今日は3月11日、あの日からちょうど5年たつのですね。僕は東京に住んでいたのですが、東京も結構揺れたのですね、それから3年後の2013年に僕は家族とともに福島と岩手、それから宮城にも訪れました。言葉も出ませんでしたね。震災の傷跡がまだところどころで残っていて。あの時の被害がいかに甚大か思い知らされました。陸前高田にある奇跡の一本松にも訪れました。





かつて陸前高田の海岸沿いかいがんぞいに7万本もの松があり、高田松原と呼ばれていました。奇跡の一本松きせきのいっぽんまつは、東日本大震災による津波つなみでも、なんとか残った松のことです。高田松原の松林は、自然に生えていたものかと僕は思っていたのですが、どうもちがったようです。



調べによりますと、江戸時代のはじめごろに地元の豪商ごうしょう・菅野杢之助(かんの もくのすけ)が防風・防潮ぼうふう・ぼうちょうのために植林しょくりんされ、仙台藩せんだいはんと住民の協力によってクロマツがたくさん植えられたそうです。杢之助もくのすけが松の植林を行ったのは奉行ぶぎょうの命令によるものでしたが、のちに私財を投じて植林を行いました。



杢之助は松林の成長を見ることなくこの世を去りますが、彼の遺志いしいだ子孫の手により、数十年かけて松林が整備されました。



それから江戸時代の中期(享保きょうほう年間)に松坂新右衛門(まつざか しんうえもん)という人も多額の私財を投じて植林をしたそうです。



菅野杢之助や松坂新右衛門のお二人は、私財を投げうってまで人さまのために植林をしたのです。なかなかできることではありません。



菅野杢之助や松坂新右衛門らが植林した松林は、たびたびの津波から陸前高田を守ってきたのですね。





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(バス停)



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(バス停の近くにあった花だん。僕の写真のり方が悪いだけであって、実物はもっときれいです)









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(いづれも、一本松の写真。本物の一本松は根が海水につかってくさってしまったのですが、今は修復されモニュメントとして残っております。一本松の下の所に慰霊碑いれいひがありまして、僕も手を合わせました。)





参考サイト



http://www.library.pref.iwate.jp/0311jisin/ijinden/09.html