History日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:源信

前回の記事で『往生要集』には地獄について書かれていると書きましたが、この本の著者が源信というお坊さんです。源信は比叡山で修業をしました。調べによりますと紫式部の『源氏物語』、芥川龍之介の『地獄変』に登場する横川の僧都は、源信をモデルにしているとされるそうですね。もっとも僕は『源氏物語』も『地獄変』も読んだことがないから僧都なんて言われてもわからないけれどww


それはともかく、源信の人格形成には母の存在が大きかったようです。

源信が家を出たのは10代の時でした。父を亡くしてから源信は母に女手一人で育てられ、母の期待に応えるべく、比叡山に登り修行をしたのです。そんな源信の努力も実り、比叡山を代表する坊さんの一人になり、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれたといいます。そして、天皇からいただいた褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に手紙とその褒美を送りました。親孝行ですねえ。

数日後母から手紙が届きました。そしてその品物も送り返されてきました。「あなたが送ってくれた気持ちをうれしく思わないわけではありません。しかし遁世修道とんせいしゅうどう(※1)」というニュアンスのものだったそうです。ふつう親は息子の出世を素直に喜ぶものなのですが、源信の母はそうじゃなかったようです。世俗的な出世をするよりも、徳の高い立派なお坊さんになるために精進しなさいと源信の母は言いたかったのでしょう。


この手紙を見た源信は泣いたといいます。さっそく返信をしました。返信といいましてもメールじゃありませんよwこの時代はネットなんて影も形もありませんからw

「仰せの旨ふかく心にしみて承りました。仰せの通り山にこもり聖人になった暁には、母上から会いたいと仰せられればその時に会いましょう。そうでなければ決して山を降りません。ああ、わが母ながらなんという善知識(※2)でありましょう」という返事をかきました。

これまた母から返事があり「いまはほっと安堵しております。これで安らかに死ねる気がします。くれぐれもいい加減な修行はなさいませんように」と。



それから源信は母のいいつけに従い、山にこもって修行にはげんだといいます。何年からたって、源信の母が危篤との知らせを源信が知りました。

源信はさっそく母のもとにかけつけ、母の死をみとったといいます。そのとき源信は「聖の道に強く勧め入れ給ふ母」と評したといいます。

『往生要集』が書かれたのは源信の母が亡くなった後でした。

※1 遁世(とんせい)とは俗世間をはなれ仏門にはいること。おそらく遁世修道とは仏門の道をつきすすむという意味かと思われる。
※2 「善き友」「真の友人」、仏教の正しい道理を教え、利益を与えて導いてくれる人を指していう。ブッダはダイバダッタを善知識と呼んだという。

※ 参考文献




あと歴史秘話ヒストリアも参考にしました。

本題に入る前に、読者の皆さんにキツイ質問をします。気分を悪くされる方もいらっしゃると思いますが、なにとぞお許し下さい。

人は死ぬとどこにいくのでしょうか?天国?地獄?いまから死んだら地獄じごくに落ちないための5つの条件をお話しします。



1 小さな虫をふくめ「生物を殺したことがない」

2 形のないものをふくめ「人のものを盗んだことはない」

3 いかに愛していても「セックスをしたことがない」

4 それがやさしさだとしても、「ウソをついたことがない」

5 法律で許されたとしても「酒を飲んだことがない」



どうでしょうかみなさん?例えばゴキブリやコバエを殺しただけで地獄に落ちるのですね。厳しいですなwともかく人間は人間である以上地獄に落ちる条件を備えているのです。しかし、生前に良いことをたくさんすればエンマ様ほか、あの世の裁判官さまたちが情状酌量の余地があるといいます。みなさんボランティアをたくさんやりましょうねw?

それはともかく本題に入りましょう。





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