history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:高度成長

1 「もはや戦後ではない」
 「もはや戦後ではない」という名文句をご存知でしょうか?この言葉は、もともとは中野好夫(なかのよしお)という評論家の言葉だったそうですが、昭和33年(34年?)の経済白書でも引用されたのです。

戦後間もない日本は非常に貧しい国で、国民が腹をすかせていた時代でした。そんな時代にケリをつけて、日本は豊かな社会になりつつあるという自信がこの言葉から感じられます。

2 後藤誉之助(ごとう よのすけ)
 この『経済白書』の執筆しっぴつ陣頭指揮じんとうしき(※1)をとったのが後藤誉之助(ごとう よのすけ)。当時は経済企画庁調査課長だったそうです。彼は難しい経済用語を国民にわかりやすく伝えようとした官庁エコノミストの草分け的存在でした。

後藤は人と議論や論争が大好きだったそうです。後藤の後輩こうはい「後藤誉之助さんとは、通勤の途中とちゅういろいろ議論したのを覚えています。『自転車は走り続かねばたおれる』などは電車の中の産物ですね」と回想しています。

昭和33年の白書には、神武景気じんむけいき(昭和29年〜昭和32年)の後に「なべ底不況ふきょう」が長期化すると予想しました。

ところが、その予想は大きくはずれ、その白書が出た後に神武景気を上回る「岩戸景気いわとけいき」がやってきました。この景気予測をまちがえた事を、後藤はエコノミストとして後々まで非常に気にかけていたそうです。そして彼は昭和35年4月13日に睡眠薬(すいみんやく)を飲みすぎて43才の若さで亡くなってしまいます・・・・

※1 リーダーが直接現場に出て指揮すること。

※ オマケ
もうすぐロンドンオリンピックが開催されます。今日は、オリンピックにちなんで、「東京五輪音頭」を。この歌はオリンピックが開かれた昭和39年に発表されました。

http://www.youtube.com/watch?v=TnqMXP3Nl9Q

今回で昭和30年代のお話は一度終らせたいと思います。また、機会があればこの時代についてふれてみたいです。

※ 参考文献

 『写説 昭和30年代』

写説 昭和30年代
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今回から数回にわたって、昭和30年代について語りたいと思います。昭和30年代といえば僕は映画『ALWAYS3丁目の夕日』とか、島田洋七さんの『佐賀のがばいばあいちゃん』を連想してしまいます。

佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)
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何しろ、あの時代は僕はカゲも形もなかったから、あの時代の事は全くわかりません。けれど、昭和30年代の事はいつかはブログで書きたいとおもっておりました。

昭和30年代というと、高度成長期で日本がもっともかがやいていた時代で、今よりも助け合いの精神があり、人情があったとよく言われています。

一方で、公害だとか貧困、過そ、今より高い犯罪率など色々と問題もあったようです。

また、「昭和30年代は、いい時代だった」と言う人もいる一方で、「正直、イヤな時代だった」と回想する人もいるようです。

昭和30年代を数回にわたって、いい面も悪い面もふくめて語ってみたいと思います。





※ オマケ

今日は映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の主題歌になりましたバンプの『花の名』をどうぞ。僕もこの映画をみて、「へえ〜昭和30年代ってこんな時代だったんだ」って思いました。

https://www.youtube.com/watch?v=VkxxKFuPge4




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