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みなさんは、歌舞伎の「勧進帳」という演目をご存じでしょうか。平家を倒した後、源頼朝と源義経は対立をするようになります。源頼朝に追われた源義経たち一行が山伏の姿をして(※1)東北の平泉へ向かいました。その途中、今の石川県にあった安宅の関を守っていた富樫 泰家に「ちょっと待て!お前は義経じゃないのか!?」と足止めされてしまいます。
それで、義経の家来だった弁慶が機転を利かせ、勧進帳(※2)の巻物を読み上げるのです。その巻物は白紙なのですが、弁慶は勧進帳の内容を暗記していたので、すらすらと読み上げるのです。しかし、富樫はまだ怪しみます。
それで弁慶はなんと義経を棒でひっぱだくのです。「お前が義経に似ているから疑われたじゃないか!」って。それで富樫が「もうよい、そなたたちが義経ではない事はようわかった」と、疑いの目が晴れて義経一行は通ることができたと言うのです。もちろん、弁慶は義経に対して、棒でたたいた事を泣いてわびたそうです。普通だったら怒りますよね。でも、義経はそんな弁慶のとっさの機転と彼の忠義をねぎらったそうです。
一方の富樫は、山伏の一行の正体が義経達だと知っていながら、弁慶の主君を思う心に感服して関所を通ることを許したというのが、「安宅の関」のエピソードです。感動的なエピソードですね。

でも、義経が割とスムーズに東北へ行けたのは紛れもない事実。当時は関所なんてなかったという意見もあれば、義経一行は船で東北に行ったという説もあります。それどころか、頼朝はわざと義経を東北へ行かせるために、義経の東北行きを見逃したのではないかって仮説をたてる人もいるくらい。 義経が藤原家に逃,げ延びれば、義経を討つこともできるし、奥州の地も手に入れることができるという、頼朝にとってまさに一石二鳥な話ですしね。
※1 修験道の行者。金剛づえ・ほら貝などを持ち、特定の山に登って修行するひとたちのこと。
※2 お寺に寄付を募るお願いが書いてある巻物。弁慶が読み上げた勧進帳の内容は、奈良の大仏再建するための寄付のお願い