(この記事は2021年12月5日に加筆しました)

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野口英世が成功をしているときに、シカからの手紙が外国にいる野口英世の元に届きます。

http://www.geocities.jp/sybrma/315hideyonohahanotegami.html
(↑ シカの手紙の内容はこちらのサイトにっております。)

手紙の内容は、「あなた(息子)の出世ぶりにはとてもおろどきました。あなたの顔がみたくなりました。どうか、一目だけでもいいから家に帰ってきてほしい」というものです。

シカは、文字の読み書きができない人でした。それでもアメリカにいる息子に手紙を書くために、必死で文字を覚えたのです。味のあって、息子への想いが伝わるような字です。手紙の日付は1912年(明治45年)1月23日です。しかし、手紙を受けたった英世はすぐに日本に帰ることができませんでした。当時の英世はノーベル賞の候補に選ばれるなど多忙な日々だったのです。

1915年(大正4年)9月に英世は15年ぶりに帰国し、シカと再会しました。英世が手紙を受け取ってから、およそ3年経ってからのことでした。英世は2ヶ月滞在したと言います。しかし、これがシカと英世の今生の別れとなりました。

英世がエクアドルで黄熱病の研究をしていた頃、シカは病に倒れ66歳で亡くなったのです。シカは病床で息子の名前を何度も呼んだと言います。異国の地で母を亡くした知らせを聞いた英世はショックを受けました。英世は涙をこらえ、こうつぶやきました。

「身体は消えても、母は私の身体に残っているから、さみしくありません。」


戦後、高碕達之助(たかさき たつのすけ)という政治家が、猪苗代湖いなわしろこ湖畔こはんにある野口英世の記念館におとずれ、シカの手紙にたいそう感動したそうです。以下、高碕の言葉を少し引用します。

きわめて稚拙ちせつな筆で精一杯努力して書かれたこのたどたどしい手紙には、天衣無縫てんいむほう(※1)の母の愛が一字一字に、にじみ出ていて、照合しつつ読んでいくうちに、、私はとめどもなくなみだがでて困りました」


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(野口シカの手紙の写し。野口英世記念館の売店で売っていた。)

※1 性格や言動がありのままでかざり気のないこと。 のびのびとして美しい様。 詩や文章が自然で美しく、わざとらしさのないことのたとえ。

*参考にしたもの
おみやげに買った「野口シカの手紙」の写しに同封どうふうされていた解説文を参考にしてブログを書きました。また、「THE歴史列伝」も参考にしました。