history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: 明治・大正・昭和初期

神宮外苑のことが問題になっておりますね。坂本龍一や村上春樹が外苑の再開発反対し、2024年の都知事選挙においても、外苑問題が争点になりました。再開発してビル街にしようって話です。

僕も外苑の森っていうから、てっきり明治神宮をとりまく、あの森を連想したのですが、ちがうのですね。よく、反対派が「森」っていうから間違えちゃいましたよ。再開発するのは、外苑であって、明治神宮の森ではないのです。あちらは内苑だそうですね。外苑とは神宮球場とか、秩父宮ラグビー場とか国立競技場があるあたり。あと有名ないちょう並木もそうです。

とはいえ、反対派があんまり「森」っていうから、もしかしたら神宮球場周辺に森があるのかな?と確かめたくて、外苑に行きましたよ。僕が外苑に来るのは超久々で学生時代以来ですよ。神宮球場では大学野球が行われていて、僕も生で見に行きましたよ。あと、この周辺にはバッティングセンターがありましてね。僕も学生時代よく通いました。野球経験者じゃないのに、バッティングだけは好きでしてね。そのバッティングセンターも、いまはリニューアルしてきれいになって、びっくりしましたよ。

現日に行って驚いたのが、あちこちが工事中になっていて、再開発は進んでいるんだなっておもいましたし、国立競技場もきれいになったなあっておもいましたね。

PXL_20250410_070915433

(神宮球場)


PXL_20250410_070611162

(銀杏並木)
PXL_20250410_064855227

(国立競技場)

PXL_20250410_065423118

聖徳記念絵画館

PXL_20250410_070208483

PXL_20250410_070205116

(大正時代ごろの外苑)


それで外苑で森らしきものを探したのですが、なかなか見つからず、てくてく歩いて何とか木々が生い茂っているエリアをみつけたのですが、それを森と呼べるか微妙でして。せいぜい林かなって思いましたよ。反対派がしきりに森っていうけれど、それは間違いで、せめて「外苑の緑地」って言ったほうが現実味があると思います。僕みたいに内苑と外苑の区別がつかない人、特に東京の人間じゃないとわからないと思う。それを「森」ってしきりに言うのもどうかなって思ったんですよ。


PXL_20250410_071100902


PXL_20250410_071300221


PXL_20250410_070835857


ただ、外苑は森とはいかなくても緑が豊かできれいなところだって改めて思いましたね。再開発するにしても、どれくらいの木を残して、どれくらいの木を切るのか、その辺は僕も気になりました。銀杏並木のほうを歩いていたら、「銀杏並木は残します」って看板をよく見かけたので、まさか銀杏並木を残して、外苑の木々をほとんど伐採するんじゃあるまいねってふと思いました。再開発の図もみせてもらいましたが、銀杏並木だけでなく、聖徳記念絵画館周辺の緑地も残す感じですが、この開発図通りに、ある程度残してほしいなってふと思いました。


PXL_20250410_070646379


PXL_20250410_070128802

(再開発の図)


あと、僕も知らなかったのですが、外苑って明治神宮の土地だそうですね。だから、明治神宮の土地なのだから、どう使おうと明治神宮の勝手だって意見もでてくるのですね。そうかとおもえば、あの外苑も、渋沢栄一が明治天皇をたたえるとともに、渋沢らが近代国家にふさわしいランド・スケープを作りたいという熱意をもって、国民に献金・献木を呼びかけたといいますね。それで、全国から多くの寄付が集まり、ボランティアもたくさん集まって木々を植えたと、だから、あの土地は国民のものでもあるって意見もあるから、いろいろ難しいなって。

ただ、明治神宮も財政的に苦しくて、外苑の再開発をしないと維持が難しいって話も聞いております。明治神宮の話ではないのですが、新興宗教団体も、お布施があがらず、維持費も払えなくて教団の施設をずいぶん手放したなんて話も聞きます。新興宗教もそうですが、宗教法人はいまはどこも大変だそうですね。

それにしても、内苑にしても、外苑にしても、もともとは更地で、それを人々が植林し、ここまで育て上げたのだから、すごいなあって。

外苑開発問題につきましては、左の方も右の方も盛り上がっているようですが、こちらの方のツイートがよくまとまっておりますので、最後にご紹介します。




1 細〇の豪邸


細〇数〇といえば、一世を風靡した女性占い師で、一時はいくつものレギュラー番組に出演し、ゲストに平気で「地獄に落ちるわよ」とか結構辛らつなことをいっていたのですね。そうかといえば、お気に入りのゲストには甘々な態度をしていて、僕はなんだこのババアは?って思いましたもん。

普通、占い師って、もう少し神秘的な雰囲気というか、独特のオーラがありますが、(後でこの記事で取り上げるノンフィクション作家の)佐野眞一の言葉を借りれば、人生の修羅場をくぐり抜けた女特有の、したたかさと、悪の匂いというべき雰囲気が漂っている。

彼女の番組は、うちの母も見ていて、「細〇数○も良いこというじゃない」って感心しておりました。けれど、売れっ子当時の細〇数○を僕は当時から疑問に思っておりました。そしたら、たまたま、ある雑誌で彼女のことが書かれている記事に目が留まったんですよ。某所でスナックを経営している女性の意見が書かれた記事なのですが、その女性が細〇のことを

「細〇数〇さんは、いいことを言っているっていうけれど、私から言わせれば大したことはいっていない。あんなことは水商売を長年やっている女性だったら誰でもいえる。というか、あの人は水商売の人間の気質がぬけてない」って批判していましたよ。

細○数○は、野○沙○代あたりから始まる、若者を叱ってくれる大人役として重宝されたのですが、彼女にやっていることを振り返れば振り返るほど、「あんたに言われたくない」って思いますね。


レギュラー番組をいくつも抱える前は、「料理の鉄人」の審査員やってて、結構平気で、「まずいですね」って鉄人や挑戦者たちに言っていた。鉄人や挑戦者たちは苦笑いしてたけれど、内心は腹の中が煮えくりかえっていたと思いますよ。せっかく作った料理をこんなに簡単にけなされるのだから。料理人としてのプライドがありますよね。


で、暴露本がでてからはすっかりテレビにでなくなりましたっけ。それからしばらくして亡くなったのかな。いまは彼女の娘さんが後をついで占い師をやっております。娘さんは本当の娘ではなく、細〇数〇の弟の娘さんです。つまり細○数○にとっては姪です。姪を養子として引き取ったのですね。

最近、テレビや動画とかで細〇数〇の豪邸が紹介されております。なんでも、70億かかったとか。細〇数〇はすでに亡くなっておりますが、彼女の家の中も動画やテレビで見せてもらいましたが、お部屋の数も多く、その内装も豪華ですが、お部屋に飾られている品々や家具も本当に豪華。金かけてるなって。2000万円の純金製の器だとか、部屋に敷いてある絨毯もペルシャじゅうたんで2500万円もするとか。もう、一つくらいオレにくれって思ったほど。

動画やテレビでは割と好意的に取り上げておりますが、正直、これは細〇のおばばが、占いはともかく、島○千○子や墓石商売で儲けたお金で、これだけ豪華な家を建てられたのだから、むしろ反感を持ちましたね。特に島○千○子の人生を顧みると、本当にかわいそうで、細〇のおばばに会わなきゃ、お千代さんも、もっとマシな人生を送っていただろうにと思いますもん。

いまの娘さんには罪はないけれど、これまで被害にあった人たちへの罪滅ぼしのための行動はしているのかな?って思ってしまいましたね。


細〇数〇についての批判はネットや本もたくさん出ておりますが、わりと古い本では佐野真一の『あぶく銭師たちよ』に書かれております。この本は1989年に書かれたものなので、細〇のおばばテレビが活躍する結構前ですよね。結構きわどいことが書かれているのに、マスコミは彼女を視聴率取れるからって重宝したのだから、本当にあきれます。この本読んでたら本来テレビに出しちゃいけない人だとわかると思うのですが。




で、この本を読んで驚いたのは彼女のことよりも父親の事でした。父親は一生のうち四度も名前を変えた人物で、「千代」というスナックを経営する傍らで、戦前は民政党の壮士として鳴らしていたのです。彼女の父親は之伴ゆきともといいまして、大野伴睦おおのばんぼくや松葉会会長の兄とつながりもありました。ほかにも暴力団関係者とも之伴はつながりがあったそうです。暴力団とのしがらみがあったこともあって、渋谷の路上でチンピラに後ろから斬られたこともあって瀕死の重態になったことも。

大野伴睦といえばのちの自民党の重鎮として名をはす人。義理人情に厚い人物だといわれる反面、ヤクザとのつながりがあるというウワサも絶えない人でした。だから、細〇のおばばも議員や裏社会の人とつながりがあったのだなって思いましたもん。

之伴が外出するときはベロアの帽子をかぶり、紋付き袴の上に二重まわしを羽織って、ステッキを伴っていたといいます。

之伴の生い立ちはというと、高知から東京に出たのは10代のころで、神田神保町にあった弁護士事務所に書生という形で入って、最初の妻と結婚し、後に離婚。二人目の妻と結婚。之伴は新宿の落合に居を構え、再婚した妻に芸者屋と料理屋と待合を渋谷の円山町でやらせたといいます。女房に料理屋はともかく、芸者屋のような仕事をさせるなんてってひどいって思いましたね。之伴が政治活動をはじめたのもそのころで、大野伴睦も落合の家に出入りするようになったといいます。

落合の家には一時、高島易団支部の看板を掲げたといいます。高島易断といえば占いの世界では有名ですもん。そうか、細〇のおばばのルーツは父親だったんだって僕はおもいました。でも、本部からクレームがあって、占いの仕事をやめ、保険会社の代理店をやって、新聞広告の女事務員を募集したといいます。で、やってきた女事務員こそ、細〇のおばばの実の母親だそうです。愛人の子ってことですね。

太平洋戦争に之伴は太平洋戦争がはじまると政治活動から身を引き、「ロマンスクラブ」という名のカフェを始めましたが、ロマンスクラブは敵性用語ということで非難され、彼の出身地である高知
にちなんで「南海」と改められたといいます。その伴之も昭和21年に死亡したといいます。

 



連続テレビ小説 おしん 総集編 [DVD]
高橋悦史
NHKエンタープライズ
2011-11-25



1 相互監視社会になる
今日は、歴史の話というよりも、もし現在が戦前のような日本に戻ったらどうなるかを検討したいと思います。日〇会議あたりは戦前の価値を良しとして、戦前のように日本を戻すべきだと主張しておりますが、はっきり言って、良くならないと思います。むしろ、それは日本にとって大変マイナスだと思います。

戦前は治安維持法といって、共産主義者のみならず政府を批判するものを弾圧する人間を弾圧する法律が作られました。「おしん」でも、おしんの恋人の浩太が、農民の小作運動をやって、農民を救おうとしたのですが、危険人物として政府からにらまれ、政府のみならず、世間の人からも危険な人間だと思われていたのです。

戦時中になるともっと大変で、戦争は嫌だといっただけで、非国民だと袋叩きにされてしまいますし、最悪の場合、逮捕されてしまいます。

「火垂るの墓」でも、まだ中学生の清太にさえ、西宮のおばさんは、冷たく当たるのです。身内でさえもその調子だから、世間はもっと冷たく厳しい態度をとるでしょう。お国のために働くのは当たり前で、戦争が嫌だなんてとんでもないって価値観だったのです。

もし、治安維持法が今の日本に復活した場合、戦前よりもひどいことになりそうですね。いまはマイナンバーとかありますから、個人情報をを政府ががっちり握ることができるし、民間レベルでも、SNSで、政府を批判したもの、あるいは戦争は嫌だといったものがさらされれてしまう恐れがある。戦前、戦時中はまだ緩い面もあったし、まだ人情が根付いていたから、まだよかったが、今の日本は人情も薄くなりましたし、いろいろ昔より規制とか厳しい時代になりました。正直、怖いですね。それに徴兵制が復活したら怖いですね。昔は徴兵逃れといってうまく逃げた人もいたが、今は情報網も発達し、やはりマイナンバーで個人情報が政府に抑えられております。うまく逃げても、SNSでさらされてしまう恐れもある。はっきり言って、戦時中よりもやばい社会になりますね。


2 社会保障が認められない

「日本の社会保障は海外と比べると恵まれている、日本素晴らしい。」なんて書き込みをネットでしばしば見かけます。だから、海外で働きたい、移住したいなんて人に対して、おせっかいにw水をさす人もいます。確かに今は社会保障は充実しております。しかし、古くは石〇慎〇郎とか、いまの大阪維〇の会のやっていることを見ていると、社会保障はどんどン減らされ、このままいいわ、いいわで社会保障削減を手をこまねいてみていると、そのうち戦前並みになってしまう可能性も否めません。そうなれば、海外の社会保障は貧弱だなんて、笑えなくなるでしょう。

日本の社会保障が厚くなったのは戦後。戦時中は社会保障なんて全くなくて、年金なんてありません。また今の日本は国民皆保険ですが、戦前はそうでもなく、保険料も高くて、所得がある人じゃないと払えなかったのです。おしんの家族なんて保険料払う余裕なんて全くなかったから、具合が悪くなっても医者もなかなか呼べないのです。医者が来てくれたとしても、ろくな治療もしてくれません。



さらに、戦前は生活保護もありませんでした。だから家が貧しくなって、食べ物に困っても国は知らん顔。困った家は、「おしん」みたいに幼い我が子を奉公に出したり、最悪遊郭に売ったりしたのですよ。お金もそうだけれど、口減らしのためですね。口減らしというのは、とてもざんこくな言葉で、子供を奉公とかに出すことで、その分家族の食費を減らせるという寸法なのです。もちろん、奉公先でもろくに食べ物など食わせてもらえず、「おしん」の加賀屋みたいに奉公人に腹いっぱいくわせてやるなんてところは非常にまれでした。幼い子供を働かせるなんて今なら児童福祉法違反ですが、当時はそんな法律もありませんし。

で、生活保護の前身である救護法が定められましたが、救護法が定められたのは1932年(昭和7)でした。だから、明治大正時代はそうしたものは一切なし。しかも救護法が制定されるまで、いろいろ紆余曲折がありまして、議会でも「怠け者を増やすだけ」といって反対意見も結構あって、なかなか審議が進まなかったといいます。その救護法制定に尽力したのが渋沢栄一です。意外ですよね。

それと、昔の金持ちは、芸術の才能がありながら世渡り下手な人のパトロンになってあげるほどの木間の良さもありましたっけ。いくら芸術の才能があっても世渡り下手なら、まともな職業に着けず、まして明治大正の時代だったらホームレス街道まっしぐらでしょう。宮沢賢治だって世渡り下手でしたが、父親の支えがあったから生活できたのです。

かたや今の財界人や金持ちって弱者救済やパトロンどころか、自己責任論をかかげ、弱者に対して説教をしそうな人ばかりですもん。アメリカでさえ生活保護の制度があるのに、もし、戦前のように生活保護がなくなれば、大変ですね。そうなれば水商売や売春さえも生きるために厭わずやる人も出てくるでしょう。

3 女性の人権がなくなる。
 いま中居正広やフジテレビの性被害のことが問題になっております。昔はフジテレビは「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズのもと、子供向けの番組や良質な番組作りを心掛けてきたが、80年代に入って「面白くなきゃテレビじゃない」とバラエティー路線に走ってからおかしくなったという意見もありますが、いろいろ調べてみるとフジテレビの創業者である鹿内信隆は、もともと軍の関係者で慰安所を作り、しかも慰安所を作ったことを自慢げに語っております。僕はこれを見るにつけ、フジテレビの体質って結構根が深いと思ったし、「慰安婦なんていなかった」なんて話もきくけれど、ウソだなって思いましたもん。



それに慰安所の事は水木しげるの漫画にも出てきますし。


セクハラ、いじめと同じで、やったほうは覚えていなくても、やられたほうはしっかり覚えているんですよ。「おれはセクハラしてない、性被害なんてとんでもない」って思っていても相手にとってはそれは屈辱だったりするのです。まして戦前は家父長制でしたから、男性の権利が認められ、女性は蚊帳の外。ですから、男の人がセクハラなんてやっても、やりたい放題。抵抗すれば頬を叩いていうことを聞かせればいい。そんな時代でした。もし、今の日本が戦前のような時代に変えたら、セクハラという言葉が消えるでしょう。そして性被害もぐんと増えるでしょう。ネットで日本は性被害が世界でも圧倒的に少ないと威張っていられなくなるでしょう。










4 社会主義が台頭するようになるかも


「人はみな自由だ。家や親に縛られて、私の人生さどこにあるっていうんだ!」

「おしん」にでてくる、お加代さまは加賀屋の跡取りになることに興味もなく、絵描きになるのが夢でした。そして、加代は当時、新しい考え方だった「白樺」や「青鞜」にはまったのです。特に「青鞜」は当時最先端の考え方であったフェミニズムを説いたものでした。なにしろ明治末期の日本では良妻賢母こそが女性に求められており、選挙権はなかったのです。また、治安警察法は女性の政治活動を禁止されていたのですから。でも、人間は本来自由であり、女性は己の実力を思う存分発揮すべきだという考え方でした。当然、お加代さまの心をとらえたと思います。

『青鞜』の名は"Bluestocking"(ブルーストッキング)の和訳で、生田長江がつけたといいます。18世紀にロンドンで、フォーマルなシルクの黒い靴下ではなく、深い青い色の毛糸の長靴下を身につける事が、教養が高く知性を尊重する婦人達のグループ(ブルー・ストッキングス・ソサエティ(英語版))のシンボルとして採用された事から引用されたものです。

ともあれ、良妻賢母であり、家の跡取りになることを強いられる加代にとっては、これらの思想は魅力的であり、さらに加代は社会主義にも傾倒します。

これはドラマだけの話ではありません。実際に明治、大正の価値観、そしてその理不尽さこそが、社会主義にはまる人間を増やした一因であると思います。社会主義のみならず、戦後の民主主義的な価値観もすでに戦前から生まれていたのですよ。しかし、時の政府は、それを危険思想といって批判し、弾圧しまして。もし令和の現代でそんなことをしたら、反発する人も多数いることでしょう。そうなると案外、一時はソ連崩壊で否定されていた共産主義や社会主義が再び日の目を見るかもしれない。







前回の記事で取り上げたゲッペルスの手法は、日本も学んだのですよ。恐ろしいですね。日本放送協会つまり
NHKも、ゲッペルスの国民啓蒙・宣伝省を参考にして組織づくりをしたといいます。当時の近衛文麿首相は異常というほどナチスかぶれで、ヒトラーのコスペレまでしたほど。安倍晋三がヒトラーだという人がいますが、そんなの手ぬるい。近衛文麿は、東条英機のせいで目立たないけれど、彼こそ日本を軍国主義に推し進めた張本人だといっても過言ではありません。


当時、日本でも普及してまもないラジオを用いて、近衛は勇ましい言葉を国民に訴えたのです。また近衛は日独伊三国同盟を結んだり、ナチスにまなんであらゆる政党を解体し、大政翼賛会を作り上げたのですから。

隣組とか、市民を戦争に駆り立てるための組織を作ったり、戦争に反対するものをアカだの非国民だのと攻撃する仕組みも作ったり。まさにゲッペルスの真似事だなって。実際、多くの国民が日本のプロパガンダに乗っかって、戦争協力を率先的に行いました。戦争が終わったとたんに、プロパガンダに乗った人ほど「騙された!」っていうのです。しかし、伊丹十三監督の父である伊丹万作は、それは違うと看破したのです。↓






↑「反日」と「親日」の区別、面白い視点だと思います。日本のお世辞を言うことが親日とは限らないですね。

お世辞もある程度、事実に基づいているのならよいけれど、あんまり現実や事実と離れていると嫌味に成ると思うんです。例えばテストで毎回赤点の人に「あなたは勉強がおできになる」ってなんて言ったら、かえって嫌味や誉め殺しに成る。そういえば「TPぼん」にもそんなセリフが出てきたっけ。



だいたいお世辞を言う人って下心がある人が多いんですよ。表では上司のゴマをすっても陰では会社や上司の悪口や不平を言っている。お世辞やゴマをするのは上司に気に入られて出世したいだけの話。だいたい日本に対して必要以上にお世辞いう外国人って何かしらの下心あるんじゃないかって疑った方がいいくらい。

で、日本をちょっとでも批判すると反日。それが事実であったとしても。

例えば、フランス人画家だったビゴーは日本を揶揄するような絵を描き、ネットでは反日なんて言われてるが、ビゴーが批判したのは日本国家の皮相的な欧化主義であり、日本の伝統的な文化や庶民の営みには敬意と共感を抱いていたんですよ。晩年は自宅の庭を日本風の庭園にしたり着物も着て、フランス人から「日本人」と言われたほど。めちゃくちゃ親日じゃないですか?ちょっと日本を揶揄したからといって、それで反日認定するなんてもったいないです。










以前にパラオのことを書きましたが、たしかに日本の植民地だった人が日本の統治時代を懐かしんだって話は本当の話です。台湾もそう。けれど、戦時中の話はそんないい話ばかりではありません。戦時中、日本軍はアジアの開放を助けたアジアの英雄だってネットでいわれているけれど、実際は異なります。僕の知り合いがフィリピンに行ったけれど、現地の人たちは、戦時中は日本軍にひどい目にあったって。そんな話を聞かされたそうですよ。

宮崎駿が「フィリピンでの虐殺や蛮行を忘れるな」って言いました。それは、我々戦争を知らない世代に対して歴史修正主義者が「フィリピンの独立を助けた」とか「感謝している」とか言ってきても、実は日本軍による虐殺や蛮行もあって、そんな歴史修正主義者に流されちゃだめだよって意味だと僕は思います。実際、現在のフィリピンの高額紙幣は、マゼランと戦ったフィリピンの英雄ラプラプ王ではなく日本人に処刑された三名の抗日運動家なんですよね。

ホセ・アバド・サントス最高裁長官

ビセンテ・リム陸軍司令官

ホセファ・リャネス・エスコダ女性開放運動の活動家


フィリピンとか東南アジアが親日になったのは戦時中というより、むしろ戦後の日本が東南アジアに対する補償だとか民間人の頑張りとか、そういった面のほうが大きいと思う。




台湾の統治だって、たとえば小◯よし◯りの『台◯論』とかでは、あたかも台湾人のみながみな旧日本の統治を感謝しているみたいな書き方だけれども、確かに日本はインフラを直したり、いろいろやったので、感謝している人もいます。しかし、実際は現地の人を強制労働したり、霧社事件むしゃじけんという抗日運動までありました。しかし「台◯論」とか保守系言論人の書いた本をみてると、日本の功績ばかりで露社事件の話は出てこない。









僕はなにも日本をなじるつもりはないが、人間のすることですからね。良い面もあれば悪い面もある。なのに都合の悪い話をひた隠しするのはやめましょうって話。特に戦争は。古今東西、戦争の歴史を振り返ってみても弱いものに対する蛮行や虐殺はなかったなんってことは、まずありえないことです。聖戦といわれた十字軍だって、実際は十字軍が現地の人たちから略奪や虐待、はては人身売買まで行われたといいます。十字軍の欺瞞に関しては近々僕のブログで触れたいと思います。





あと1990年から1991年の間におこった湾岸戦争のとき、原油まみれの水鳥の映像が流され、イラクの仕業だといわれておりますが、実際は、ペルシャ湾に石油が流出したのは米軍の攻撃が原因だったことが判明しております。アメリカとしてはいつまでもイラクの仕業にしたかっただろうけれど、結局それもかなわなかったってことでしょうね。







このページのトップヘ