百田尚樹の『日本国紀』の感想を書いてみて、「う〜ん」と思うこと多々あったのですが、『日本国紀』の突っ込みどころといいますか、『日本国紀』を通して知った話もいろいろありました。大伴部 博麻 の存在もそうです。
今日は、「日本国紀」の感想をいったんお休みして、大伴部の話をします。
大伴部は、新羅の攻撃によって滅亡した百済を再興すべく派遣された人間です。こうした日本の百済再興運動は白村江の戦い(*1)に発展します。
大伴部は唐軍にとらわれて長安まで送られてしまいます。長安には唐と日本が戦争状態になったために捕まった4人の遣唐使がいたのです。664年に唐が日本侵略を企てていることを大伴部が知ってしまった。それで、自らを奴隷として売り、そうして得たお金を4人の遣唐使たちの帰国資金に充てたといいます。4人は671年に帰国し、唐が日本侵略を企んでいることを伝えたといいます。
唐に残された大伴部は長安に残ったのですが、690年に許され、帰国することができたのです。そして持統天皇は大伴部の功績をたたえ、官位を与えたり、褒美もあたえ、また、子孫三代に渡って水田を相続を許可する事と税の免除を約束しました。
そして、勅語も送りました。「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」と。なんて読むのか不勉強の僕にはわかりませんが、この勅語には「愛国」という言葉があります。そして、この勅語は天皇から一般個人に向けられた最初で最後の勅語だといわれております。第二次世界大戦時の日本で大伴部博麻は愛国心の象徴的存在として崇められたといいます。
今日は、「日本国紀」の感想をいったんお休みして、大伴部の話をします。
大伴部は、新羅の攻撃によって滅亡した百済を再興すべく派遣された人間です。こうした日本の百済再興運動は白村江の戦い(*1)に発展します。
大伴部は唐軍にとらわれて長安まで送られてしまいます。長安には唐と日本が戦争状態になったために捕まった4人の遣唐使がいたのです。664年に唐が日本侵略を企てていることを大伴部が知ってしまった。それで、自らを奴隷として売り、そうして得たお金を4人の遣唐使たちの帰国資金に充てたといいます。4人は671年に帰国し、唐が日本侵略を企んでいることを伝えたといいます。
唐に残された大伴部は長安に残ったのですが、690年に許され、帰国することができたのです。そして持統天皇は大伴部の功績をたたえ、官位を与えたり、褒美もあたえ、また、子孫三代に渡って水田を相続を許可する事と税の免除を約束しました。
そして、勅語も送りました。「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」と。なんて読むのか不勉強の僕にはわかりませんが、この勅語には「愛国」という言葉があります。そして、この勅語は天皇から一般個人に向けられた最初で最後の勅語だといわれております。第二次世界大戦時の日本で大伴部博麻は愛国心の象徴的存在として崇められたといいます。


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