History日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:九尾の狐

DSC_0098

(まだ割れる前の殺生石。すでにヒビが入っていた)

栃木県の那須高原にある殺生石が割れたというニュースを目にしました。殺生石に関しましては、以前に九尾の狐の時に書きました。九尾の狐が玉藻の前という女性に化けていたが、陰陽師に見抜かれ、那須まで逃げてきたと。そこで朝廷の軍勢に討たれてしまった。その九尾の狐が呪いの言葉を残して、石に化けてしまったと。その石が殺生石だという話。

その石が割れたのだから、不吉だと思った人も少なくありません。かくいう僕もその一人。

九尾の狐の話は古代中国からありました。時は、殷の紂王の時代。紂王は妲己という女性を非常に愛しておりました。その妲己こそ九尾の狐が化けたものだと言われております。紂王と共に残虐なことをしていたといます。2本の柱に橋のように板を乗せ、その上に人を渡らせます。しかも、その橋の真下は火がメラメラと思えているのです。当然、橋から落ちたら死んでしまいます。その人が落ちて死んでいく様を妲己と紂王は楽しんでいたのです。それを見かねた忠臣たちも処刑するなど、ひどいものでした。紂王の悪政で、人々は苦しみ、そして反感をかったのです。結局、紂王は自害し、殷王朝は滅びました。

次に、西周の12代目、幽王の時代に褒姒(ほうじ)という女性に化けます。褒姒はなかなか笑わない女性で、幽王は彼女を笑わそうとするが、なかなかうまくいきません。結局、幽王は家臣からも見放され、自害してしまいます。

さらに、九尾は天竺(インド)にわたって華陽夫人に取り憑き、班足太子に取り入ったのです。そこで、太子をそそのかし、1000人もの人の首を刎ねるなど、恐ろしいことをしていたのです。

そして、日本に渡って、今度は玉藻の前となって、時の鳥羽上皇をたぶらかしたと言います。九尾の狐は那須で石灰石になったと言いますが、のちに日蓮上人が那須にやってきて、日蓮との出会いにより、改心し、悪さをしなくなったという伝説もあります。

また、韓国で九尾の狐はクミホと呼ばれ、親しまれているようです。クミホは悪さをするどころか、人間に知恵を与えてくれるありがたい存在として描かれております。

元々は九尾の狐も悪い魔物ではなく、人間に幸福をもたらす存在だったのかもしれない。実際、九尾は神獣、瑞獣など神聖な生き物だったと言われております。それが、なんらかの理由で、人間を憎むようになったのかなって僕は思います。「ごんぎつね」の話じゃないが、人間に親切にしたのに、逆に殺されてしまい、それから人間を恨むようになったのでは?と想像してしまいます。




ごんぎつね (日本の童話名作選)
南吉, 新美
偕成社
1986-10-01





九尾キュウビキツネをご存知でしょうか

僕は藤子・F・不二雄先生の「T・Pぼん」で九尾の狐のことを知りましたwww


時は平安時代の後期、鳥羽上皇トバジョウコウは、玉藻タマモの前と呼ばれる女性を大変愛していました。頭も良く、気量も良い。ある日、帝が重い病気になってしまうのです。その原因はなんだろう?都の医師という医師が「さても不思議な病気」と首をひねるばかり。それで、陰陽師おんみょうじの安倍泰成(あべのやすなり)のおいのったところ、九尾の狐が玉藻の前に化けて、みかどをたぶらかしたとわかったのです。玉藻の前は正体を見破られて、逃げてしまいます。おそらく、鳥羽上皇が病気になったのは、九尾の狐の仕業というより、疫病にかかったのだと思います。コレラだとか、20世紀の初めに流行ったスペイン風邪(インフルエンザ)みたいな。昔は医学が発達していなかったから、治療法のわからない重い病気になると、キツネだとか妖怪のせいにしていたのでしょう。

藤子先生の『TPぼん』では、玉藻の前は、上皇に愛されていたので、妬まれ、宮中の勢力争いに巻き込まれた気の毒な女性と描かれております。一方、玉藻の前のモデルは、藤原得子という説もあります。藤原得子は低い身分でありながら鳥羽天皇(上皇)に愛され皇后にまで成り上がり、自分の子を帝位につけるよう画策したと言われております。そして自分に敵対する人物を失脚させ、保元の乱の遠因を作った女性です。

そして、九尾のキツネ那須なすが原にげこんだのですが、朝廷ちょうてい上総介広常カズサノスケヒロツネ 三浦介義純 ミウラノスケヨシズミの両名に九尾のキツネを退治するように命じました。

九尾のキツネは妖術を使って広常と義純ら率いる朝廷の軍勢と戦いますが、九尾は力尽きてしまいます。すると、死した九尾のキツネはうらみを残したまま石になってしまいました。その石から毒気どくけき出て、近づくものは死んでしまったそうです。

その石こそ殺生石(せっしょうせき)と呼ばれるもので、今も那須高原なすこうげんにあります。

室町時代になると、あるおぼうさんがこの石に念をかけたそうです。すると石は三つに割れてしまい、ひとつは会津あいづ、ひとつは備後びんご、そして残ったのが、この那須高原の殺生石だそうです。伝説では、殺生石から出てくる毒は、九尾の狐のおんねんだといわれています。が、那須の山々は火山帯で、殺生石付近一帯も、硫化水素りゅうかすいそ亜硫酸ありゅうさんガスなどの有毒ガスが吹き出ることがあります。ガスが出てくるのがひどい場合は、立ち入りを規制されるそうです。僕も実際に訪れたときは特に規制はされなかったのですが、殺生石あたりは硫黄いおうのにおいがぷんぷんしていました。




DSC02240

(殺生石)

DSC02234

(殺生石の説明板)

DSC02239

(殺生石のところにあった無数のお地蔵じぞうさま。)


※ おまけ

殺生石の近くに温泉があります。



(この記事はウィキペディアを参考にして書きました)

この記事は2013年10月15日に書いたものを加筆修正しました。

このページのトップヘ