(この記事は2022年6月5日に加筆修正しました)



奈良県の吉野といえば、桜の名所であります。その桜の本数は3万本だと言われております。地元の人に聞いたら4万本はあるんじゃないかと言いますが、世間では3万本の桜と言われております。これだけのたくさんの桜は自然にはえたものではないし、観光目的で植えられたものでもありません。実は、吉野の桜は信仰の証として植えられたものです。

吉野で桜が植えられるようになったのは、役小角エンノオヅメという人物が関係あります。634年に葛城山カツラギサンのふもとで生まれ、厳しい山岳修行をしたのち、日本固有の山岳宗教に密教や陰陽道を取り入れ独自の修験道を確立させた人物です。その呪術で病に苦しむ人たちを救ったと言います。役小角は藤原鎌足の病気をの治したと言われております。また、道教を学び飛天の術という術を使って空を飛んだという言い伝えもあります。

が、役小角は時の大和政権から危険視されます。人々を迷わせたと言われ、699年に伊豆大島に流罪になりますが、のちに許されます。ちなみに役小角は昼は島で過ごし、夜は呪術で海を渡り富士山で修行したという伝説もあると言います。すごいですね!

役小角は、葛城や熊野、そして吉野などの霊山で修行を重ねておりました。すると、役小角の前に岩を割って蔵王権現ザオウゴンゲンが現れたと言います。感激した役小角はその蔵王権現の姿を山桜の木に刻み、本尊としてお祀りしたと言います。吉野にある蔵王堂は、役小角が年齢や性別に関係なく蔵王権現をお参りできるようにと建立したものだと言われております。

それ以降、吉野に参拝した人たちが、信仰の証として桜の木をこの地に植えるようになったと言います。役小角のさまざまなエピソードはただの伝説で、現実にあったとは思えませんが、それくらい役小角は庶民に愛され、やがて神格化されたのでしょう。

吉野は修行の山ですが、観光地としての顔も持っております。毎年、桜の季節になると観光客で賑わいます。吉野に観光で訪れたのは豊臣秀吉が最初だと言います。秀吉が吉野へ花見に訪れたのは1594年。
徳川家康や前田利家、伊達政宗など名だたる武将たちを集め、総勢5000人もいたと言います。秀吉一行は5日間吉野に滞在しましたが、秀吉が吉野に訪れてから3日間も雨だったそうです。

それに怒ったのは秀吉。秀吉は、「明日も雨だったら、吉野の桜に火をつけて燃やしてやる」とブチ切れたのです。それに慌てたのが吉野の僧侶たち。僧侶たちは晴天になるように夜通し祈願をしたそうです。その甲斐あって、四日目は見事に晴れ。秀吉はたいそう喜び、桜を燃やすどころか、桜の苗木を吉野の地に1万本寄進したと言います。


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(蔵王堂の入り口)

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(蔵王堂。現在は改修工事中。)

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(吉野の街並み)


* 参考文献及び参考サイト

吉野の観光パンフレットやウィキペディア。それから「にっぽん!歴史鑑定」(BS・TBS)も参考にしました。