしまう」と。それをおそれたアクリシオスは自分の娘であるダナエを幽閉して、男が寄り付かないように警戒したのです。子供が生まれることを恐れたのです。ところが、銀の雨に姿を変えたゼウスがダナエに接近しようとしたのですね。銀の雨はダナエが閉じ込められている部屋の中にまで入ってきて、銀の雨に打たれたダナエはみごもったのです。そして、ペルセウスがおぎゃーと産声をあげたのです。

慌てたのが、アクリシオス。アクリシオスはなんと自分の子であるダナエと孫のペルセウスを箱舟に乗せて流してしまうのですね。我が命惜しさに娘と孫を海に流すなんてひどいなって。たいていの親は、自分の命を代えてでも子を守るし、まして祖父母にとって孫はかわいい存在。僕も祖母にかわいがられたし、「ドラえもん」に出てくる、のび太のおじいちゃんはタイムマシーンで未来からいきなりやってきた、のび太を、すぐに自分の孫だと理解し、何の疑いもなく受け入れたほど。のび太のおじいちゃんは、のび太が生まれる前に亡くなっているのに、一目で自分の孫だとわかるのだからすごいね。


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(島にたどり着いたペルセウス親子)

そうして海に流されたものの、ダナエ・ペルセウス親子は、セリーポス島に漂着したのです。箱舟に乗っている親子を地元の漁師が発見。漁師の名前はディクティスといい、ディクティスはダナエ親子を大事にしたのです。そして月日は流れ、ペルセウスはたくましく立派な若者に成長。体つきも細マッチョ、顔も母ダナエに似て美しく、いわばイケメン。現在にいたら芸能界行ってたかも。

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(ペルセウスの銅像)

そんな折、島の領主であるポリディクテスがしつこくいいよるのですね。ダナエはシングルマザーとはいえ、美人だったからポリディクテスは惚れてしまうのです。そしてポリディクテスはペルセウスから母ダナエを奪ってしまうのです。母に合わせてくれとペルセウスは泣いてポリディクテスに懇願するのですが、合わせてもらえず。ポリディクテスの城の入り口で兵士たちに追い返されてしまう。それどころか、ペルセウスに対して、「怪物のメデューサの首をとってこい、そうしたら母に合わせてやる」と命令するのです。これはドラえもんで言う、ヘソでラーメン食べるよりw大変なことでした。なにしろメデューサは見たものを石に変えてしまうという恐ろしい怪物で、いままで何人もの勇者がメデューサ退治に行きましたが生きて帰ったものは誰もいなかったのです。

ポリディクティスにとってペルセウスの存在は邪魔な存在でした。ペルセウスを殺すのは簡単だが、あんまりあからさまにやるのはまずい。それでポリディクティスはペルセウスにメデューサ討伐を命じたのですね。どうせペルセウスは生きて帰れないだろうと。

ペルセウスはメデューサー退治に意気揚々と出かけてしまうのです。若気の至りといいますか、恐れを知らぬといいますか。

しかし、いくらペルセウスが神の血を引くとはいえ、メデューサに立ち向かうのは無謀というもの。そんなペルセウスに神様たちがみかねて助力をするのですね。ヘルメスからは空を翔ける力を持つ羽付きサンダルを、アテナからは鏡の様に磨かれた盾と、冥府神ハーデスからは装備者の姿を消せる「隠れ兜」を貸し与えられたのです。こうして神様たちの助力を得たペルセウスはメデューサのもとに行くのです。こうした神様たちの助力を得られたのはゼウスの血を引くものというのも理由の一つですが、ペルセウスの人柄の良さも買われたのだと思われます。


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(ペルセウスを囲む人物たちの相関図。最小限にまとめました。)

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クジラというと日本はクジラを捕りすぎということで海外から非難を浴びているのですね。外国の市民団体が日本の捕鯨に抗議する映像は何度か見たことがあります。中にはシーシェパードのような過激な団体もいて、船ごと日本の調査捕鯨船にぶつけてくることも。国際捕鯨委員会(IWC)というのがあって、日本も加盟していたのですが、2018年に脱退したのですね。それから、日本の捕鯨も復活したのです。

ネットではクジラはおいしいという意見もあれば、まずいって意見が分かれております。僕の母なんて、あんな不味いものはないって言ってたもん。母は学校給食でクジラ肉を食べた口ですが、クジラ肉には良い思いでがないようです。かつてはクジラ肉は戦後の食糧難の時に栄養価が高いということで注目され給食に出たほどなのですが、牛肉や豚肉に押されてしまったのが現状。では、クジラの肉はそんなにまずいかと言えば、答えはNOです。

クジラ料理が食べたくなって都内のあるクジラ料理の「くじらのお宿 一乃谷」という料理屋さんに行ってきました。僕がクジラ料理を食べたのは二回目。初めて食べたのがクジラの竜田揚げ。それがおいしかったので、また食べたくなったのです。注文したのはクジラのステーキ。お味は魚の肉と牛肉の中間くらいで、メッチャおいしかった。僕はクジラというと硬くてまずいイメージがあっただけに、本当に驚きましたね。僕の地元じゃスーパーや魚屋さんにもおいてないのですね。それだけにクジラが食べれて感激でした。クジラの肉を食え!なんて強制はできないし、するもんじゃないと思うけれど、一度食べる価値はあると思う。





ちなみに、日本だけがクジラ漁を非難されているイメージがあり、これは人種差別だってよくいわれておりますが、実はそうでもないのです。やはり捕鯨国のアイスランドやノルウェーもやはりクジラを捕るなって非難されているのですね。捕鯨がここまで非難されるようになったのは、ジャパンバッシングというより、クジラが一度絶滅の危機に追いやられたことが大きいのですね。特に17世紀から19世紀にかけてヨーロッパほか世界各国がクジラが乱獲されたのですね。クジラの肉もそうですが、クジラから出る油は、灯火や洗剤、はてはニトロぐセリン(ダイナマイトの原料)にも使われたのですね。ヨーロッパでクジラが捕られるようになったのは、食肉用というよりクジラの油がメインだったのですね。昔は電気とか石油がない時代でしたから。

それと、クジラのひげ。クジラのひげは弾力があったので重宝されたのです。傘の骨とか、日本では文楽人形にも用いられました。そして何よりもヨーロッパにおいてはコルセットに用いられました。クジラのひげを用いたコルセットがヨーロッパの貴族社会において大流行。それで乱獲に次ぐ乱獲で、とうとう絶滅寸前にまで追いやられてしまったのです。それで、クジラを乱獲しないで、捕るにしても計画的にやりましょうねって作られたのが、IWCなのですが、それがいつの間にか、クジラの漁そのものをやめろと主張する団体になってしまったと。クジラの絶滅と言うけれど、最近はクジラの数が増えすぎてしまって生態系のバランスが崩れているとか、言われておりますね。


※ この記事は2024年11月10日に加筆修正しました。


ここのところ、YouTubeとかSNSでもマザー・テレサの暗黒面がいろいろ取り上げられてます。まとめると。



  • 「死を待つ家」の衛生状況が悪い


  • 注射針を使いまわし


  • マザー・テレサは銭ゲバで資産が相当あった


  • 独裁者と繋がりがあったとか


  • 痛みに耐えなさいといって、鎮痛剤を使わなかった


  • 患者にはロクな治療もせず、最新医療を否定し、自分はペースメーカーをつけていた




それを見た人たちが、「マザーってこんな悪い奴だったんだ!」とか「だまされた」って声もききます。マザー・テレサも人間ですからね。どんなすばらしい人であっても、ほじくり返せばいくらでも欠点も出てくる。よく、悪人がたまに良いことをすると「見直した!」ってほめられ、良い人にちょっとでも悪い面というか欠点がでてくると「あの人がなんで?」って話になる。おかしな話ですね。近年のマザー批判もそれと同じかなって。

けれど、近年のマザー批判がどうしても僕にはフに落ちなかったのですが、近年、この動画を見て「なるほど、そういうことか!!」って納得したのです。↓






「かんちゃん住職」というお坊さんのユーチューバーがお話しされているように、「よいことをしている人」は意外と嫌われたり、誤解されることが結構多いみたい。それで、マザーもずいぶん誤解されたのだなって。

人間は基本的に罪深い動物で、己の損得で生きるのです。が、ごくたまに己の損得ぬきで人様のために動く人がいる。良いことをするのが当たり前だと思っている。むしろ、人々の喜ぶ姿を見るだけでうれしいって。

こういう人を普通の人間が見ると不思議に見えるのです。「なぜ、あの人はあんなに良いことができるか」って具合に。そこから、「あの人がよいことをするのは、なにか裏があるんじゃないか」っておもうようになり、それで、ちょっとでも落ち度があると、「ほら、あいつは悪い奴じゃん」とか「偽善者だ」って話になる要するに、生身の人間には、徳のある人や、損得抜きで動ける人の心理が理解できないのです。だからこそ、イエス・キリストも迫害を受けたし、お釈迦様もいろいろ苦労されたのですね。

それに近年のマザー・テレサはインドのヒンドゥー至上主義の極右・ファシスト団体「民族義勇団(RSS)」、つまりインド版ナチスのような連中が、マザー・テレサのあることないことの悪口を言っているという見方もあるようです。




マザーもそういう意味で本当にご苦労されたと思う。それにマザー・テレサを批判するのは簡単だが、彼女がなぜ、そこまで批判されるようなこともしたのか、その辺の考察も必要だと思う。

僕は、彼女が一方的に悪いというより、そうせざるを得なかった現実もあったと思う。

実際、マザーがあんなに評価されたは死後であって、生前は本来味方であるはずのバチカンから批判されたり、カトリック教会は幾度もマザーの活動を妨害したといいます。当然、インド政府なんて異教徒のマザーのことを迫害しました。誰も助けてくれないから、相手が独裁者であろうと、資金的援助をしてくれる人はありがたい存在だったのですね。しかし、マザーの心の内では、独裁者からお金をもらうことに、すごいジレンマがあって、もらうべきかどうか悩んだとも聞きます。

マザーの預貯金が莫大にあったのだから、そのお金を使って最新医療や機器を取り入れるべきだという意見もありますが、僕はうーんと思いますね。

僕の身内には医者がおります。しかし、経営が大変だそうです。医療機器も新しいのをそろえればそろえるほど、維持費とか金がかかり、あんまり本格的にやると赤字になって経営が立ちいかなくなるって言ってました。ましてスタッフの人件費もかかります。身内の実家は地主で援助してもらっているようですが、それでも経営大変だそうです。

大病院なんて赤字のところも多く、ひどいところは何十億の赤字だって話も聞きます。まして「死を待つ人々の家」はお金もとらずにやっているわけです。最新医療なんて揃えたら、「死を待つ人々の家」も患者さんからお金を取るようになるし、マザーの莫大な預貯金だってあっという間に使い果たしてしまう。



それと、なんのブログかサイトか忘れたが、死を待つ人々の家にボランティアに来たら、みすぼらしいサリーを着たヨボヨボのおばあさんが、炎天下のなか一人掃除をしていたと。サイトの主さんは、こんなおばあちゃんに掃除を押し付けるなんて、マザー・テレサは酷い人だと思ったそうです。



のちに、そのおばあちゃんこそ、マザー・テレサその人だと知りサイト主さんは驚かれたと。マザーテレサの顔は、写真だとかドキュメンタリー番組だとかで何度も見たはずなのに、実際に会った印象があまりに違うので驚かれたとか。もっと偉そうな感じかと思ったら、小使のおばあちゃんと見間違うほどだったのですね。掃除なんてボランティアに任せれれば良いのに、マザーは自ら率先してやっていたのですね。マザーはよいことをごく自然にできる人だったのですね。





※ 参考サイト

https://www.nikkei.com/article/DGXZZO74013320Z00C14A7000001/(日本経済新聞のサイト)

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