「いのる」とは簡単なことでしょうか?自分の幸せを祈るのは簡単かもしれませんが、それ以上に簡単なのは他人をねたんだり、「この野郎」とか言ってにくんだりすることw

僕もよく「あいつ、オレよりたくさん給料もらえてうらやましいなw」とか、「あいつオレよりイケメンじゃん、うらやましいな」なんて人をねたむ事が時々ありますw

でも、赤の他人の幸せのために、それも真剣しんけんに「祈る」のは、口で言うほど簡単じゃないかもしれません。

今日は、人のために祈る事を徹底的てっていてき実践<rt>じっせんした人物をご紹介<rt>しょうかいいたします。

その人の名前はジャクリーヌ・ド・デッカー
 
どういう人物かと言うと、「祈り」を通してマザー・テレサやシスター達の活動を支えた女性です。彼女の祈りはテレサにとって大いにはげみになったようです。

ベルギーで生まれたジャクリーヌは、1946年にインドにわたりました。彼女はたった一人で貧しい人のために活動をしていて、やがてマザー・テレサと対面をします。おたがいの考え方や理想が同じ事を知り、二人は意気投合。ジャクリーヌはテレサの活動に協力することを決心しました。

しかし、ジャクリーヌはその後、重い病気にかかり、手術を受けるためにベルギーに帰国しました。

当然、ジャクリーヌはへこんでしまいました。テレサといっしょに活動をしたいのにそれがかなわなくなったからです。

それがある日、ベルギーのジャクリーヌの元にテレサからの手紙が届きました。その手紙には「私達は体が動けるから、貧しい人のために働きます。あなたは私の代わりに祈り、その祈りを多くの人びとに広めてください」と書かれていたそうです。

「人にはそれぞれ役目がある、自分の出来ることを精いっぱいやってみなさい、決して自分はつまらない人間だとは思わないでくれ」とテレサは言いたかったのかもしれません。そして、祈る事の大切さをジャクリーヌに教えたのでしょう。

それから、ジャクリーヌはベルギーからカルカッタにいるテレサたちの事や、貧しい人たちの事を祈り続けました。自分を捨て、他人にためにひたすら祈ったのです。

「祈りより行動せよ」とつい僕は思ってしまいますが、マザー・テレサはその様な考え方には否定的です。
それどころか、マザー・テレサがノーベル賞を受賞した時には、テレサはジャクリーヌを会場に呼んだそうです。そして、テレサはジャクリーヌを「第二の自分」とまでたたえたのです。

1945年8月6日および1945年の8月9日は日本人にとって忘れられない日だと思います。8月9日の今日も多くの人が、平和のため、原ばくで亡くなった人々のために祈りを捧げたことでしょう。マザー・テレサもかつては広島、長崎に訪れ、世界平和とかくへいきのなくなることを祈ったそうです。

長崎には修学旅行でおとずれたことがあります。長崎の原爆資料館でみた展示物が忘れられません。ドロドロになったガラス、体中ヤケドをしている人々の写真や絵・・・・

それから資料館の展示物ではないのですが、片足鳥居も未だに覚えております・・・


それから長崎の「精霊流し(しょうろうながし)」の動画をどうぞ。毎年8月15日に行われるそうです。僕は最近まで「精霊流し」のことをまったく知りませんでした。

「精霊流し」の名前を知ったのは、さだまさしさんの歌がきっかけです。動画でみてびっくりしましたね。山車だしが出てきたり、爆竹ばくちくを鳴らしたりで、にぎやかだから。

さだまさしさんの歌の様にもの静かな祭りを想像していただけによけいにビックリしました。




長崎出身のさだまさしさんが聞いた話では、1945年(昭和20年)8月9日の長崎市への原子爆弾投下の際には、多くの人が被爆からわずか6日後にある精霊流しを思い、「死んてしまったら、だれが自分の精霊船(しょうろうぶね)を出してくれるのだろうか」と気にかけながら亡くなっていったそうです・・・