* この記事はNHKの「バリバラ」を参考にしてかきましました 戦時中は、障害を持った人たちに対する偏見ヘンケンも、また扱いかたも悪かったのですね。目が不自由だとか、耳が聞きえづらいとか、障害を持った人は基本的に戦争に行かなくて良いことになっており、徴兵検査によばれることはなかったのです。生まれつき脳性ノウセイマヒだったAさんという方に徴兵検査の知らせが来るのですね。自分は兵役免除ヘイエキメンジョのはずなのに、なんでだとAさんが思ってきた見たら、その場でAさんは自分の体をさらしものにされ笑い物にされたのですね。そこで障害を持っているとバカにされたり、変な目つきで見られたのですね。笑い物にするために、わざわざ呼び出すなんてひどい話です。 また、障害を持った子供は、捕虜ホリョごっこという遊びで、すぐ捕虜役をされてしまいます。それでヒモでグルグル巻きにされ木にしばりつけられたといいます。明らかにイジメですが、障害を持った子供はバカにされても人の役に立ちたいと思っていたので、そんな嫌な思いをしても、イジメだと認識しなかったようです・・・ 空襲が激しくなると、家族に障害を持った人が一人でもいると、逃げるのが大変になります。そうなると、家族のものから疎まれ、しまいに「死んでしまえ」って面と向かって言われてしまうのですね。いった方はともかく、言われた方は一生の心の傷になりますよね。 この時代の、特にお偉いさん方は、戦争に役立つか、役立たないかで人間の値打ちを決めていた節がありました。ある大学の教授が盲学校モウガッコウでの講話において、このようなことを述べていたそうです。
「あなた方は少年航空兵にもなれず、潜水艦にも乗れず、直接召に応じて出征することが出来ない身の上であります。敵と体当たりをして散ってゆく同年輩の青年。そうした人々と自分とを引き比べてみて、目の不自由から来る身の至らなさに思いを致されなければなるまい」 NHK「バリバラ  〜障害者の戦争体験、世代こえ優生思想と向き合う〜」より。
つまり、戦争に行けないお前たちは穀潰ゴクツブしだと。実際、戦争が激しくなると、食事も取らせてもらえないというケースもあったそうです。ご飯を食べさせないで、飢え死にさせようとしたのかもしれません・・・・ そして1940年、「国民優生法」が制定します。これは、障害者などへの不妊手術を合法化したもので、障害を持った胎児タイジは流産させろというもの。この法律が制定された時のマスコミは「悪血の泉を断て」という見出しをつけたといいます。ひどいですね。ちなみに「国民優生法」は、戦後の「優生保護法」に受け継がれ、それがなんと1996年まで続いたというから驚きです。 それでも、戦局が悪化すると、障害を持った人でも積極的に使おうという意見も強まります。アメリカの戦闘機の音を録音したレコードを作り、盲学校の生徒たちに聞かせ、敵機の音を覚えさせ、周りの人たちに「危ないね」って伝える役目、つまり空襲の監視員をさせようとしたのですね。 戦時中は、戦争に役立つか、役だ立たないかで人間の値打ちが決まりました。じゃあ平和になった戦後になれば良かったかといえば、それは大間違いで、(経済の)生産生があるかどうかで人間の値打ちが決まるところがある。戦前から続く優生思想は根強く残ったのですね。2016年に相模原障害者施設殺傷事件なんて、その典型でしょう。犯人の残虐性が注目されましたが、なんとネットでも、やったことはどうあれ気持ちはわかるみたいな意見もあったといいます。 かつて岩橋武夫という人物が、戦前、戦後と日本にヘレン・ケラーを招きましたが、日本のそんな状況を憂いたからだと思われます。 一方で自動車大手のトヨタが大金をかけて障害者雇用の研究を大真面目にやっているという話も聞きますし、障害を持った人たちが生き生きと暮らせる社会にしようという動きもあるのですね。