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写真の女性は横田英。横田英は富岡製糸場の工女さんで、富岡で働いてから故郷の松代に帰り、後進こうしん(※1)の指導に当たった人物です。そして横田英は、「富岡日記」を書きました。横田はのちに結婚して和田さんとなります。今日は横田英が残した日記をもとに工女さんたちが一等工女になるためにどんな修業をしたのかを2回にわたってみていきます。






1 初仕事



「第一に目につきましたのは糸取り台でありました。台からひしゃく、さじ、朝がお(※2)みな真ちゅう、それが一点のくもりもなく金色 目をるばかり。第二は車、ねずみ色にぬり上げた鉄木と申すものは糸わく大枠おおわく。第三が西洋人男女。第四が日本人男女見回りいること。第五が工女が行儀ぎょうぎ正しく一人もわき目もせず業に就き居ることでありました。」


『富岡日記』P22(横田英)より




 「広く高きテーブルに大勢並んで一心により分けておりました内の古参こさんの人が参りまして、私どもをそれぞれ場所につけまして、(繭の)りわけ方を教えてくれましたが、これがなかなかむずかしくあります。まゆのたけから大きさ・・・。針でついたほどのよごれがあっても役には立ちません。選分けましたとのえり出しましたのを、高木と申す人と教えた人で改めまして、少しでも落ち度があると中々やかましく申します。隣の人と一言でも話しますと、『しゃべってはいけません』としかられます」


『富岡日記』P22~23より



かくて横田英は富岡での仕事が始まったのですが、最初の仕事は繭えりでした。これはダメな繭を取り出し、品質の良い繭だけを抜き出す作業です。カイコのくさいにおいが立ち込める作業所の中で、たくさんの繭の中から良い繭を探し出すのですから、単純ではありますが、手間のかかる作業です。それでも横田英は一生懸命作業をしました。

また、英にとっては、富岡製糸場の何もかもがめずらしく思えたのでしょう。何しろ富岡製糸工場といえば、日本の製糸工場の最先端さいせんたんを行くところでしたから。初仕事なので緊張きんちょうもしたのでしょう。おしゃべりをしていたら、おしかりをいただいたなんて、横田も年頃としごろの女の子だなあってほほえましく思えました。



2 揚げ枠

 

小枠は六角でありまして中々丈夫に出来て居 ります。大枠も六角であります。小枠から揚げますに、まず水でしめしまして、下の台に小枠を さす棒があります。それにさしまして、六角の上に真鍮の丸い板金を乗せるのであります。糸が 角にかからぬように致しまして、ガラスの上から下がって居るかぎにかけ、それよりあやふり・・・・に ガラスのわらびの形の物があります、それに通して大枠にかけるのでありますが、中々面倒なも のでありまして、つなぎ目はごく小さく切らねばなりませず、横糸が出ましてはいけません。口 の止め方その他色々のことを年下の人に教えてもらいましたが、中々やさしく叮嚀ていねいに教えてくれ ました。


『富岡日記』P29~P30より。



繭えりの作業を覚えたら、次は揚げ枠です。いわゆる揚げ返しです。この作業は巻き取った生糸をもう一度巻き返す作業です。なんのためにするかというと、繰糸くりいとの作業でとったばかりの生糸はれているのですね。それを生糸を乾燥させ、生糸の固着を防ぐために巻き返しをするのです。日本は湿気が多いので、生糸が濡れやすいのですね。それで、こういう揚げ返しという作業が必要になってくるのです。

なかなか難しい作業らしく、時々糸も切れてしまうことがあるそうです。それで横田英は、神様に「切れないでくれ」って願をかけながら、この作業をしたといいます。この揚げ枠の作業をマスターしたらいよいよ糸取りの作業に移れるわけです。



3 糸取り作業



その日私に糸のとり方を教えてくれた人は西洋人より直伝の人で、入沢筆と申す人でありまし たが、実にやさしく教えてくれました。退場の時などは私の手を引き妹の如くにしてくれました。 私は只さえ嬉しく思いますに、また師と敬うその人は右の次第でありますから実に喜びまして、 皆信心の徳だと存じまして、その人を私も尊敬して居りました。(略)弟子ばなれを致しまして、新釜と申しまして段々三 等の下の方の釜が明きまして其処へ移されました


『富岡日記』p32からP33を引用






男女二人二十五釜の前を行き来して、糸のむらになりませんように見て 歩きまして、太過ぎても細過ぎても切れてしまいます。湯かげん、しけの出し方、蛹さなぎの出し方等 やかましく申されます。それで聞きませんと叱られます。その上西洋人が見廻りまして、目に止 りますと中々厳しく申します。これは直に工女中の評判になりますから、如何なる者も恥かしく 思いますように見受けます。実に規則正しいもので、あれでなければ真の良品は製されぬかと思 います


『富岡日記』P36〜P37より引用




揚げ返しの作業を覚えたら、いよいよ糸取りの作業を教えてもらえるのです。これこそ、富岡に入場したばかりの工女さんのあこがれ、糸取りをようやく教えてもらえたものたちは喜んだそうです。レストランに例えれば、掃除や皿洗いなどの下積みを経て、いよいよ調理を任される段階です。




糸取りの仕事中、検番や外国人の先生(男女)が見回りをします。検番や外国人の先生は糸の出来具合をチェックをしたり、さぼっていないかをみまわっていたのです。とくに外国人の先生はなかかな厳しかったそうですね。その様子は『富岡日記』にも書かれております。


また、富岡製糸場にもノルマがありました。糸をとる実力によって階級が決まっておりました。一番は一等工女でした。一等工女は平均して一日に五升とったそうです。横田英はがんばってなんと八升とれるようになったそうです。






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4 一等工女




「私ども一行はみな一心に勉強しておりました。・・・何を申しましても国元へ製糸場が立ちますことになっておりますから、その目的なしにいる人々とはちがいます。・・・その内に一等工女になる人があると申す大評判があり、西洋人が手帳てちょうを持って、中廻なかまわりの書生や工女といろいろ話して居りますから、中々心配でなりません。・・・私どもは実に心配で立ったりたりいたしておりますと、その内に呼び出されました。横田英一等工女申しつけそうろう事。」
『富岡日記』P49より引用




「呼び出しのおくれました人は泣き出しまして、えこひいきだの、顔の美しい人を一等にするだのと散々さんざん申して、後から呼出しが来て申付けられました時は、先に申付けられた人々で大いじめ大笑い、しかし一同天に昇るが如く喜びました」


『富岡日記』P49〜50より引用




一年また一年月日を重ねていくにつれ、工女さんの中から一等工女が誕生することもあります。一等工女とは優秀ゆうしゅうな工女さんのことで、給料も大幅アップしたりと何かと優遇ゆうぐうされました。そして、一等工女には紅色のたすきがわたされます。


のんびりしている工女さんはともかく、あの子もどの子も一等工女を目指していたそうです。その中でも横田英は、がんばり屋だったようで見事一等工女になることが出来ました。しかし、横田が一等工女になった事をよろこんでいる人ばかりではありません。



横田英は、他の工女さん達の嫉妬しっとも買ってしまったようです。「顔が美しいから一等にしたんだろ」とひがむなんて、いや〜嫉妬しっとは怖いですね。この日は横田だけでなく、ほかの何人かの工女さんも「一等工女」になりました。一同喜びましたとあるように、所長に息のかかった人や美人が一等工女に選ばれるのではなく、実力があれば、正当に評価してもらえる社会だったのですね。



かくて、横田英のように一等工女になった工女さんは、富岡製糸場を卒業して、地方の工場へ派遣はけんされ、そこで後進の指導にあたるようになったそうです。





※ 参考文献



富岡日記 (ちくま文庫)
和田 英
筑摩書房
2014-06-10