1 目をつぶってはダメ!
「歴史秘話ヒストリア」で知ったのですが、新島八重(にいじまやえ)(※1)に火縄銃(ひなわじゅう)の撃ち方を教わった白虎隊士(びゃっこたいし)がいたそうですね。八重はその白虎隊士にきびしく指導をしたそうです。火縄銃を撃つと大きな音がします。まだ10代の白虎隊士は、その音にひるんで目をつぶってしまいました。しかし、そんな白虎隊士を八重は
「臆病者!目をつぶってはダメ!」
と何度もしかりつけたそうです。八重はけっこうスパルタ指導だったのですね。
さらに、八重はその白虎隊士の髪が長いというので、白虎隊士の髪を切ってしまいます。射撃のジャマになるという理由からでした。
女に銃の撃ちかたを教わるなんてなさけないと思うなかれ。
私がその白虎隊の立場だったら泣いちゃうかもw?
※1 旧姓・山本八重
2 砲術も名手だった新島八重
八重の父は会津藩
の砲術師範役です。さらに八重の兄の山本覚馬(やまもとかくま)も砲術の名人です。そういう家庭で育った八重も射撃の能力も相当のものだったようです。また、明治になってから八重は新島襄(にいじまじょう)と結婚し、夫と共に同志社(どうししゃ)を建てました。さらに、夫の死後はナースとなって活やくしました。そして昭和の初めまで生きぬきました。それだけ度胸のすわっていた女性なのです。
3 八重に鉄砲を習った伊東悌次郎
その白虎隊の名前は、伊東悌次郎(※2(いとう ていじろう)。学問もさることながら、柔道や砲術、馬術も得意でした。体は小さかったけれど、中々のイケメンだったそうですまるで私みたいwうそうそw。いわば、「ドラえもん」の出来杉みたいな白虎隊士だったようです。
伊東の自宅が、八重の家に近かったので、時々たずねては、八重や八重の兄の山本覚馬に砲術などの指導を受けていたそうです。
しかし、伊東悌次郎は白虎隊に入りました。そして、士中二番隊に配属されましたが、飯盛山にて自害しました・・・・享年17歳(※3)。
明治の世になり、山本八重は新島襄と結婚。そして、新島襄と二人で八重の故郷の会津におとずれました。そのときの写真がいくつか残されていますが、白虎隊のお墓の写真もあるそうです。八重も白虎隊の事を偲んだ事でしょう。
※2 「伊」に「東」の伊東ではなく、「伊」に「藤」の伊藤としている文献もあり。私のブログでは、伊東で通します。
※3 16歳とも言われている
※ オマケ
火縄銃は大きな音が出ます。
男の子でも初心者はびびるかもしれません。
八重が練習に使っていた火縄銃と同じものかどうかはわかりませんが、こちらの動画でも火縄銃のすさまじさがうかがえます。
※ 参考文献


会津白虎隊のすべて


剣の乙女
「歴史秘話ヒストリア」で知ったのですが、新島八重(にいじまやえ)(※1)に火縄銃(ひなわじゅう)の撃ち方を教わった白虎隊士(びゃっこたいし)がいたそうですね。八重はその白虎隊士にきびしく指導をしたそうです。火縄銃を撃つと大きな音がします。まだ10代の白虎隊士は、その音にひるんで目をつぶってしまいました。しかし、そんな白虎隊士を八重は
「臆病者!目をつぶってはダメ!」
と何度もしかりつけたそうです。八重はけっこうスパルタ指導だったのですね。

さらに、八重はその白虎隊士の髪が長いというので、白虎隊士の髪を切ってしまいます。射撃のジャマになるという理由からでした。
女に銃の撃ちかたを教わるなんてなさけないと思うなかれ。

※1 旧姓・山本八重
2 砲術も名手だった新島八重
八重の父は会津藩

3 八重に鉄砲を習った伊東悌次郎
その白虎隊の名前は、伊東悌次郎(※2(いとう ていじろう)。学問もさることながら、柔道や砲術、馬術も得意でした。体は小さかったけれど、中々のイケメンだったそうです
伊東の自宅が、八重の家に近かったので、時々たずねては、八重や八重の兄の山本覚馬に砲術などの指導を受けていたそうです。
しかし、伊東悌次郎は白虎隊に入りました。そして、士中二番隊に配属されましたが、飯盛山にて自害しました・・・・享年17歳(※3)。

明治の世になり、山本八重は新島襄と結婚。そして、新島襄と二人で八重の故郷の会津におとずれました。そのときの写真がいくつか残されていますが、白虎隊のお墓の写真もあるそうです。八重も白虎隊の事を偲んだ事でしょう。
※2 「伊」に「東」の伊東ではなく、「伊」に「藤」の伊藤としている文献もあり。私のブログでは、伊東で通します。
※3 16歳とも言われている
※ オマケ
火縄銃は大きな音が出ます。

八重が練習に使っていた火縄銃と同じものかどうかはわかりませんが、こちらの動画でも火縄銃のすさまじさがうかがえます。

※ 参考文献
会津白虎隊のすべて
剣の乙女