history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

1 ものまね王座でおなじみだった。
NHK朝ドラで「ブギウギ」やっていますね。笠置シヅ子のモデルのヒロインが活躍するドラマですね。僕もちょくちょく見ていますよ。このドラマに茨田りつ子という女性が出てきます。モデルは淡谷のり子。淡谷のり子といえば戦前から活躍した大歌手です。茨田りつ子を演じたのが菊地凛子。彼女のしゃべり方が、淡谷先生にそっくり。おそらく菊地凛子は、ユーチューブか何かで、ものまね王座の動画をみて研究したのかなっておもいましたよw

でも、僕は正直、「ものまね王座決定戦」の審査員のイメージが強いというか強すぎるw毎回、厳しいコメントを発するが、真面目にやると優しい。お笑い路線をとっていたタレントには厳しく、特に清水アキラには厳しかった。そうかといえば、同じお笑い路線の田代まさしや稲川淳二、コロッケには優しく、もちろん叱ることもあるが、たいていゲラゲラ笑っていた。清水アキラのそれと、どこに違いがあるのか良くわからんがw、淡谷はまず下ネタはNGであることは間違い無いと思う。

でも、清水アキラが真面目にやっていた時は素直に褒めていた。テープ芸を初めて披露したときは10点をつけて「いつもそうなさい」だって。しかし、テープ芸って真面目なの?よくわからんwともあれ淡谷先生は清水アキラが嫌いなのではなく、真面目にやったら上手いのに、やらないから怒るのだと思う。清水アキラも淡谷のことは尊敬しており、花束を贈ったり、淡谷が亡くなったときはいの一番で駆けつけたとか。

あっと若い子は知らないだろうけれど、ヒップアップというお笑いトリオがいて淡谷のモノマネ毎回やってました。淡谷のまねで曲は田原俊彦の「あッ」とか荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」だとか色々バリエーションはあるけれど、代表曲なのは小泉今日子の「なんてたってアイドル」。サビの「♪なんてたってアイドル」を繰り返すだけwそれがなんとも面白いし、また御本人の前でよくできるなって、その勇気が素晴らしいというか笑える。
w当然、淡谷は、オカンムリ。

そんな淡谷が審査員降りたのは1994年ごろ。ものまね番組がきらいになったから?いえ、むしろ逆です。淡谷は審査員を降りてからも、一視聴者として、ものまね番組を亡くなる前まで楽しみにしていたですね。出なくなったのは、1993年に、恩師の服部良一と、戦前からの戦友ともいうべき藤山一郎が亡くなったことが大きいと思う。二人の死は淡谷にとってショックだったのでは。それから体調を崩され、1994年以降、ものまねどころかテレビにも出なくなったっけ。

2 波乱に満ちた人生だった
子供の頃は、怖いおばあちゃんだなって思っていたけれど、大人になって改めて、淡谷の動画をユーチューブで見ると、愛が伝わってくる。淡谷がふざけると怒るその理由は、やはり、彼女の壮絶な人生とリンクしてるのですね。淡谷のり子も若い頃は、食物にも困って裸婦のモデルになったくらい。そんな状況でも努力を惜しまず、歌のレッスンも怠らなかった。

戦時中は官憲からにらまれていたのです。時節柄、彼女の歌はふさわしくないと。特に「別れのブルース」は敵国アメリカに毒された曲だと見なされていたのですね。度々、淡谷のり子は取り調べを受けたのです。で、時節柄、勇ましいうたや、愛国心を駆り立てる歌を歌えと。それでも淡谷のり子はあくまで歌は人を楽しませるものだと突っぱねたのです。

歌だけでなく衣装にもこだわりがあって彼女は戦時中も派手な服装をしていたのです。それまた軍部からにらまれ、モンペをはけと言われても、彼女は「ドレスはわたしの戦闘服」といって譲らなかったそうです。


また、淡谷のり子は特攻隊の慰問で歌を歌ったのです。これから死に行く若い青年たち、少年たちの前で淡谷のり子は歌を歌い上げたのです。本来、歌は人を楽しませるもの。それが戦争で死に行く若者のために歌う。後に「徹子の部屋」にご出演された淡谷のり子はこう語られた。


「特攻隊で平均年齢16歳ですって。命令来れば飛びますって、飛んだら帰ってきませんって言うのよ。そうしたら歌ってる間に命令が来ました。スッと立ち上がってニコニコ笑って敬礼していく。泣けて泣けて、次、歌えなくなった。悲しくて。16歳よ?それで飛んでいきましたね。だから私は怒るんです」

歌っている最中に出撃命令が出て、若者たちは、すっと立ち上がり、笑顔で「行ってきます」といって、その場を去ったといいます。淡谷のり子はその時の若者たちの顔が忘れられないと。

そんな彼女の生き様が「ブギウギ」でも出てきます。僕も「ブギウギ」みてて、思いましたもん、淡谷は歌を歌えることのありがたさ、歌手が歌を歌うことの重さを知り尽くしているからこそ、「真面目に歌え」って厳しく言うんだなって。

3 淡谷のり子のこぼれ話
 以下、淡谷のり子についてのこぼれ話を。


  • 演歌が大嫌い。演歌歌手その人が嫌いというよりメロディーが暗い、歌詞が暗いから嫌い

  • 森昌子のことはかわいがっていて、音楽学校に行くことを勧めていた

  • 淡谷のり子は「先生」とよく言われるが、先生という言葉は嫌い。むしろ「のりちゃん」って呼んでもらいたいくらい

  • 美空ひばりが大嫌い。ひばりが幼いころ、お風呂に入れてあげたのに、後年、その恩を忘れたから

  • お気に入りの曲は五輪真弓の『恋人よ』。自らもカヴァーしていた。クラシック仕込みの貫禄たっぷりのうたいっぷりで、繊細な五輪真弓とは一味違う。















※ この記事では、敬称は省略しました。僕もかつては自分のブログでご存命の著名人に「さん」づけしていたけれど、著名人と近い関係じゃないし、「さん」をつけるとかえって失礼になるって話も聞いたので。

能登半島で大きな地震がありました。なくなった方々のご冥福をお祈りすると共に、復興をお祈りします。今日は安政南海地震(あんせいなんかいじしん)のお話。江戸時代後期に起きた南海地震のこと。僕は関西ってあまり地震のイメージはなかったけれど、歴史を振り返ってみると結構多いんですよ。特に和歌山県や四国あたり。

発生日は1854年12月24日。

発生時刻は16時。震央は日本の旗 日本 南海道沖。

地震の規模 ML8.4 - MW8.5

震度6: -7:


この地震では津波の被害がすごかったそうです。四国や和歌山だけでなく、大坂(大阪)も津波の被害を受けたとか。また、この地震の翌年に江戸(現在の東京)および関東地方で大震災が起きていたそうです。日本の地震の歴史を振り返ってみると、だいたい南海大地震と関東地方の大震災は連動して起こっているそうです。



 「稲むらの火」というお話があるこれは戦中の教科書に載り、最近の国語の教科書にも掲載されている有名なエピソードなんだって。

このエピソードの主人公が濱口梧陵という商人で、舞台が紀州広村(和歌山県広川町)。お話の内容は安政南海地震のときに濱口梧陵が人助けをした事。広村は海に面した村だったから、(地震で発生した)津波が押し寄せてくる。グズグズしていたら津波に飲み込まれてしまう。そこで濱口が、稲むら(ススキや稲束を積み重ねたもの)に火をつけて、真っ暗だった辺りを稲むらの火で明るくして、地震に怯える村民達を津波の届かない安全なところへ誘導したって話。

江戸時代は懐中電灯も外灯もありません。それに今みたいに津波警報もなかった。だから、濱口がいなかったら、広村の村民達は津波に飲まれていたかもしれない・・・

この地震のあと、濱口梧陵は、今度大きな地震がきてもいいように、私財を投げ打って津波を防ぐ堤防をつくったそうです。濱口は村人達に「我々の手で堤防を建設し、津波を恐れる必要の無い村にしましょう。働いてくれた全ての人たちに給金を支払います」と言ったそうです。それで、村人達は老いも若きも堤防造りに協力したそうな。


(稲むらの火の動画)


大阪のJR環状線の大正駅の近く、木津川にかかる大正橋に石碑がたっております。その石碑には安政南海地震の際の犠牲者を弔うために建てられたもの。その石碑には地震が来たときの教訓も書かれているそうな。

そこには「大地震が起こったときは、いつも津波がくると思って、絶対に船に乗ってはいけない」とか「家が崩れて、火災も発生するだろう。お金や証文類は蔵に保管し、戸締りを厳重にし、火の用心が肝心」なども書かれているそうです。

シャイニング (字幕版)
シェリー・デュバール
2014-02-24



シャイニング(上) (文春文庫)
スティーヴン・キング
文藝春秋
2015-04-17



1 シャイニング
「シャイニング」って映画ご存じでしょうか?キューブリック監督の作品で1980年に発表。ジャックニコルソンが出演で、コロラド州の山中にあるオーバールック・ホテルというホテルが舞台。冬の間だけ、アル中気味の小説家とその一家が管理人として、そこに寝泊まりするのですが、小説家がホテルに居ついてた悪霊にとりつかれ、自分の家族を殺そうとするというプロットです。最初は家族思いの優しいパパが次第に豹変し、悪霊にそそのかされ殺人鬼に変わっていく様子が怖いんですよ。「RED RAM」というフレーズが出てきますが、これは英語の「MARDER」(殺人者)をひっくり返したもので、「金田一少年の事件簿」にも出てきます。



その小説家をジャックニコルソンが演じられているのですが、一言でいえばすごいの一言。鬼気迫る演技で、身の毛がよだつほどの殺人犯を見事に演じられておりました。ジャックニコルソンの演技力は非常に定評があって、僕は彼が出演している映画はたいていみておりますが、「シャイニング」におけるジャックの演技は本当に印象に残っております。ジャック演じる小説家の「おこんばんわ」と言って家族を襲うシーンが特に印象的でした。

「おこんばんわ」の元ネタは、あくまで日本のコメディアンのトニー谷のセリフで、映画では「Here's Jonney」って言っておりますね。この「Here's Jonney」にも元ネタがあって、アメリカの長寿番組「Tonight Show」の司会ジョニー・カーソンが登場するときに使われていたお決まりフレーズだそうです。同じコメディアンの決め台詞ということで、映画の翻訳者の方は「おこんばんわ」というセリフをチョイスしたのかなって。

この映画の原作者は、スティーブン・キング。彼はホラーものやサスペンスものを多数書いていて、彼の作品は、「キャリー」だとか「ミザリー」だとか結構映画化されております。かといってサスペンスやホラーものばかりではなく「グリーンマイル」のようなヒューマンドラマや、「スタンドバイミー」のような青春ものも書いてます。「スタンドバイミー」を初めてみたのは僕が中学の頃ですが、その頃は原作者が誰だか知りませんでした。僕が大人になって、スティーブン・キングが原作だと知ってずいぶん驚いたものです。もっとも、「スタンドバイミー」に出てくる少年たちは、死体を探しに冒険をするというプロットですから、ある意味、キングらしいなって。

ちなみに、キングはキューブリック版の「シャイニング」が大嫌いです。「私の小説は熱いが、映画は冷たい。」って批判してました。原作では小説家の息子ダニーという少年が主人公で、「シャイニング」と言われる特殊な超能力を使うという設定。父である小説家は、悪霊にとりつかれながらも、最後まで父としての良心が残っているというもの。映画版ではジャック演じる小説家が主人公で、完全に悪霊にとりつかれてしまっている。それにキューブリック版に出てくるダニー少年は、予知能力があるものの、原作ほど超能力を使わない。あまりに映画と原作と違うというのでキングは怒ってテレビドラマを作ったほど。キューブリックの映画、普通に面白いというか、見ごたえあると思うが。

ちなみに「シャイニング」には続編があります。「ドクター・スリープ」という作品で、大人になったダニーが主人公で、ダニーもまた父の短気な性格とアル中気質は受け継いでいて、なぜか、惨劇の起こったあのホテルに戻るというストーリー。「ドクター・スリープ」も映画化されましたが、この映画は原作とキューブリック版「シャイニング」をうまく融合したといわれ、キングもこの映画を大絶賛したとのこと。



(RED RAMが登場する話。この作品でも「シャイニング」が言及されている)

シャイニング 特別版 [DVD]
スティーブン・ウェバー
ワーナー・ホーム・ビデオ
2013-06-26


(ドラマ版のシャイニング)

ドクター・スリープ(吹替版)
レベッカ・ファーガソン
2020-09-07



2 キングが書いたきっかけ

 キングがこの作品を書いたきっかけは、キングが小説を書いている最中に、彼の子供が書き上げた原稿にいたずらをしたようです。それでキングは一瞬だが殺意を覚えたといいます。その時の体験がもとになり「シャイニング」が生まれたと。

僕は小説なんて書いたことがないから知らないが、書いている最中はイライラするようですよ。アイディアもなかなか浮かばないし、かといって自分が書きたいものを自由にかけるかといえば、そうでもなく、せっかく小説を書き上げても編集者の意向に沿わなければボツ、それで売れなければ意味がない。「シャイニング」と同じような話は、日本にもあります。井上ひさしの元の奥さんが暴露本を書いたのですが、彼の奥さん曰く「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」という具合にすさまじいDVにあったといいます。ひどい話だなって。それでも直木賞を受賞するまでは、普通にいい人だったのに、受賞して有名になってから彼は変わったといいます。売れて、いい気になったのかな。

僕は井上ひさしといえば温厚なイメージで、彼の小説もヒューマニズムにあふれていただけに非常に驚きましたね。何か芸術的なものを生み出すというのは実は大変なことで、肉体的にも精神的にもまいってしまうんだなって。その生みの苦しみを人によっては誰かにぶつけてしまうと。

一方、僕が尊敬してやまない藤子・F・不二雄は、その苦しみを弟子どころか家族にぶつけなかった、だから自分の身に来てしまい、62歳という短い生涯だったのかなって。





3  インディアンについて


映画では、ホテルのあった場所はもともとはインディアン(※1)の墓地があったところで、建築中もインディアンが襲来したとなっております。そうしたインディアンの呪いがこのホテルに乗り移ったのかなって。それと、悪霊にとりつかれた小説家がバーボンを飲む際、「酒は白人の呪いだ、インディアンはしらん」ってセリフもでてきます。僕も知らなかったのですが、バーボンってトウモロコシ🌽が原料なんですってね。白人がインディアンからトウモロコシ畑を奪い、さらにバーボンを白人は発明したと。そんな血塗られた歴史があったのですね。さらに小説家が家族を殺そうと手に持った武器は斧。🪓斧はインディアンの象徴です。ちなみに、この設定は映画のみで、原作にはない設定です。でも、アメリカにおいて白人はインディアンにひどいことをしましたからね。映画を通してキューブリックはそのことを訴えたかったのかもしれない。


たとえば、1890年におきたウェンデッド・ニーの虐殺事件。それはベンジャミン・ハリソン大統領(※2)の在任中に起こったのです。ハリソン大統領の祖父はウィリアム・H・ハリソンといいましてインディアンと戦った人でアメリカの9代大統領でありました。つまり、ベンジャミン・ハリソンは世襲大統領の走りみたいな人だったのですねえ。

ハリソン大統領の時に、ノースダコタ、サウスダコタ、モンタナ、ワシントンという4つの新たな州がうまれました。いづれも白人たちにとって未開の土地で、これらの土地に次々と白人の入植者がやってきたのです。当然、先住民であるインディアンは土地を奪われ、住み家を破壊されたのです。とくにスー族は多くの居留地に分けられ約4万5000平方キロの土地を失ったのです。

絶望したインディアンたちは、ゴースト・ダンスをはじめました。ダンスを踊れば先祖の霊がよみがえりバッファローの群れももどり白人が消滅すると信じたのです。それを白人たちは不気味に思い、インディアンの反乱の兆しだと考えたのです。軍部は政府に「インディアンが俺たちに反抗しているぜ」って文書を送ったのです。

ハリソン大統領は報告を受け激怒。約5000人の軍隊を現地に派遣。その数、常備軍の4分の1という大規模な数。そして、連隊のリーダーはインディアンたちに踊りを今すぐやめろと要求。そして指揮官は銃殺を命令。悲劇は起こりました。銃声が止まり、大砲の弾がつきるまでに数百人のインディアン老若男女問わず殺されたのですね・・・ハリソン大統領はインディアンの命よりも入植者のほうが大事だったのです。それどころか、ハリソンは虐殺をした白人20人に名誉勲章を与えたというから、あきれた話です。

このインディアン虐殺はあくまでもアメリカにおけるインディアン差別問題の一つにすぎません。長いことインディアンはアメリカ人とみなされず、アメリカの進歩を妨げる存在だとずっと思われてきたのです。実際、西部劇とか映画でもインディアンは悪役として描かれておりますし。






※1 インディアンという言葉は現在では差別用語とされ、ネイティブ・アメリカンと呼びましょうって、現在アメリカで提唱されているが、当のインディアンたちは白人による差別の歴史に蓋をしているだけと反発。
※21889年から1893年まで在任


IMG_0917

(相関図)

ペルセウスは、アンドロメダと結婚したことを祖父であるアクリシオスに報告したくて、妻アンドロメダと母ダナエとともにアルゴスに向かいました。アクリシオスとはアルゴスを治める王様でしたが、ペルセウスが生まれる前、自分が孫に殺されるという神託を受けて、我が娘のダナエと、まだ赤ん坊だったペルセウスを海に流してしまったのです。そのペルセウスがアルゴスを目指しているという情報を耳にした、アクリシオスは絶句します。「ダナエの子が自分を殺しに来る!」って思ったのでしょうね、アクリシオスは。まして、ダナエとペルセウスを海に流したものだから二人は恨んでいるに違いないって思ったことでしょう。ペルセウスを恐れたアクリシオスはテッサリアへと亡命したのですね。

しかし、ペルセウスはそんな恨みの気持ちなど全くなく、本当に純粋な気持ちで祖父に逢いたかったのですね。おじいちゃんを喜ばせてあげようって、ペルセウスはおじいちゃん孝行をしたかったのですね。

アクリシオスは王宮から逃げ出してしまったのです。アルゴスにたどり着いたペルセウス。アクリシオスを訪ねても、王宮にはいなかった。ペルセウスは「どこにいったのかな〜?」って首をひねるばかり。王がいなくなったので、英雄ペルセウスに王になってくれと頼まれます。ペルセウスは「よくわからないけれど、まあいいか」って、ペルセウスはアルゴスの王として即位します。

そんな折、テッサリアで競技大会が行われました。今でいうオリンピックですね。ペルセウスはアルゴス王として、この大会を観覧するどころか、自ら選手として参加したいと申し出たのです。いわば飛び入り参加ですね。神話ではペルセウスは円盤投げのみ参加したといわれておりますが、ペルセウスは徒競走とか格闘技とか色んな競技に参加してほとんどの競技で金メダルをとったのではないかって僕は勝手に思っております。何となくペルセウスってそんなイメージがするから。

そして円盤投げ。観客たちの期待は高まり、会場はペルセウスコール。場外まで飛ばせって観客も。ペルセウスならば、それはたやすいこと。何しろ並外れた身体能力の持ち主ですから。しかし、さすがのペルセウスも観客の期待が大きすぎてプレッシャーにさいなまれます。そして、ペルセウスは円盤をなげました。すると、その軌道は大きく外れ、観客席に向かったのです。焦ったので手元が狂ったのでしょうね。そして観客席にいた老人が円盤にあたって死んだと。それを聞いたペルセウスは凍り付きます。まして、その老人は自分の祖父アクリシオスだったのです。事故とはいえアクリシオスは予言通り孫によって殺されてしまったのですね。

ペルセウスはいたく悲しみ、そして「俺はなんて馬鹿なことをしたんだ!」って後悔の念にさいなまれたのです。ペルセウスは祖父アクリシオスを手厚く葬り、贖罪しょくざいの念から、アルゴス王を自ら降りてしまうのです。そしてペルセウスは、ティーリュンスの王メガペンテース(プロイトスの子)のところに行って国土の交換を行い、ミデア、ティーリンス、ミュケーナイの支配者となったといいます。


また、ペルセウスと言えばこんな伝承もあります。ディオニュソスという酒の神さまがいたのですが、その神様は秘教の伝道者でもあり、多くの信者たちを引き連れて各地をさすらっていたのですね。そんなディオニュソスがアルゴスに来訪すると聞き、ペルセウスはディオニュソスと戦ったのですね。すごいですね神様と戦うなんて。ディオニュソスには多数の女兵士がいて勇敢に戦ったのですね。いわゆるアマゾネスですね。それをペルセウスは軍を率いて戦い、女兵士たちを殺したといいます。そして大将のディオニュソスまでペルセウスは殺してしまいます。神様を殺すなんてバチ当たりな。しかしディオニュソスはさすがは神様、奇跡的に生き返りペルセウスと和解したとのこと。


また、ペルセウスとアンドロメダの間で何人か子供がいましたが、その一人がペルセースといいペルシア王国の祖だと伝承があります。ペルシアという国名もペルセースにちなんだものでありますが、ペルセースの父であるペルセウスへのリスペクトもこめられているのではないかと。時は流れ、アケメネス朝ペルシアという中東一帯を支配した王朝がありまして、そこの王様のクセルクセス1世はギリシアとの戦争の前にペルセウスの祖国アルゴスに使者を派遣し、自分はペルセウスの子ペルセースの子孫であり、我々は同族同士であるためお互いが戦うことをやめようぜって伝えたと言います。ペルセウスが実在の人物かどうかわかりませんが、興味深いお話です。



IMG_0923


(円盤投げの像)

このページのトップヘ