history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:禁酒法

ジャズが生まれたのは禁酒法が制定される前ですが、禁酒法がジャズの成長を後押あとおしをしたというとおどろかれる方もいらっしゃるのではないかと。実は僕もテレビのドキュメンタリー番組を見てびっくりしましたw

禁酒法時代に違法酒場いほうさかばで、ジャズミュージシャンが演奏をしていたのです。酒場と音楽は切っても切れないものですからね。

その違法酒場をシカゴでいくつも経営していたのが、前回の記事でご紹介したアル・カポネです。

この時期に活躍した歌手がアーム・ストロングにビリー・ホリディなどです。ルイは1920年代前半にシカゴに移り、音楽活動をしていたそうです。ビリー・ホリディは黒人女性として苦労をしたといいます。



(ルイ・アームストロング)


(ビリー・ホリディ)

※ 参考サイト
ウィキペディアなど。

禁酒法時代に暗躍したのがアメリカン・マフィアでした。そのアメリカン・マフィアで有名なのがアル・カポネでしょうか。禁酒法時代、シカゴを拠点に密造酒の密売で莫大な富を得て、「暗黒街の帝王」と呼ばれたほど。


アル・カポネは、1899年、イタリアからの貧しい移民夫婦の四男として、ニューヨーク市ブルックリン区の貧民街で生まれました。彼は少年時代から悪ガキで、教師をなぐって学校を中退すると、ストリートギャングになりました。当時のニューヨークで勢力を伸ばしていたボスがカポネのことを気に入り、暗黒街での生き方を一から教えたといいます。

このボスの配下が二件の殺人容疑でやばくなると、ボスはカポネをシカゴに送り込みました。1920年、カポネが21歳の時でした。

1920年といえば、禁酒法が制定された年でした。飲酒自体を禁止せず、酒類の製造、輸入、販売のみを違法としたこのザル法は、すぐさまギャング組織の莫大な財源に転じました。

禁酒法ができる前までは普通にお酒を買えたのに、この法律ができたため自由にお酒を買うことができなくなり、そのために密売が増えたのです。

さて、このアル・カポネのお兄さんが意外なことに、禁酒法時代の禁酒法取締り捜査官だったのです。ヴィンチェンゾ・カポネといい、カポネ家の長男です。

ヴィンチェンゾ・カポネは1924年にカポネ家の住むシカゴへと赴きました。弟たちの記事が掲載されている新聞の見出しから、家族の現状を確かめようと思い立ったからでした。

シカゴで記者たちに「禁酒法捜査官として酒の密売で弟たちを逮捕するつもりか?」と聞かれ、「弟たちがネブラスカ州に足を踏み入れたら、必ず逮捕する」と返答しました。以後、彼は少なくとも年に1度は休暇を利用し、シカゴを訪れている。その際、奥さんには行き先や理由は告げなかったといいます。

1927年に彼はカルヴィン・クーリッジ大統領の護衛を務めした。ヴィンチェンゾ・カポネがアル・カポネの兄だったという意外な事実は同僚の護衛たちはもちろん、大統領さえ知らなかったのです。

兄弟で真逆の人生を歩んでいるとはオドロキですね。


※ おまけ

アル・カポネの動画です。







※ 参考文献およびサイト

ウィキペディア


藁のハンドル (中公文庫―BIBLIO20世紀)
ヘンリー・フォード
中央公論新社
2002-03




「新・映像の世紀」で知ったのですが、禁酒法はヘンリー・フォードなどの当時の経営者側が強く求めていたようですね。

飲酒による労働者たちの仕事の能率が落ちているというのが経営者側の主張です。

トーマス・エジソンも禁酒法には積極的で、禁酒法を後押しする映画までつくるほど。その映画とは違法な酒場を女性たちが襲うというものです。

エジソンの手記には「かつては月曜になると、社員の奥さんたちがやってきて金曜にもらったばかりの給料を夫が全部飲んでしまったと私に泣きついたものだ。しかし禁酒法が制定されると、みんなその悩みから解放されたものだ」みたいなことを書かれていたようです。

このようにお酒を毛嫌いしている経営者がいる一方で、労働者側はどうしてお酒を飲むのでしょう?酒好きで飲兵衛が多いといえばそれまでですが、おそらくストレスではないかと。

20世紀初頭のアメリカの労働者はユダヤ人など移民が多かったようです。1910年にはアメリカの鉄鋼動労者の70パーセントが移民だったそうです。なれない異郷の地での仕事は、移民の人たちにとってストレスのたまることも多かったと思います。憂さ晴らしに酒を飲みたくなったのでしょう。

また、経営者側が禁酒法を後押ししたといっても、すべてのアメリカの企業が後押ししたわけではありません。お酒をつくる会社やお酒の卸売商や酒場経営者の間にとって禁酒法は大打撃でした。また、そこで働いている労働者たちも大勢失業したそうです。







※ 参考
『新・映像の世紀』より

禁酒法のことなのですが、なんと酒に毒が入れられていたというから驚きます。この事実は、CSの歴史番組で知りました。

アメリカ政府がアルコールに毒物を混ぜるように命令したのです。具体的には水銀塩だとかガソリンだとか。ひどい話です。

この毒入りアルコールを飲んで一万人の犠牲者がでたというから恐ろしい話です。アメリカ政府はアルコールに毒を入れることで、国民が酒をやめることを期待したのです。要するに脅しです。アメリカは自由の国だというけれど、自由じゃないじゃんと思いました。けれど、逆に隠れて酒を飲む人が続出したといいます。





※ 参考サイトおよび参考にした番組
「あなたが知らない10の歴史秘話」(ヒストリーチャンネルで放送された番組)

http://ja.naturalnews.com/jabuzz_buzz000049.html

禁酒法が成立したのは1920年ですが、この法律は、酒類の製造、輸入、販売を禁止していただけで、飲酒自体を禁止していたわけじゃなかったようです。つまりこの禁酒法はザル法でかげでこっそり酒を飲んでいたり、密造みつぞうもあったし、不健全な酒場を廃止することが目的の一つだったにもかかわらず、より不健全な非合法酒場が横行おうこうしたといいます。ロサンゼルスの街には地下にトンネルを掘り、そこにお酒をかくしたといいます。

また、医療目的いりょうもくてきと称して薬局を通すと、ウイスキーを手に入れることができた。

それどころか、この法律を議員たちが守っていなかったといいます。議事堂の近くではお酒が飛ぶように売れたといいます。大酒のみの議員も少なくなかったといいます。たしかに飲むこと自体を禁止していたわけではないのですが、それにしても自分たちが酒を飲むとはひどい話ですね。

ちなみに、この禁酒法が制定されたのはウィルソン大統領の時代ですが、1919年にウィルソン大統領の拒否権きょひけん(※1)を発動しました。しかし、連邦議会がその拒否権をふりきって成立させたといういきさつがあったのですね。

議員のみならず密造に手を貸す警察官もいたというからあきれます。彼らは大物マフィアと手を貸したといいます。



※1 議会を通過した法律に対し、君主・大統領などが承認をこばみ、その成立をさまたげる権限。


※ 参考サイトおよび参考にした番組

ウィキペディア

あなたが知らない10の歴史秘話

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