マッカーサーは日本の原爆投下を反対していたといいます。そもそも、マッカーサーは原爆の開発計画すら知らされていたなかったのです。1945年の7月25日付(原爆)投下命令書のコピーが届けられ始めて知ったといいます。
戦後、広島で原爆投下2周年記念日に慰霊祭が行われましたが、マッカーサーはメッセージを送ったといいます。
そのヒロシマの教訓をマッカーサーは以下のように述べております。
原爆を使うことは、人類滅亡につながるとマッカーサーは警告したのですね。
ところが、朝鮮半島で戦争が起こり、戦争が泥沼化するとマッカーサーの態度は一変。彼は原爆使用と中国本土への軍事作戦を含む全面戦争の戦略を強く押し出し、ついにトルーマン大統領に解任させられてしまいます。
マッカーサーは、1954年1月にあるジャーナリストに非公開を条件に「朝鮮戦争に10日間で勝つ方法」を語ったといいます。曰く、
というものでした。落とす原爆の数がハンパないですね。30発から50発ですよ。3発から5発の間違いじゃないかって思いたくなります。恐ろしいですね。このマッカーサーのインタビューは彼が死後公開され、話題になり、マッカーサーの名声を失墜させたとか。
* 参考文献
戦後、広島で原爆投下2周年記念日に慰霊祭が行われましたが、マッカーサーはメッセージを送ったといいます。
そのヒロシマの教訓をマッカーサーは以下のように述べております。
「それは戦争の破壊性を助長するために、自然力を利用することはますます進歩して、ついには人類を絶滅し、現代世界の物質的構造物を破壊するような手段が、手近に与えられるまでに発達するだろうという警告である」(『中国新聞』)
原爆を使うことは、人類滅亡につながるとマッカーサーは警告したのですね。
ところが、朝鮮半島で戦争が起こり、戦争が泥沼化するとマッカーサーの態度は一変。彼は原爆使用と中国本土への軍事作戦を含む全面戦争の戦略を強く押し出し、ついにトルーマン大統領に解任させられてしまいます。
マッカーサーは、1954年1月にあるジャーナリストに非公開を条件に「朝鮮戦争に10日間で勝つ方法」を語ったといいます。曰く、
「朝鮮北部に30発から50発の原爆を投下して敵の空軍を一掃し、ついで米海兵二個師団で増強された蒋介石50万を台湾から送り込む。さらに放射性コンバルトを日本海から黄黄海まで敵の主要補給戦にばらまき、朝鮮を中国東北部(かつての満州あたり)から遮断する」
というものでした。落とす原爆の数がハンパないですね。30発から50発ですよ。3発から5発の間違いじゃないかって思いたくなります。恐ろしいですね。このマッカーサーのインタビューは彼が死後公開され、話題になり、マッカーサーの名声を失墜させたとか。
* 参考文献