history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

タグ:ナチス







「フォルクス・ワーゲン」とはドイツ語で「大衆車」というそうです。だから僕はそれをしって「え?」と思いましたね。だってフォルクス・ワーゲンといえば高級で高いイメージがありますもの。でも、ナチスは労働者のためにフォルクス・ワーゲンをつくったのです。

昔は、車の値段も今よりずっと高く、お金持ちしか買えないシロモノで、庶民には縁の無いものでした。それでヒトラーが「庶民にも車を」と思っていたようです。車を内心欲しがっていた庶民は当然喜びます。「俺たちに夢を与えてくれたヒトラーに感謝カンゲキ雨嵐w」なんて思ったに違いありません。

フェルナンド・ポルシェという若い技術者に庶民の車を開発するプロジェクトをヒトラーは任せたのです。ポルシェは、国の全面支援を受けフォルクス・ワーゲン社を設立しました。

車を作る際、ヒトラーが特にこだわったのは価格だそうです。そりゃ安いに越した事はありませんからw

1938年にフォルクス・ワーゲンの試作品第一号が完成しました。

ワーゲンを欲しがるドイツ国民は結構いました。しかし、当時のドイツの平均月収は100ないし150マルク。一千マルクほどの車を一括でぽ〜んと買えません。

そこへワーゲンを買うための積立制度を1938年にはじめました。ナチスは「車が欲しかったら毎週(最低でも)5マルク積立しなさい」と宣伝したそうです。

そうして、車が欲しい人はせっせと積立をしたそうです。中には一週間の賃金の4分の1を積立金にあてる者もいたそうです。

けれど、1939年にドイツがポーランドに侵入して、車の生産が中止されました。フォルクス・ワーゲンの工場は軍事工場に変えられてしまい、購入者達がせっせと払い込んだ積立金は、軍事費(軍用機)にそのまま流用されてしまったのです。しかも積立金をいくら積み立てても車は手に入らないし、積立金も返ってきませんでした。ナチスは積立金を集めるだけで、実際に車が納品されることはなかったのです。

はっきり言ってサギやんwww

まあ、ポーランド侵攻が無ければ、こんなことにはならなかったという見方も出来ますが、せっせと金を払った人たちはたまったもんじゃありません。



(この記事は2022年1月に加筆修正しました)

当時のドイツはワイマール共和国と呼ばれ、当時最も民主的な政治が行われておりましたが、人々は大恐慌の影響で大変苦しい生活を強いられていたのです。失業率もなんと550万人以上もいたと言います。そこに現れたのがヒトラー率いるナチス。

ヒトラーの主張は大変過激なもので、戦勝国に奪われたドイツ領土の奪還を国民に宣言。

敗戦のためにドイツの人々は苦しみ、そして戦勝国に対して恨みを抱いていたのです。そこにヒトラーが火をつけたのですね。あるドイツ国民(男性)は「ヒトラーこそ敗戦からドイツを立ち直らせ成功に導く救世主だ」と思ったとか。

15世紀にドイツにランツクネヒトという傭兵がいるのですが、ドイツの男性は彼らのように最前線で泥まみれで勇猛果敢に戦い抜くことに魅力を感じていたのです。だから、祖国を奪われた今こそ立ちあがろうと思った男たちも少なくなかったのです。

ヒトラーは男性だけでなく女性にも目を向けました。当時の女性は何かと虐げられていて、男性に比べ地位の低いものでした。当時は女性の社会進出が始まったばかりの頃で、特に農村部の主婦層は不満が多かったのです。都会で社会進出をする女性がいる一方で、自分達は毎日子育てと家事の繰り返しで、置いてけぼりにされたような感覚になったのですね。そこでヒトラーは「国家は君たちを必要としている」と呼びかけたと言います。ヒトラーは、社会進出している女性よりも家庭で子供を生み出して、育てる女性こそ大切だと説いたのです。これには主婦たちも感激しますね。

人間誰しも持っている承認要求をくすぐられた人々は次々とナチスを支持。社会の中で生きる意味を与えられることは人間にとってとても重要なのですね。

ヒトラーは「一致団結した公平な社会を作ろう」と呼びかけたのですね。




*この記事は「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。

(この記事は2022年1月に加筆修正しました)

1 ドイツの政治家にとっては黒歴史
来月、ドイツで総選挙が行われます。現在首相のメルケルが再任されるかどうかが焦点です。メルケルは東日本大震災を受け、「2022年までに国内17基すべての原発を閉鎖する」と発言しました。さて、そのメルケル首相がヒトラーの娘だというウワサもあるようですが、おそらくガセかと思われますwww

ところで、そのメルケル首相は、ナチスやヒトラーのことをどう思っているのでしょうか?メルケル首相は、ナチスの強制収容所に訪れて「深い悲しみと恥ずかしさを感じる」と述べたそうです。また、ネオナチによる殺人事件も起こったようですが、そのときもメルケルは悲しげな顔をしながら、排外主義や暴力を否定するメッセージを発しております。





メルケル首相だけでなく、戦後のドイツ(それも東西統一後)の議会はナチの暴力支配に対する責任も認めているようです。ドイツの政治家にとって、ナチスが支配したころのドイツは黒歴史なのでしょう。

2 一般市民のヒトラー評価
 では政治家ではなく一般市民はナチとヒトラーをどう評価しているのでしょうか。「戦争さえしなければヒトラーは偉大な政治家だった」というアンケートに、住民達の71パーセントが「そうではなかった」と答えています。逆に、「偉大な政治家だった」と答えたのは24パーセントに過ぎません。

さらに「ナチ国家は不法国家だったか」という質問に、83パーセントの人が「不法国家だった」と答えています。「そうとは言えない」と答えたのはわずか13パーセント足らずです。

この結果は1997年に行われたものです。だから、少々古いデータですし、このアンケートもドイツの全国民を対象にしたわけじゃなく、旧西ドイツの住民を対象にして行われたものです。それでも、戦後のドイツ人がヒトラーやナチスをどう思っているかを知る上で、なかなか参考になるデータです。

ヒトラーといえば、恐ろしい独裁者です。ホロコーストもそうですし、恐怖政治をしたり、世界を相手に戦争を仕掛け、結局ドイツを破局に導いた悪い奴というイメージです。しかし、そんな悪い人間になぜドイツの人々はついていったのでしょうか。意外かもしれませんが当時のドイツ人たちは、積極的にヒトラーに心酔し、ついていったのです。ヒトラーが恐怖政治で国民を脅かして、国民が渋々それに従ったわけじゃないのです。

あの時代に生きたドイツの人々にインタビューをしたところ、「あの頃は良かった」と回想する人たちが意外に多かったのです。当時の人々は「我らが総統」と敬愛し、ヒトラーを馬鹿にした子供を許せないと言って子供相手につかみ合いのケンカをしたなんて話もあったほど。「総統は命じ、我々は従う」という言葉が当時ありましたが、まさに当時の人たちはヒトラーに従ったのです。具体的にドイツ人がナチスに従った理由はおいおいブログで取り上げていきます。


3 世代によってちがうヒトラー観
しかし、戦後から10年しか経ってない1955年はちがいます。同じ質問をした所「(戦争さえしなければ)偉大な政治家だった」という意見が48パーセント、「そうではなかった」と答えたのが36パーセントと、ややヒトラー賛美の意見が上回っているのです。

「不法国家だったか」という質問に、「そうとは言えない」と答えたのが28パーセント。もちろん、「不法国家」だったと答えた人が54パーセントを占めたのですから、1955年当時からナチは不法国家だったという認識はありました。でも1997年は不法国家と答えた人がメチャ多かった事を思えば対照的です。

これは様々な理由が考えられますが、戦後のドイツ(西ドイツ)の民主化も理由の一つだと思われます。

西ドイツ政府は議会制民主主義や基本的人権を重んじ、周辺諸国とも良好な関係をつくってきました。特に西ドイツではアデナウアーの活躍が大きかったと思います。そうした努力も実り、(旧西ドイツ地域において)ヒトラー賛美をする人も少なくなったのでしょう。

一方で、冒頭でもふれたとおり近年のドイツはネオナチの存在が無視できないものなっております。難民問題などで、右派政党が台頭しているとも聞いております・・・


*この記事はNHKの「ダークサイド・ミステリー」等を参考にして書きました。

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