History日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:古代オリンピック

「オリンピックは参加することに意義がある」といいますが、残念ながらオリンピックをめぐり様々な利権やら思惑やらがあったりするわけでして。古代オリンピックにおいても不正があったそうです。


もちろんオリンピックもはじめは純粋じゅんすい宗教的儀式しゅうきょうてきぎしきとしてスタートしました。けれどオリンピックも回を重ねていくうちに、勝つことがすべてになったようです。

オリンピアの優勝者は、ゼウスの神殿でオリーブのかんむりをあたえられ、人々から祝福される、それが本来の優勝者にあたえられる勝利の報酬ほうしゅうでした。つまりお金よりも名誉めいよが大事だったのです。


オリンピック史上、最初の処罰しょばつが行われたのは紀元前388年の大会です。ボクシングの試合で、ある選手が大戦相手を買収し、わざと負けさせたのです。その後、不正行為をした選手はメッチャ高い罰金ばっきんをはらうようになりましたが。


さらに、時代がたつにつれて優勝者に、お金がおくられるようになりました。また、勝者にはパトロンがついたとも言われています。お金欲しさに、不正を働くもの、審判を買収するものが出てきたのです。


古代オリンピックの短距離走では、今じゃ考えられないような不正があったようです。一流の選手はともかく、三流の選手は、他の選手を転ばせたり、じゃまをしたり、ライバルのかみをつかんで投げとばしたとも言われています。子どものケンカのようですが、勝つためなら手段を選ばぬというやつでしょうか。

「オリンピックでは金の力ではなく、自分の足の速さで勝ち、自分の肉体で勝て」という銘文めいぶんきざまれた彫像ちょうぞうも作られたほどだから、古代オリンピックは金がモノをいったのかもしれません。



オリンピックを開催していた古代ギリシャは、新興国しんこうこくのローマ帝国ていこくに支配されるようになりました。ローマに支配されてもオリンピックは続けられました。しかし、ローマ皇帝こうていネロの時代にトンでもない事が起こります。

ネロは第211回オリュンピア競技会の日程を本来行うべき紀元後65年から無理やり67年にずらしただけでなくそれどころか、自分が優勝できるように審判しんぱんを巨額のワイロで買収したそうです。

そのネロのやりたい放題ぶりは、以下の通り。



  • ネロは戦車競走に出場したが、競争で馬車からふり落とされて完走できずにリタイヤしたにも関わらず、なぜかネロは優勝。


  • 音楽部門でもネロは出場したが、ネロが舞台ぶたいで歌っている最中は、どんな事情でも退席がゆるされず、もちろんトイレもダメ。妊婦にんぷさんも産気づいても、その場を退席できず、客席で赤ちゃんを産んだ人もいたとか。優勝はネロ

http://bushoojapan.com/scandal/2014/02/26/15195
(参考にしたサイト)






※1 支援しえんをしたり、保護をしたりする人のこと。

※2 新たにおこった国


※ 参考文献


驚異の古代オリンピック
驚異の古代オリンピック [単行本]

1 短距離走たんきょりそうから始まったオリンピック
紀元前776年の第一回古代オリンピックの競技種目は短距離走の一種目だけでした。距離きょりは、1スタディオン(約192メートルの直線)だったそうです。(複数行われたという説もあるようですが)この時の優勝者は、エーリス(*1)の若者でした。

それから時代がたつにつれて、中距離走、長距離走と増えていったそうです。中距離走では約400メートルを往復する中距離走、、長距離走は、大会によって距離が異なり、1344メートルの年もあれば、4600メートル近く走った年もあったそうです。距離が短かった年はラッキーw?

のちには重装歩兵のヨロイやカブトを身につけ、タテを持って走る武装競争も行われました。結構きつそうですね。

紀元前708年の第18回からは、五種競技が採用されました。一人の選手が五種目に挑戦する競技で、幅跳び、円盤投げ、短距離走、槍投げ、レスリングを行ったのですね。すごいですね、現代では考えられませんね。陸上競技だけでなくレスリングまでこなさなくてはならない。並大抵の身体能力がないと優勝するのは厳しいでしょう。当然、優勝者は、人々のあこがれの的となりました。

またボクシングやパンクラチオンという種目も始まりました。格闘技やパンクラチオンは特に人気が高かった競技です。え、パンクラチオンって何かって?ええ、パン食い競争のことですwうそ、うそ。パンクラチオンのことは後ほどご説明します。


他にも、少年短距離走、少年レスリングといった少年競技(出場資格は17才から20才まで)や、武装競争、伝令競争、ラッパの演奏のうまさを競うラッパ競争、競馬競争、戦車競争も始まりました。ところで、戦車競争って何かって?これも後でご説明します。

ただし、各大会でこれらの競技が全種目実施されたのではなく、多くとも一大会につき、十三種目が行われたそうです。

2 ボクシング
 ボクシングは今以上にエキサイティングだったそうです。

  1. 時間は無制限

  2. 休息なし

  3. 体重別の階級分けもなし

  4. 自らの手を守るためのグローブもなし

  5. フットワークやボディーブローなしの足を止めてのなぐり合い



だったといわれています。

グローブはなかったそうですが、敵へのダメージを大きくする為に握り拳にぎりこぶしに革ヒモを巻いていたそうです。ローマ皇帝の時代になると、かわひもに金属鋲きんぞくびょうを埋め込んで、試合にのぞんだ人も。

だから、優勝した者でさえ、顔がふくれ上がり、歯は何本も折れ、肉がえぐれて骨が見えたとか。

ローマ時代に、ある貴族のボクシング選手は試合後に顔が変形してしまいました。そのボクシング選手のあまりの変わりように、兄弟でさえも見分けがつかず、そのボクシング選手は遺産の相続権を失ったそうです。

また、試合で対戦相手を殺してしまい、「オレはなんてひどいことをしたんだ」とか言って気が変になった選手もいたそうです・・・
 
3 戦車競争
 戦車競争とは、どんな種目だったのでしょう?約40台の戦車がオリンピックの競技場のコースにひしめき、スピードを競う、古代のF1グランプリのようなものでしょうか。その戦車競争の様子は、映画『ベン・ハー』にも出てきます。

戦車と言っても、今の我々が知っている戦車ではなく、4頭立ての馬車の事です。



この戦車競争は、戦車同士が衝突しょうとつして血が流れるのは当たり前でした。また、馬車からふり落とされたり、戦車の車輪がこわれたりして大事故を起こしてまい、戦車に乗っている人が死んでしまうこともありました。完走した戦車は一台だけという、ものすごいレースだったそうです。

https://www.youtube.com/watch?v=fFr8C34v-q8
(戦車競走の様子。『ベン・ハー』より。映らなかったらごめんなさい)



古代ギリシャの詩人・ソフォクレスは、戦車競争で起きた事故の事を次のように述べたようです。


「観客が見守るなかで、馬車を操る人の体がふわりとき、悲痛ひつうなさけび声があがって、若者の体は地面で大きくはずんだ。仲間が暴走する馬をつかまえ、血まみれの死体を馬車から引き出したときには、親友さえ彼とわからないほど変わり果てた姿だった」


4 パンクラチオン
 パンクラチオンというのはパン食い競争のことではありません。これはボクシングとレスリングを足して2で割ったような競技です。時間は無制限で、相手をタタきのめすまで試合が続けられたのです。が、一応降参することは認められ、右手の人差し指を立てれば降参だそうです。

試合はパンチやキックが技の基本で、投げ技や締め技、関節技などが行われていました。目や鼻、口や耳などに指をつこんだり、みついたりすると反則になります。ところが、男の急所のアソコを攻撃するのはOKだったのです。変なルールですね。

このパンクラチオンは体重別ではありませんでした。体重差が違う者同士の戦い、例えるなら、ブルース・リーとボブ・サップが戦うようなこともあったようです。

ともかく、このパンクラチオンは危険極まりないスポーツで、パンクラチオンの競技中に死亡したケースもあったといいます。

*1 古代ギリシャの地名。現在のイリア県あたり。


※ 参考文献



これならわかるオリンピックの歴史Q&A
みどり, 石出
大月書店
2016-04-22

古代オリンピックに参加するにはいくつかの厳しい条件をクリアしなくてはいけませんでした。

  1. ギリシャ人の男性。ハーフはだめ。ローマがギリシアを支配すると異民族もOKになる

  2. 女性は参加禁止(見物は条件付き)

  3. 法律上の刑罰けいばつを受けた事が無い者。

  4. 神をよごす行いの無かった者。

  5. 規定による10ヶ月間の訓練を経た後、大会直前の30日前、合同合宿の成績により適格者と認められた者



古代ギリシャ人は、自分たちのことをギリシア神話の英雄ヘレンの子孫であるとして、「ヘレネス」と呼び、異民族を「バルバロイ」とよびバカにしていたのですね。バルバロイとは「聞き苦しい言葉を話す者」という意味です。宗教行事である古代オリンピックは、ギリシア人としての民族意識、ギリシア人としての一体感を作りだす場でありました。だからギリシア人以外は参加してはダメということになったのですね。

参加資格はギリシャ人である事が条件ですが、後年ローマ人やマケドニア人も参加できるようになったそうです。紀元前二世紀になり、ギリシアがローマの支配下に置かれると、オリンピックはギリシアだけのものではなくなり、ローマが他民族を統治するための政治の道具の一つとなり、国際化しましたかつてギリシア人がバルバロイとバカにしていた地中海周辺の異民族も参加できるようになりました。

古代オリンピックは会場には女性は出入り禁止で、競技者はもちろんのこと、審判しんぱん、役員もダメ。なでしこJAPANは、古代オリンピックではありえない話なんですね。古代ギリシアは男性中心の社会で、女性の地位は低かったのです。一応、見物くらいなら認められましたが、これも制限がありました。既婚女性はダメだったとか。そしてなぜか知りませんが、未婚の女性なら見物は認められました。

一方で、オリンピックの参加はダメでしたが、同じオリンピックの競技場で女子だけの競技祭がオリンピックとは別におこなわれたとも言われております。女神ヘラに捧げる競技祭で、四年ごとに行われたそうです。ヘラとはお料理に使う道具のことではありませんw、ヘラとはゼウスの妻で結婚をつかさどる神様です。その競技は約160メートルの短距離走のみ。優勝者はオリーブの葉の冠とヘラにささげられた雌牛メウシの肉が与えられました。参加した選手はタケの短い衣服で走ったようです。


参加した選手は男性のみで、はだかで競技に参加したそうです。オリンピックも当初は、はだかではなく、腰布をつけて競技を行っていたのです。それが、いつの間にかはだかでやるようになりました。なぜでしょう。諸説あります。


  • ある走者が腰布を落としてしまっても走り続けて、優勝したことがあり、それから定着した。

  • スパルタの走者が連続して優勝したから。(スパルタでは裸でスポーツをする風習があった)

  • 女性のコーチが男装して競技場に入ったから。



 ともあれ、古代オリンピックは、競技だけでなく、選手たちの肉体美を披露ひろうする、いわゆるボディービルのコンテストのような場でもあったのです。ギリシアでは、理想に近い完璧な肉体は、精神や知性の完璧さにつながると考えられておりました。

選手たちは裸の体にオリーブ油を塗ってトレーニングを行いました。オリーブ油は空気が乾燥して、肌が乾きやすいギリシアでは欠かせない者でした。トレーニング後は汗と油を落とし、選手たちは水浴びをしたといいます。










※ 参考文献

驚異の古代オリンピック
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