以前に歴史秘話ヒストリアで伊達政宗の話を取り上げていました。伊達政宗(だてまさむね)といえば「独眼竜」だけれども、なんと伊達政宗よりも以前に、それも中国に「独眼竜」とよばれた武将がいました。
その名を李克用(り こくよう)。
唐代末期の武将で、生まれつき片目が不自由だったそうです。
伊達政宗は幼いころ、天然痘で片目が不自由になり、それでコンプレックスを持っていました。が、自分の教育係であるお坊さんにこの李克用の話を聞かされ、励まされたそうです。
で、李克用が率いる軍隊は鴉軍(あぐん)と呼ばれていたそうです。その鴉軍は黒い衣装を着ていて、とても勇猛で戦にも強かったそうです。だから、周囲から恐れられたそうです。
僕にも経験があるなあ。中学のとき偏差値が低く、どこの高校にもいけないと担任の先生から言われた事があります。ボクもその時はどうすればよいのかわかりませんでした。
その時、ボクの家庭教師を引き受けた人がおりました。その人はやはり偏差値が低かったのだが、冬休みで偏差値を10以上上げて見事に高校に合格したそうです。その人の話をきかされボクも、励まされましたね。
さて、伊達政宗の軍隊のヨロイの色も黒だったそうですが、李克用の鴉軍(あぐん)にあやかったのでしょう。
唐代末期に起きた黄巣の乱を平定し、名声を得た李克用は朱全忠(しゅ ぜんちゅう)という武将と合い争う事になります。この朱全忠という武将ははじめは黄巣(こうそう)についていましたが、のちに唐に裏切り功績をあげた人物です。
李克用はこの朱全忠にライバル意識をいだき戦いを挑みましたが、53才の若さで亡くなりました。自分の果たせなかった事を息子に託したのです。その息子の名前が李存勗(り そんきょく)。息子に三本の矢をわたし、それで自分の代わりに朱全忠を討てと言い残し、息を引き取りました・・・
中国にもあった三本の矢(その時のエピソードは、こちらの記事に掲載しております)
三本の矢のエピソードといい独眼竜のエピソードといい日本の戦国時代とかぶる話が多いなと思いました。もっとも、三本の矢のエピソードは作り話というウワサもあるそうですが。
その名を李克用(り こくよう)。
唐代末期の武将で、生まれつき片目が不自由だったそうです。
伊達政宗は幼いころ、天然痘で片目が不自由になり、それでコンプレックスを持っていました。が、自分の教育係であるお坊さんにこの李克用の話を聞かされ、励まされたそうです。
で、李克用が率いる軍隊は鴉軍(あぐん)と呼ばれていたそうです。その鴉軍は黒い衣装を着ていて、とても勇猛で戦にも強かったそうです。だから、周囲から恐れられたそうです。
僕にも経験があるなあ。中学のとき偏差値が低く、どこの高校にもいけないと担任の先生から言われた事があります。ボクもその時はどうすればよいのかわかりませんでした。
その時、ボクの家庭教師を引き受けた人がおりました。その人はやはり偏差値が低かったのだが、冬休みで偏差値を10以上上げて見事に高校に合格したそうです。その人の話をきかされボクも、励まされましたね。
さて、伊達政宗の軍隊のヨロイの色も黒だったそうですが、李克用の鴉軍(あぐん)にあやかったのでしょう。
唐代末期に起きた黄巣の乱を平定し、名声を得た李克用は朱全忠(しゅ ぜんちゅう)という武将と合い争う事になります。この朱全忠という武将ははじめは黄巣(こうそう)についていましたが、のちに唐に裏切り功績をあげた人物です。
李克用はこの朱全忠にライバル意識をいだき戦いを挑みましたが、53才の若さで亡くなりました。自分の果たせなかった事を息子に託したのです。その息子の名前が李存勗(り そんきょく)。息子に三本の矢をわたし、それで自分の代わりに朱全忠を討てと言い残し、息を引き取りました・・・
中国にもあった三本の矢(その時のエピソードは、こちらの記事に掲載しております)
三本の矢のエピソードといい独眼竜のエピソードといい日本の戦国時代とかぶる話が多いなと思いました。もっとも、三本の矢のエピソードは作り話というウワサもあるそうですが。