History日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:遊女

吉原では、人気の太夫や花魁おいらんの名前(源氏名げんじな)は、その見世の遊女に代々受け継がれます。そう、落語家や歌舞伎俳優のように。

有名どころでは、三浦屋の高尾太夫。吉原誕生以前の寛永期から、延享期まで120年間、11代(7代という説も)にわたり続いた名籍で、「仙台高尾」「榊原高尾」など大名とウワサのあった花魁もいました。

今日取り上げるのは仙台高尾(2代目とされる)。

仙台高尾は、万治期に仙台藩主の伊達綱宗(だてつなむね)に見初められ、自分の体重と同じ額、20貫(約75キロ。数億円に相当、八貫分の衣装、装身具もふくむ)もの大金で身請けされましたが、仙台高尾にはほかに好きな人がいたので、最後まで伊達綱宗に心を許すことはなかったそうです。

俗説では、自分に心を開かない仙台高尾に綱宗は激怒し、舟の上で惨殺したともいわれています。

ちなみに、綱宗は遊郭通いが原因で幕府から隠居されてしまいます。これが有名な伊達騒動です。伊達騒動は、山本周五郎の『樅の木は残った』(もみのきはのこった)
でも書かれています。






※ おまけ
仙台高尾を祀る高尾稲荷神社は東京の中央区にあるそうです。



※ 参考文献




1 格付けされた遊女
 遊女さんは器量などで格付けをされました。江戸中期以降になると細かくランク分けされるようになりました。それは以下の通り。

呼出ヨビダシ
昼三チュウサン
附廻ツケマワシ
座敷持ザシキモチ
部屋持ヘヤモチ
切見世キリミセ



一番上位が呼出で、下位が切見世です。呼出から附廻までを花魁オイランと言いました。客が支払う揚代は、最下級の切見世は100文。現在の金額に直せば2500円です。それで呼出の揚代は2両。これは現代の価格に直すと、なんと20万円です!!そのため花魁達を相手にしたのは上客と呼ばれたお金持ちや身分の高い人たち。




2 遊女さんの格差
遊女さんの年季明けとは、だいたい10年で、年季ねんきが明けるといいます。年季とは奉公する約束の年限のことです。遊女さん達の多くは借金の形に売られてきた貧しい農家の出です。禿カムロと呼ばれる雑用係から始めた娘はもっと長いですが、大体10年で年季明けです。


年季があければ、遊女さんたちは吉原を出てフリーになれます。フリーになってから、おなじみさんと結婚する遊女さんもたくさんいました。お相手は大工さんだったり、左官屋さんだったり、だんなさんと一緒におそば屋さんを始めたりした遊女さんもいました。

また、「身請けみうけ」といって、大名やお金持ちのお客さんが遊女さんの借金を清算して全額支払い、その遊女さんを大名やお金持ちのお客さんが自分の嫁さんにしてしまうのです。

しかし、10年の間に出費も膨大です。化粧代や衣装代も数千万かかるし、習い事にかかる費用や、世話をしている禿の生活費も見なければなりません。さらに客をもてなすために使う布団まで遊女さんの自腹。だから、年間に800両(約8000万円)稼がないと食っていけないのです。遊女さんがせっかく稼いでも、稼いだお金はほとんどお店に搾取され、手元にはほとんど残りません。足りなければ妓楼の主人からさらに借金をしたと言います。借金を返しながら、仕事をしたのえ苦界10年と言われたのです。10年働いて借金を返し終わらなければほかの見世に売られたと言います。そのため馴染み客にお金の無心をしたといいます。無心状という手紙を馴染み客に送ったのです。その手紙には「貸してくれないと、いま死にます」と切実な思いがつづられているのです。

また、中にはやり手になって吉原に残る女性もいました。やり手とは遊女さんの世話をしたり、遊女さんを監視かんししたり、客が遊女さんにキケンなことをしないか(部屋に二人きりになるから)を監視する役目をする女性のことです。やり手と言いますと冷酷非情れいこくひじょうなあくどい年増としま女というイメージもありますが、そんな女性ばかりではなかったようです。やり手は遊女上りがおおく、遊女さんの苦労もわかるのではないかと。

しかし、年季までに無事につとめ上げた遊女さんばかりではありません。け落ちや心中をした遊女さんもいたし、病気にかかり命を落とす遊女さんも多かったようです。過酷な労働で自ら命を絶った遊女さんもいたとか。

病気で息をひきとった下級遊女さんの末路まつろはほんとうにかわいそうでした。病気で亡くなった下級遊女さんの遺体いたいはコモ(あらくったムシロ)に丸めて包み込められ、若い衆(遊郭の男性の従業員)が夜中に投げ込み寺へ運ばれたといいます。

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(いづれも投げ込み寺の浄閑寺の写真)

※ 参考文献






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