history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:魔女狩り

* この記事はNHKの「ダークサイドミステリー」を参考にしてかきました

オオカミ男をご存知でしょうか?普段は人間だが、夜に月を見るとオオカミに変身し、人間を襲い、ズタズタに人間を殺してしまうと。怖いですね。オオカミ男はアニメやゲームにもよく出てきますね。そんな恐ろしい化け物が本当にいたのでしょうか?

オオカミ男は実在するかどうかって話ですが、結論を先に申し上げれば、オオカミ男はいなかったと思います。実際に人間がオオカミに変身する様子を見たという記録はないのですね。ただ、オオカミ男のレッテルをられて、無実の人たちが犠牲ギセイになったのですね・・・以前に魔女狩りのことを書きましたが、魔女狩りの話と通ずる問題であります。

さて、オオカミ男の呼び名は国によって違います。イギリスではウェアウルフ、ドイツではリカントリープ、フランスではルーガルーという具合。それくらいヨーロッパ各地で、その存在がウワサされたのですね。昔はネットも何もなかったからなおさら、そういうものがいると信じられていたのでしょう。

そんな中世ヨーロッパでオオカミ男が人間を襲ったという事件が起こったのですね。16世紀、ドイツのベットブルクという村で事件が発覚したのです。それまで、この村で25年もの間、子供が行方不明になったり、森に入った人がバラバラ死体になって見つかったりと奇妙キミョウなことが続いていたのですね。犯人はダレだろうと不思議がり、そしてこの村にオオカミ男がいるんじゃないかってウワサされるようになったのです。そして1589年に一人の男が容疑ヨウギにかけられました。

容疑をかけられたのがペーター・シュトゥンプという農夫でした。彼は、厳しい拷問ゴウモンをかけられたのですね。ペーターが課された刑というのは車裂クルマザききの刑というもので極めて残酷ザンコクで、重罪人に課されるものでした。ペーターは叫びます。「俺はオオカミ男だ」って。そして、自分は悪魔からベルトをもらい、そのベルトをつけるとオオカミに変身でできると。オオカミに変身し、25年にもわたって、14人の子供と2人の妊婦を殺して食べ、家畜カチクまでもむさぼり食ったと。さらには自分の娘とも寝たと自白したのですね。

意外かもしれませんが、オオカミは滅多なことでは人間を襲わないのですね。あるとしたら狂犬病にかかったとか、人間がオオカミの縄張りに入ったとかありますが、基本的には人間を襲いません。しかし、オオカミ男だったら人間を襲う可能性が高いというので、ペーターはオオカミ男だと疑われたのですね。

もちろん、当時は科学的な調査などあるはずがなく、ペーターはオオカミ男と疑われたまま亡くなったのですね。結局、子供たちを殺したのは誰なのか分からずじまいだったのですね。もちろん、ペーターが本当に犯人だった可能性もありますが、冤罪エンザイっぽいなあ。

さて、オオカミ男についてですが、オオカミ男は16世紀になって突然ウワサされたのではありません。オオカミ男の伝説は古代からありましたし、12世紀の後半には『ビスクラヴレット』(※1)という小説にもオオカミ男が登場するくらいですから、広くその存在がうわさされたのですね。

しかし、『ビスクラヴレット』が出た頃のヨーロッパは、森の開拓が進んだ時期でした。昔は自然にたいする畏敬イケイの念がったのですが、この頃のヨーロッパの人たちは森を畏敬イケイの対象としておらず、征服するものだと考えていたのです。森林を切り拓けば開くほど良くて、森林を壊せば環境破壊になるなんて考えはなかったのですね。今はヨーロッパは環境問題に熱心ですが、この時代は違ったのですね。当然、森林を壊せば、狼の住処スミカを奪ってしまうことになるのです。住処を奪われたオオカミにとって迷惑な話なんです。森林破壊だけでなく、オオカミの獲物のシカやウサギ、イノシシなども人間が狩るので、オオカミは食べ物を求め、家畜を襲ったりするのです。だから人間にオオカミは嫌われてしまったのですね。元はいえば森林破壊をした人間の方が悪いのですが。とはいえ人間も生き抜かなくてはならない。

なんだか、宮崎駿監督の「もののけ姫」と通じるテーマだなって。人間も生きるために森を切り開かなくてはならない、一方のオオカミほか動物たちにとっては人間は自分たちの住処を脅かす悪いヤツらなんでしょうね。

人間ははじめはオオカミをたくましさと理性の象徴として畏敬の念があったのですが、次第に自然を崇拝から支配へという意識に変わりました。そうしてオオカミも人間にとって支配すべきもの、悪いものとみなされるようになるのです。「赤ずきんちゃん」でもオオカミは完全に悪者ですよね。またオオカミ男は、キリスト教と敵対する悪魔の化身だとみなされていました。キリスト教が、自然崇拝だとか土着の信仰を駆逐するためオオカミ男伝説を利用してきたのですね。

そして14世紀に入るとヨーロッパは小氷期になり、気温が寒くなるのです。寒冷による飢饉キキン、ペストの大流行に、戦争。そのため多くの人たちが亡くなったのですね。しかも悪いことにこの頃のヨーロッパは魔女狩りが盛んでした。魔女狩りにあわせて、オオカミ男狩りも行われるようになったのです。それは18世紀ごろまで続いたといいます。

殺人事件や誘拐事件が起こると、「これは悪魔の使いのオオカミ男の仕業に違いない」って人々が思うようになったのですね。当時のヨーロッパは、今のコロナショック以上に人々は不安に駆られていたのですね。そうした不安のはけ口を弱い人間にぶつけたのですね。それは魔女狩りと一緒。魔女狩りもどちらかというと貧しい女性がターゲットになったそうですから。そうしてオオカミ男と噂された人間は裁判にかけられたり、拷問ゴウモンを受けたり、最悪、処刑されたのです。いつの時代も、人間は自分たちが不安になると、誰かをスケープゴートにして攻撃をしたがるのだなって。例えば、緊急事態宣言中に営業していた飲食店やカラオケボックスが自粛警察から嫌がらせを受けたなんて話もそうだし、学校のいじめもそうだなって。

こうしたオオカミ男狩りは、世界を合理的に見ようとする啓蒙主義ケイモウシュギが広まるようになってから、下火になりました。啓蒙主義が広まるとオオカミ男狩りだけでなく、魔女狩りも下火になりました。

* おまけ
車裂きの刑の話が出てきたので、具体的にどんな刑だったのかをご紹介します。この刑罰は非常に残酷で、中世で最も重い刑です。一言でいえば、受刑者の体を打ちクダいてしまうのです。




※1マリー・ド・フランスが書いたもの。フランスで美しい貴公子がいたが、実は彼はオオカミ男だった。夜になると服を脱いで森に向かう。そこでオオカミに変身する。そのことを知りショックを受けた彼の妻は、愛人と共謀し、貴公子が着ていた服を隠してしまう。人間に戻れなくなった貴公子は、オオカミの姿のまま、妻に復讐をするべく、そのチャンスをうかがうというのが、大体のあらすじ。



1 自分がターゲットにされてしまう
 魔女狩りでは、実際に拷問ごうもんを行った人間も悪いけれど、ごく普通の庶民たちがお互いに監視したり、密告するようになったことも、そもそもの問題でした。なぜ、人々はこんなことをするのでしょう。たとえば、いじめやパワハラが起こった場合、いじめやパワハラに合った人を見ている人は「その人を守りたい」という気持ちはあるにはあるのですね。

でも、下手にかばったりしたら、自分もそのいじめの標的になりかねません。だから、人々は見て見ぬふりをしたり、最悪自分も、いじめのターゲットを攻撃する側にまわることもあるのです。それが自分の身を護る一番の手段になってしまうのです。

『ドラえもん』でジャイアンとスネ夫が二人でのび太をいじめますが、実はスネ夫はジャイアンの忠実な家来ではなく、腹の中ではバカにしているのですね。実際、スネ夫はジャイアンがいないときは陰口叩きまくりだし。それでも、スネ夫がのび太をジャイアンと一緒になっていじめるのは自分が標的になるのが怖いからですね。

一緒になってターゲットをいじめるのは本意ではないが、何回も攻撃を繰り返しているうちにそれが次第に快楽になってしまうのですね。


2 みんなのための正義
 魔女狩りは終焉しゅうえんしたものの、集団ヒステリーや集団リンチ、いじめはなくなっておりません。これは人間が集団をつくるという機能を人間が持っている以上、なくならない問題ともいえるし、課題ともいえます。

戦争だとか、疫病だとか、危機を感じる時に、人間は絆を強めようとします。そういうときは集団が個人よりも優先されます。ナチスドイツや、戦時中の日本もそうでしたし、文化大革命時代の中国もそう。そうして集団の足を引っ張たり、ルールを破ろうとする人に対して攻撃をすることが、みんなのための正義だという考え方になりやすいのです。

時々、いじめを肯定するも意見も出てきますが、それは集団の秩序を守るためやむを得ないという認識なのでしょう。

『はだしのゲン』に出てくる鮫島伝次郎は、ゲン親子を攻撃することが、お国のためだとマジでおもっていたのですね。実際は、戦争を早く終わらせ、外国と仲良くしたほうがいいというゲンの父親の意見のほうが正しく、鮫島の言う通りに玉砕の道を進んでいたら、間違いなく日本は、外国、たとえばソ連が、、どさくさに紛れて日本を占領して、日本をソ連の衛星国にしてたでしょう。

自分たちの正義の行動と思っているものに対し、本当にそれは正義なのか?じぶんがやっていることは正義中毒ではなく、本当にみんなのためになっているのか?それをよくよく考えないと、人を傷つけたり、人を死に追いやってしまうこともあるのですね。

3 当事者の問題にしない
 魔女狩りによって魔女達は徹底的に弾圧されましたが、魔女が絶滅したわけじゃありません。以前、何の番組かは忘れたのですが、21世紀の今もスコットランドにいる魔女がテレビで取り上げられました。魔女と言っても、テレビに出てきた女性の見た目は童話にでてくるような魔女とは明らかに違います。どう見ても、普通のおばさんでした。

現代の魔女はハーブやパワーストーン、アクセサリーなどを売ったり、占いをして生計を立てているようです。

また、その魔女さんは「かつて魔女達は、産婆さんばもしたり、薬を売ったりと色々と人々に役立つ事をしてきたが、悪魔の使いという汚名おめいを着せられ、ヒドイ弾圧を受けてしまった」と残念そうに語っていました。

魔女たちは汚名を着せられ迫害されましたが、魔女たちはそれに抵抗する術もありませんでした。なにしろ、相手は強大な権力をもってたり、集団てまやって来ます。だから、怖くて抵抗もできない。抵抗できないから、相手はさらに図にのってエスカレートします。魔女のレッテルがはられた人物が一人処刑されると、また別のターゲットをみつけ迫害されます。そんなことが10年どころか200年以上続いたのだから恐ろしい。

「女王の教室」の鬼教師の「(人間は、人をいじめることに喜びを感じるから)大事なのは自分たちがそういういじめにあった時に、耐える力や解決する方法を身につける事なんです。」という台詞があります。要するに当事者同士でなんとかしろということ。僕は、これは半分は正しいが、半分は間違っていると思います。イジメがあっても、「仕方がない」と放置するなんて。ましてや耐えるなんて逆効果です。魔女狩りは為政者も周りの人間も基本的にそんな態度だったから200年以上続いたのですね。

「魔女狩り その4」の記事でも取り上げましたが、バンブルクというドイツの街でゲオルク2世という司教が猛烈な魔女狩りを行っていました。それでバンブルクの住民は周辺の都市の有力者に助けを求めに行ったのですね。幸い周辺都市の有力者たちは、バンブルクの住民を助けてくれて、それがゲオルク2世の失脚にもつながりました。もし有力者たちが「耐える力を身に着けたり、自分で解決しろ」なんて言ってたら、バンブルクの街でさらに犠牲者は増えただろうし、猛烈な魔女狩りもゲオルク2世が死ぬまで続いたでしょうね。

当事者同士で解決するのは非常に困難です。結局、魔女狩りも当事者同士で解決できず、外的要因や魔女狩りの第三者的存在が声をあげたりして、なんとか収まったのですね。

※ 参考
NHK BS 『ダークサイト・ミステリー』

前回までの記事で魔女狩りのひどさを書かせていただきましたが、科学や学問の発達に比例し、魔女狩りも次第に落ち着いていきます。今日はそのあたりを書かせていただきます。まずは魔女狩りに関係する科学者のお話をします。


1 魔女狩りと科学者

  近代天文学の祖ケプラー(1571年12月27日 - 1630年11月15日)はドイツの有名な科学者で「ケプラーの法則」を発見しました。ケプラーの母親は魔女と疑われ、牢屋に入れられたそうです。ケプラーの母親は薬草を売っていたらしく、それで魔女だと疑われたとか。ヒドイ話です。

ケプラーは母親のぬれぎぬを晴らすべく頑張ったみたいです。息子の努力も実りケプラーの母親は無罪になりました。親孝行ですねえ。まるで僕みたいwww自分で言うなってかw

フランシス・ベーコン(1561年1月22日 - 1626年4月9日)はイギリスの哲学者です。彼はシェイクスピアと同世代に生きた人物で、ベーコンとシェイクスピアは同一人物だという説まであるみたいです。彼は哲学者なのに魔女狩りと拷問ごうもんを容認していました・・・

「(魔女達に)苦痛を与えることによって自然の本質が理解できる」と言ったそうです。おっかないですねえ・・・学校や職場のイジメを「精神をきたえるためにも必要だ」と言っているようなものです。また、ベーコンは魔女を取り締まる法律の立案に協力したようです・・・

アイザック・ニュートン(1642年12月25日 - 1727年3月20日)は木から落ちるリンゴを見て、「勿体ねえ!!俺が食べてやる」と言った人物。
「万有引力の法則」を発見した人です。地球には引力があるという事を発見したのです。

ニュートンも魔女の存在を信じていたそうです。それと、ニュートンは錬金術れんきんじゅつにも熱心に取り組んでいたそうです。ちなみに、錬金術とは魔法で金を作ろうとしたのですが、それは失敗に終わります。しかし、錬金術は失敗したものの、金を作り出すための実験は、科学の発展にもつながったのです。

このころは科学者といえど、魔女の存在を信じる人が少なくなかったのですね。

2 下火になる魔女狩り
 17世紀(1601〜1700年)になると魔女狩りも下火になってきます。魔女狩りが下火になった理由は、科学の発展、ルネ・デカルト(※1)によって物事を懐疑的にとらえる思想が広まったこと、内部告発者がでたこと(※2)、裁判のやり方が変わった(魔女裁判で極刑がなくなった)だとか色々な説がありますが、はっきりとした理由はわかりません。

はっきりした理由がわからないものの、魔女狩りを禁止する法律が作られるようになったことも無視できないのではないかと。もともと人間には人をいじめたり、迫害する要求が潜在意識にあるようです。『女王の教室』でもオニ教師が「人間が生きている限り、いじめは永遠に存在するの。なぜなら、人間は弱いものをいじめるのに、喜びを見出す動物だからです。」といっていましたっけ。

魔女狩りというのは、当時の為政者や司教たちが、庶民に「魔女をいじめてもいいよ」ってお墨付きを与えたようなものです。だから、庶民たちはここぞとばかりに魔女狩りをしたのでしょうね。それが、お上から魔女狩りを禁止されたから、庶民たちも「魔女をいじめて罰せられるのでは合わない」って徐々にやめるようになったとも考えられます。

近年、学校でいじめにあった子の家族がイジメた子供の親に対して裁判を起こし、慰謝料を請求したという事例もありますし、裁判まで行かなくても、いじめた子の保護者に内容証明を送るとだいたい、それでいじめが収束するという話も聞きます。弁護士から書面が届けば、いじめっ子の親も子どもにやめるよう注意するからでしょう。そら、我が子のいじめが原因で罰せられたり、賠償金を払う羽目になったら合いませんよね。


ともあれ、ヨーロッパ社会において魔女狩りは18世紀(1701〜1800年)のなかごろになくなりました。

3 アメリカの魔女狩り
 ところが、魔女狩りは意外な場所で息を吹き返します。新天地アメリカ。それはマサチューセッツ州のセイラムという街で起こりました。ヨーロッパからの移民が開拓した街の一つです。それは1692年の出来事です。ある日、10代の少年や20代の青年数名が異常行動をしだしたのです。なぜ、そんな異常行動をとったのかを彼らにきいてみると、その中の一人が「魔女が自分たちに呪いをかけている」といったのです。

当時アメリカの各地で、先住民(インディアンの襲撃にあったり、伝染病が流行ったり、農作物の不作など、人々の間で不安が高まっていったのです。そうしてセイラムで、自分たちがこんな大変な思いをするのは魔女の仕業に違いないと思うようになったのです。こうしてセイラムで魔女狩りが始まりました。それは一年ほど続いたといいます。人口およそ1700人のうち、逮捕者は約200人、処刑者は19人もいたといいます・・・

魔女狩りを鎮めるような権力者が不在だったこともあり、皆が皆「あいつが魔女じゃないか」って疑うようになり、隣人同士の殺し合いもあったそうです。


4 魔女狩りはなくなったものの・・・ 


 魔女狩りそのものは無くなりましたが、魔女狩り的な集団ヒステリーがなくなったわけじゃありません。たとえば、ヒトラーやナチスに熱狂したドイツ国民もそうだし、戦前の日本もそうでした。『はだしのゲン』に出てくる鮫島伝次郎は、戦争に反対するゲン親子を非国民といじめる描写がありますが、実際そうしたヒコクミン狩りは戦時中おこっていたのです。それから戦後も、中国で文化大革命というものがありましたが、それはひどいものでした・・・紅衛兵とよばれる若者たちが、大人たちを集団リンチしたり、お寺を破壊したりしました。文化大革命に関しては、陳凱歌監督の『さらば、わが愛ー覇王別姫』にも描かれております。

最近のヨーロッパでも起こっているのです。SNSで「私たちの子供を誘拐して臓器売買をする奴があらわれた」というデマが書かれ、ロマとよばれる人たちが「誘拐犯」のレッテルをはられ、(デマを信じた)心無い人たちに襲撃された事件が起こっています・・・

ヨーロッパだけでなく、2018年のインドでも見慣れぬ車を住民たちが襲撃され、車の中に乗っていた人がころされてしまった事件もおこっています。これも「誘拐犯がいる」というSNSの書き込み。

メキシコでも2018年に一人の人間が集団リンチにあったあげく、焼死したという事件が起こりましたが、これも「誘拐犯がいる」というSNSの書き込みが原因。



※ 1 フランスの哲学者ルネ・デカルトの一番有名な言葉は「我思う故に我在り」。すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができないということ。


※2 たとえば、ドイツのイエスズ会士フリードリヒ・シュペー。彼のことは前回の記事でも触れさせていただきました。→http://ehatov1896rekishi.diary.to/archives/2489208.html

参考文献
ウィキペディア

歴史能力検定世界史2級の問題用紙


週刊歴史のミステリー No.2 (2008/2/12号)
(株)デアゴスティーニ・ジャパン
2008







魔女狩り (岩波新書)
森島 恒雄
岩波書店
1970-06-20






〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻
中沢 啓治
汐文社
1993-04-01

前回の記事で魔女狩りで理不尽ともいえる裁きについて書かせていただきました。残酷な裁判や処罰が行われる際、そのバイブルになった一冊の本がありました。その本こそ『魔女の槌』です。この本は一人の聖職者による思い込みから書かれたものです。今日はその『魔女の槌』の話を中心にして魔女裁判のひどさを取り上げます。時代は15世紀のおわり、1480年代にさかのぼります。まだ魔女狩りが盛んになる前の時代です。

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ブログネタ
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(この記事は2022年の1月20日に加筆修正しました)

1 魔女狩りとは?
 今日から、数回にわたって魔女狩りについて語ります。魔女狩りのことは色々と調べてみましたが、世界史を勉強していない僕にとってなじみのうすい時代。それに魔女狩りはキリスト教の話も絡んでくるから、キリスト教を知らない僕にとっては余計ややこしい。専門的な話は出来ませんが、魔女狩りを通して、人間のエゴや、集団ヒステリーの恐ろしさを語れればなあと思います。

さて、みなさまは魔女というと、どんな事を連想しますか?

アニメ「魔女の宅急便」?、「千と千尋の神隠し」にでてくる湯婆?あとはグリム童話に出てくる恐ろしい魔女?それとも、うちのお母さんw?魔女がテーマの曲といえば中山美穂さんの Witches」やスピッツの「魔女旅に出る」という曲もあります。

昔のヨーロッパの民間伝説では、魔女は悪魔と組んで人間に悪さをする存在とされ、やがて魔女裁判が行わました。魔女狩りが始まったのが14世紀ごろで、終わったのが18世紀まで。特に15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパで魔女狩りの猛威をふるっていたのです。

魔女狩りの犠牲者の数はいろいろな説がありますが、5万人とも6万人ともいわれています。

その魔女裁判で裁かれ処刑された人は本当に魔女だったわけじゃなく、むしろヌレ衣を着せられた人が大半だったそうです。心ない人たちから「飢饉(ききん)やペストが流行るのはお前達が俺達にのろいをかけているからだ」というヌレ衣を魔女は着せられたとか。

中世の昔は今と違って物事をなんでも宗教的に考えておりました。だから、飢饉だとかペストのような疫病が流行ると、その原因は人間の罪か、もしくは悪い裏切り者のせいではないかって考えられたのですね。その裏切り者こそ魔女だといわれたのです。魔女とは、悪魔の誘惑に負け、悪魔に魂を売った裏切り者だと。悪魔のしもべだからこそ、神の名において裁かれなくてはならないと思われていたのです。

2 濡れ衣を着せられた彼女たち 
 もちろん、魔女と呼ばれる人も本当にいました。といっても、ホウキに乗って空を飛んだ魔女なんていませんw魔女たちは、占いをやったり、産婆(※1 さんば)をやったり、薬草などの知識に通じた民間療法の専門家だったり。

もっとも著名な魔女はマザー・シプトン(1488〜1561年)というイギリス人です。彼女の容貌は眼がぎょろついていたが、眼光は鋭く、鼻も以上に長くカギ型に曲がっていたそうです。赤と青を混ぜたようなニキビが顔を覆っていたそうです。そしていつも山高の帽子をかぶっていて、まさに彼女は魔女の容貌そのものでした。そんな彼女は予知能力があって、車社会の到来やイギリスの没落を生前から予言していたといいます。

とはいえ、彼女たちは悪さなどしていませんでした。悪さをした魔女も確かにいましたが、そんなのはほんの一部。ただ、彼女たちは生活が貧しく、独身で身寄りのない人が多かったのです。当時の識者や宗教家は、貧しさと寂しさこそ、悪魔にスキをつかれる元だと考えられておりましたから、彼女たちは格好のターゲットになったのです。

それで、だんだん犠牲者が本物の魔女だけでなく、ごく普通の女性、それから一部の男性にまで及んだというのです。もっとも男性はレアケースで、魔女裁判の犠牲者のほとんどは女性でしたが。

そうしてターゲットにされた女性は魔女裁判をかけられるのですが、裁判の被告となる人物は、ほとんどが密告。つまり魔女とは関係ない人まで、根も葉もないウワサだけで、魔女裁判にかけられたのです。魔女裁判も実は中世の前期までは、他人に危害を加える者だけでした。実際、裁判を重ねて無罪を勝ち取った者もいたといいます。それが、だんだん公平性が低下し、「神に反抗するもの」から「聖職者やお偉いさんに逆らったもの」そして「なんも悪いことをしていないのにウワサだけで魔女呼ばわりされた者」が魔女狩りの被害にあったのですね・・・

ちなみに、マザー・シプトンは魔女狩り全盛期に活躍した人物ですが、生き延び天寿を全うしております。病人を助けるなど善行を行ったことも理由の一つですが、ヨーロッパでもイギリスは魔女狩りには懐疑的で、他の国より冷静だったことが大きかったようです。

3 地域差があった魔女狩り
 さきほど、イギリスは懐疑的とお伝えしましたが、魔女狩りが盛んだった国や地域とそうでない国や地域もあったようです。もっとも、そのイギリスも魔女狩りが全くなかったわけじゃありません。スコットランドにはジェームズ6世(のちにイングランドの王も兼ねる)という人物がいて、『悪魔学』という書物を著し、1604年の法令で魔女狩りを強化しているたそうですが・・・


また、1640年代にイギリスでマシュー・ホプキンスという悪いヤツがいまして。彼は多数の無実の人を魔女としてでっち上げ、処刑しては多額の金を得たそうです。かれは魔女狩りを仕事にして金稼ぎをしていたのです。そのやり方は卑怯にも相手の心の弱さを利用しました。たとえば、なかなか自分が魔女だと白状しない人間には、その子供を逮捕すればよいと考えました。逮捕した子供を脅かしたり、最悪虐待すれば、その子供は「お母さんは魔女」って言うはずだと。ふてえ野郎だなあ。こいつの方がよっぽど悪魔だな。

盛んだったのがドイツ、フランス、ポーランド、スイスなど。イギリスはドイツに比べると激しくはなかったそうです。


逆に比較的抑えられていたのがスペイン、イタリア、ポルトガルなど。




※1 いまの助産婦。



※ 参考文献および


歴史能力検定世界史2級の問題用紙


ウィキペディア
教えて!goo

NHK BSプレミアム 「ダークサイドミステリー 」





魔女狩り (岩波新書)
森島 恒雄
岩波書店
1970-06-20











予言者 (Truth In Fantasy)
第666部隊
新紀元社
1998-10-01


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