今日から3回に分けて、信州の鬼無里きなさに伝わる鬼女・紅葉きじょ・くれはの伝説をお話します。鬼女・紅葉の伝説は平安時代中ごろのお話です。藤原道長ふじわらのみちなが紫式部むらさきしきぶらが活躍かつやくするちょっと前でしょうか。


今回のお話の主人公である紅葉くれは(幼少期は呉葉くれはという名前だった)は、基本的には優しいけれど、怒ると鬼のようにコワい女性だったそうです。うちのかみさんみたいだなんて言わないでくださいねw


紅葉くれはの人生は一言で言えば、ジェットコースターのような人生で、気の毒といえば気の毒な人です。それではお話を続けましょう。

福島県の会津に笹丸ささまるという男がいました。笹丸は奥さんと暮らしていましたが、子どもがいませんでした。そこで、笹丸夫妻は第六天魔王だいろくてんまおうに「子供を授けてください!!」ってお願いしたのです。笹丸夫婦のいのりが通じたのか、女の子がうまれました。それは承平7年(937年)のことです。笹丸夫婦はその子を呉葉くれはと名づけました。

呉葉くれはは生まれつき頭がよく、しかも美人だったそうです。成長するに従って、教養もどんどん身に付けていきました。また呉葉くれは妖術ようじゅつの心得もありました。代表的なのは「一人両身の術」。自分と姿も性格もそっくりな分身をつくりだす妖術です。

そんな呉葉くれはに恋をした若者もいました。けれど、呉葉くれはは「一人両身の術」で自分の分身を作り、その分身を若者におし付けてしまったのです。そして、呉葉くれは一家は会津から京の都へ引っこしました。若者はニセモノだとも知らずに、呉葉の分身を可愛がっていたそうです。知らずが身のためですね。

京に引っこしてきた呉葉くれは一家は、名前を変えました。父や母はもちろん、呉葉くれはは紅葉(くれは)と改めました。せっかく、京で暮らすことになったのだから、心機一転で名前も変えようと思ったのかもしれません。紅葉一家京都・四条通りに化粧品けしょうひん髪飾りかみかざりを売る店を開き、親子水入らずで暮らしておりました。そんな紅葉一家に思わぬチャンスがやってきます。

天暦7年(953年)の6月の末に、夕涼みゆうすずみにきた源経基みなもとのつねもとの奥さんが、紅葉をみるなり、紅葉を腰元こしもととしてスカウトします。

腰元となった紅葉は、美人で頭もよいからどんどん出世しました。そして、宮中を取り仕切れるようなオエライさんに出世したのです源経基みなもとのつねもとに愛されて、紅葉は源経基みなもとのつねもと側室そくしつ(※1)になりました。、紅葉のお腹には赤ちゃんができました。まさに紅葉は幸せの絶頂でありました。

しかし、紅葉はだんだん周りの人からけむたがられるようになります。

「側室のくせに、子をつくるなんて」とか「あの、成り上がり女め。私だって経基様が好きなのに」みたいな、カゲ口をたたかれたり、ネチネチとイヤミを言われました。紅葉は頭もよく美人だったから。ましてや源経基みなもとのつねもとに愛されて、子どもをつくったなんて、やっかまれます。人の嫉妬はおそろしいですからね・・・

ある日御台所みだいどころ(※2)が病気になってしまいました。家来達はの病気が良くなるように、祈願きがん,に明け暮れました。やがて、「御台所が病気になったのは紅葉が御台所にのろいをかけたのだ」とウワサされるようになりました。この時代は医学が発達していない時代でしたから、病気の原因を神仏の祟りだとか、誰かの呪いだと思われていたのですね。

だんだんウワサがエスカレートして、「紅葉を殺してしまえ」と言う人間まで出てきました。結局、紅葉は愛する源経基のもとを去り、信州の鬼無里に飛ばされてしまいます・・・

※1 正妻がいる状況で後継者を作るために迎えた女性のこと。織田信長とか徳川家康とか昔のエライ男性は、正妻のほかに、何人か側室がいることが多かった。
※2 正妻のこと。