久々に「戦前はよかったか?」シリーズ書かせていただきます。

最近、アマゾンプライスで「おしん」を最初から見てます。リアルタイムでは僕も小学生だったので、ほんのちょぴりしか見ていないのですが。しかし、見始めたら、本当にはまりましてね。「おしん」といえば、小林綾子が演じた幼少時代ばかりがクローズアップされますが、小林綾子、田中裕子、乙羽信子とおしんを演じる人が3人いて、それぞれ幼少期、青年期、壮年ならびに晩年を演じているのです。おしんをとおして、明治から昭和の激動の日本を描いているのですね。ともかく、橋田寿賀子の脚本が素晴らしく、引き込まれるんですよ。次から次へと、おしんに降りかかる災難。本当に面白い。

そして、「おしん」全編で、もっとも長く、もっとも面白いのが田中裕子が演じている青年期。「おしん」は映画化もされましたが、なぜか一番面白い青年期ではなく幼少期のみ。映画に出演した泉ピン子が不満を漏らしたといいますが、わかるような気がする。「おしん」は幼少期だけではなく、青年期、晩年までをセットに描いて成り立っているのですから。

で、僕が「おしん」を見て気になったのが、おしんの父親の作造と、作造の長男の庄治、おしんからみたら兄です。おしんの父と兄は、おしんが働いて得たお金をたびたび無心していて、あてにしていたのです。で、父と兄は酒を飲んでは、家の中で威張っているのですね。当時の小作農は貧しくて苦労したのはよくわかりますが、自分たちのために外で苦労して働いている、おしんの身にもなってみろよって言いたくなります。

しかも、この父・作造がクズそのものでして、幼いおしんを奉公に出しただけでなく、女房までも旅館の女中として奉公させたのです。今じゃ旅館の女中といえば下働きをすればよいのですが、昔は下働き+男の相手までしたのです。要するに風俗嬢まがいなことまでしたのですよ。もちろん、すべての旅館がそうではないのですが、昔は女中にそういうことをさせていたところも少なからずあったのですよ。

もちろん、クズ父の言い分もわからなくはないのですね。当時の小作農は自分で育てた田畑のお米だとか野菜だとか、そういったものを地主に納めなくてはならないのです。しかも、地主が強欲だと不当に物納をする必要があるのです。それで、残ったものを小作農はいただくのですが、ほとんど物納をしたため、食べる者もほとんど残っておりません。ひえやアワなんて当たり前で、たまに麦飯が出る程度。ひえやアワなんて今じゃ鳥の餌ですが、昔は農民の主食だったのです。

それで食べるものが少ないので、地主にお金を借りるのですね。そうして小作農は借金も膨らみ、地主だけが良い思いをしたのです。食べるものも少ないうえに借金もたまる。

まして、当時の農村は核家族ではなく、子供もたくさんいて、高齢者も抱えていたのです。これじゃあ食費も大変ですね。そんな状況だから、幼い子を口減らしで奉公に出していたのです。それで高齢者を姥捨て山とかに捨ててしまったり。おしんの家は大家族で、おしんだけでなく、姉も製糸工場で病気で亡くなるまで働いていたのです。

そんなに困った状況なのに、クズ父は子供を作るばかりで、しかも大酒のみ。だから、ネットではツクールってあだ名があるんですよ。意味は、借金や子供をたくさんつくるからツクールってよばれております。もちろんツクールってあだ名は作造という名前からも来ていると思いますが。しかも、作造は本当にクズですぐに女・子供に暴力をふるう。人間の屑ですね。


おしんの兄の庄治も作造の輪にかけてひどい男で、おしんの送ったお金でのうのうとしていられるのに、感謝どころか、おしんにつらく当たるのですね。しかも、庄治が嫁をもらうので家を建て替える必要がある。その建築費用も、おしんに出せっていうのですね。なんとわがままで身勝手なんだと思いますね。令和の時代に、こんな男が本当にいて、身内からsnsでさらされたら、間違いなく大炎上でしょう。

後クズといえば、、おしんの親友のお加代さまという人がいて、そのお加代様の亭主もひどい男で、いつも芸者遊びをして、芸者が身ごもると、それを正当化して、そのバカ亭主はどうどうとお加代さまに認知して、お加代様を泣かせてしまう。しかも、お加代様の亭主は、商売が下手な人だったから、加賀屋もどんどん傾いてしまう。

でも、そうした父と兄、お加代様の亭主の身勝手が当時は許される時代だったのです。明治時代以降、家父長制がとられ、家族で一番偉いのは家長であって、家長のいうことは絶大で、家族の決めごと、たとえば冠婚葬祭すべてにおいて、家長のいうことがすべて。たとえば、恋愛をして好きな人ができても、家長が気に入らなければ、結婚をあきらめるしかないのです。戦前に心中が多かったのもそのためです。しかも、家の財産は家長が独占できて、家長が家の金を酒に使ったりギャンブルに使っても、家族は何もいえないのです。しかも家長の財産は基本的に長男に相続されました。おしんの父が、おしんに無心するのも、おしんの稼ぎもオレや長男の庄治のものって感覚から来てるのでしょう。

で、樋口一葉のような例外もあるけれど、家長は基本的に家の長男がなるものでした。家父長制があれば、長男が偉いのですね。女は男に何をされても泣き寝入りするしかなかったのです。そういえば、おしんの恩師である加賀屋の大奥様は「女は亭主のため、子供のために自分を犠牲にしても尽くすものだ」といっていました。それは当時では当たり前の価値観でした。

もし、そんな家父長制が令和の時代に復活したら、家長をある意味甘やかしてしまいます。家長が家でゴロゴロして、子供や配偶者が代わりに働くなんてことがまかり通ったり、家長がギャンブルやったりdvしても、泣き寝入りするしかないのです。

ちなみに某政党のつくった憲法案にも家父長制の復活がうたわれております。しかも驚いたことに、保守系の女性の議員や識者が、それを積極的に支持しているのですね。僕には信じられないことです。旦那がいい人できちんとお金も入れてくれる人ならいいが、作造や庄治、お加代さまの亭主みたいな男だったら一生苦労するよって。

じゃあ、樋口一葉のように、女性が家長になればよいかといえば、それもどうかなって。おしんは佐賀の田倉家に嫁に行ったのですが、長男がいたものの、実質、田倉家の家長は、おしんの姑の清でした。清が家では絶大な権力を持ち、おしんも相当いびられたのですよ。僕の祖母もわがままで身勝手で、我が家で絶大な権力を握り、祖父や父も祖母に頭が上がりませんでした。母のことも相当イビってました。祖母に責められ母が泣いていたのも幼心に覚えております。

家父長制は終戦とともに制度としてはなくなりました。しかし、日本人に一度根付いた家父長制はなかなか払拭されませんでした。「おしん」でも、今まで家父長制という制度に苦しめられた、おしんが戦後になると、もっといえば田中裕子から乙羽信子にバトンタッチした途端に、若い世代を押圧する立場になったのです。おしんが頭でどんなに家父長制を否定しても、身体に染みついている。自然と家長のように威張ってしまう。そんな恐ろしさを橋田壽賀子は見事に書いています。実際、戦後教育をバッチリ受けた団塊世代でさえ家父長制の価値観を持っているくらいですから。

家父長制というのは独裁制と同じで、家長が英明で公平な人だったら、うまく機能するが、クズみたいな人間がこの制度を悪用したら泣くのは家族です。下手すりゃ家がめちゃくちゃになります。そんなんドラマの中の話だろって声が聴こえてきそうですが、「おしん」の登場人物のような苦労をした人は多かった。だからこそ、放送当時大きな反響を呼び、いまだに朝ドラで「おしん」の視聴率を超えるドラマはないのです。