History日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: 中南米の歴史

海賊というと数多おりますが、今日は何人かの海賊のプロフィールについて。



  1. フランシス・ロロシア(1639〜1667)

  2. 大変、残虐な人物としられ、ロロシアに会うくらいなら死んだほうがマシと言わしめたほど。ロロシア一行が陸に上がりお宝を求めて森を探索中、スペイン兵たちと出会します。ロロシア一行とスペイン兵たちは抗戦。スペイン兵を何人か捕虜にすると、ロロシアはなんと短刀を抜き、スペイン兵の捕虜の1人の胸を切り裂き、心臓を手づかみして取り出すと、「安全な道を教えろ。お前たちもこうするぞ」って脅かしたのですね。見せしめのため、別の捕虜の口に心臓を突っ込んで食わせたと言います。こええ、

  3. エドワード・ティーチ(1680年? - 1718年11月22日)

  4.  通称、黒ひげ。かなり有名な海賊です。黒ひげ危機一髪なんてオモチャがありますが、実在の黒ひげはもっとやばい人です。豊かにたくわえられた髭には、ところどころに導火線が編み込まれていました。黒ひげの決め台詞は「俺は地獄からきた。今からお前をそこへ連れてやろう」。黒ひげは、仲間を1人を突然殺したりと、怖い人でした。一方で合理主義者でもあり、黒人奴隷を仲間にしたりしておりました。

  5. ブラック・シーザ

  6.  黒ひげの側近で、元は黒人奴隷。黒ひげに出会う前は、白人の海賊と親しかったのですが、その友人と1人の女性をめぐって対立。結局、その友人をシーザは殺してしまうのですね。大変勇敢で、黒ひげの信頼も厚かったと言います。

  7. アン・ホニー

  8.  女性の海賊です。元々は裕福な家の出でしたが、恋愛気質で情熱的。1人の船乗りに惚れ込み、そのまま駆け落ち。さらに海賊の船長と恋仲になり、そのまま海賊になったのです。銃の名手であり、男たちを罵ったと言います。敵との白兵戦になった時、甲板で身を隠す男性の海賊たちに、意気地がない!戦えって怒鳴ったというから、すごいですね。

  9. ヘンリー・エイヴィリー(1659年? - 1696年?)

元々は海賊を取り締まる側にいました。ある夜、船長が寝ている間に、船を乗っ取り、自ら船長になります。そして乗組員たちと共にそのまま海賊になってしまいます。要するに取り締まるより自分が海賊になった方が儲かるから。船と乗組員を乗っ取り、略奪のかぎりを繰り返します。そうしていつの間にか400人以上の部下と6隻の船を持つ大海賊のボスになりました。ある日エイヴィリーは奪った財宝を6隻の船にバラバラに積むと誰かがちょろまかすから、ボスである俺の船に全部詰め込めとエイヴィリーは言ったのです。すると、隙を見てエイヴィリーは5隻の船を置き去りにして、逃げたのですね。財宝を独り占めしたのですね。ひどい話です。本国に帰ったエイヴィリーはそうして独り占めした財宝を商人に売り渡そうとしたのですが、その商人は、「あなたがどんな経緯でその財宝を手に入れたか知っているよ、私が役人にチクったら、あなたは死刑だよ」って言ってしまい、ただ当然で財宝を買い叩いてしまうのです。こうしてエイヴィリーは一文なし。37歳で死亡。自分の棺を買うお金もないほど落ちぶれたとか。


※この記事は「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。

海賊たちの中には国に縛られず、自分達で好きなことをやろうという海賊も現れます。代表的な人物が、ベンジャミン・ホーニゴールド。スペイン継承戦争の後、私掠船乗りたちは生活に困ってしまい、多くの者が海賊行為に走ったのです。ホーニゴールドも例外ではなく、1713年ごろに海賊としてのキャリアをスタートさせます。ホーニゴールドは海賊仲間を引き連れてバハマ諸島のプロビデンス島を拠点とすることに決めました。プロビデンス島はイギリス領でしたが、度々のイギリスとスペインとの戦争で、本国の目も届かなくなり、いつの間にか荒れてしまったのですね。

ホーニゴールドたちだけでなく、他の海賊たちも次々と集まりました。また商人たちもたくさん集まってきて、プロビデンス島は大いに栄えたのです。集まってくる商人たちは、いづれも海賊たちの分前をあてにして集まってきたものばかり。だから、海賊たちに不利なことはしないだろうとホーニゴールドは思って、商人たちも受け入れたのです。こうしてプロビデンス島に多くの海賊たちが集まり、海賊共和国ができ上がります。そこの共和国で次の取り決めがおこなわれました。




  • 海賊船の中では、大事なことは船員たちの評決で決める。例えば、次の略奪目標とか船長を誰にするかとか。その取り決めは身分関係ない。船員一人一人の意思が尊重される。


  • 船長は戦利品2人分、そのほかの乗組員は一人分で平等に分け与える。


  • 敵と交戦中に四肢、つまり足や手のいづれかを失ったら、150ポンド支給。いわば労災のようなものが渡される。さらにその場合、船を降りても良い。



ずいぶん、フェアですね。国家公認の私掠船だと戦利品の10%は国に上納し、さらに残りの90%のうち、60%を船主と船長がぶんどる仕組みで、船員たちはそのおこぼれがもらえるのみでしたから。だいぶ待遇が良くなってます。

こうして海賊たちはカリブ海で暴れ回っていたのですが、これを苦々しく思っていたのがイギリスとかヨーロッパ各国。ヨーロッパ各国は新大陸への進出を狙っていましたから、カリブの海賊たちが邪魔になってきたのです。そこで現れたのがイギリスのウッズ・ロジャーズは。彼は元々私掠船の乗組員でしたが、出世して初代バハマ総督に就任していたのですね。ロジャーズは海賊に恩赦を与え、それを拒否して掠奪を続ける者は武力によって討伐しようしたのです。その恩赦にホーンゴールドは受け入れましたが、ホーンゴールドの弟子だったエドワード・ティーチ、通称黒ひげという海賊がそれを拒否。

恩赦否定派の海賊たちは、イギリス艦隊の船を撃破してしまい、いよいよイギリスと恩赦否定派の戦いは避けられなくなりました。

黒ひげも徹底抗戦したのですが、1718年11月22日、黒ひげことエドワード・ティーチは20カ所も刀で切られた挙句、五発の銃弾を受けて死亡したのですね。

一方のホーンゴールドは海賊の先生と呼ばれるほどの存在で、海賊共和国のリーダー的存在でしたが、恩赦の話が出るや、一転して海賊をやっつける側になるのです。こうして、海賊共和国は消滅、カリブの海賊たちも下火になって次第に消滅していきます。


海賊といえば「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「ONE PIECE」を連想される方もいらっしゃるかもしれません。ディズニーランドにも「カリブの海賊」というアトラクションがありますね。僕も子供の頃に2回行ったことがあります。水上ライドに乗り、序盤で急流滑りにあって、そこからカリブの海賊たちが暴れている様子をじっくり楽しめるアトラクションですね。あれから25年以上訪れていないのですが、最近の「カリブの海賊」にはジャック・スパロウが登場するようですね。機会があれば、また訪れてみたいものです。

映画やアニメ等に出てくる海賊というと、素行は荒いけれど義理人情に厚いイメージとか、ジャック・スパロウのイメージを抱く方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それはあくまでも創作の中の話。リアルの海賊はそうでもなく、もっと残酷なんですね。

例えば、捕虜になった人を的にして海賊たちが射撃の練習をしたり、ひどい話になると、捕虜の頭を縄で縛り、棒を差し込み、ねじるとうい拷問をすることもあるのですね。海賊は生きることが全て。残忍であれば、残忍であるほど、良いみたいな雰囲気だったようです。

海賊と言いましても、海賊は古今東西いつの時代、どこにでも存在し、8世紀にはヴァイキングと呼ばれる海賊が北欧を中心に暴れまわり、日本でも村上水軍とか河野水軍とかが有名です。でも海賊と言ったらカリブの海賊のイメージが浮かびますね。カリブの海賊は17世紀に全盛期を迎えます。


カリブの海賊が生まれた背景は、1492年のコロンブスによる新大陸発見にさかのぼります。それ以降、カリブ海はスペインが支配していたのです。そして、カリブ海の島々でサトウキビ栽培が始まったのですね。サトウキビから砂糖をとって大儲けをしていたのですね。いわゆるプランテーションの始まりです。プランテーションとは、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、国際的に取引価値の高い単一作物、例えばコーヒーとかサトウキビとかを大量に栽培する(モノカルチャー)大規模農園またはその手法のことです。

大規模農園でサトウキビを栽培するということは人手が入ります。しかしきつい仕事のため、なかなか人手が集まりません。それで、インディオの奴隷労働や白人年季奉公人、のちの時代にあると黒人奴隷などを労働力としていたのですね。インディオや黒人はともかく、白人年季奉公人とは聞きなれない言葉ですね。年季奉公人は植民地の地主に雇われた白人奴隷のこと。本国で多額の借金を抱えた貧民、失業者、はたまた犯罪者がカリブ海に送り込まれ、安い賃金でこき使われていたのですね。あまりに過酷な労働環境だったため、逃げ出す年季奉公人も少なくなかったのですね。そうした年季奉公人が生きるために始めたのが、海賊なのです。

例えば、ヘンリー・モーガンという海賊は年季奉公人から海賊になり、さらには貴族になったというすごい人物がいました。モーガンは海賊になってから、略奪したお金を散財せずに、節約し、貯金しました。そうして財をためて、ジャマイカで農園を買ったのです。さらにジャマイカ総督の一族の娘と結婚をし、やがてイギリス本国で認められ、ナイトの位を国王から授かったのですね。海賊からナイトになったのだから、すごいというか世も末というか。モーガンは私掠免許までもらったのです。これは敵国の船であれば略奪や殺人をしても罪に問われないという国家公認の免許で、なんとも恐ろしいものです。当時のイギリスはスペインと対立していたので、スペインに勝つためには綺麗事を言ってられぬということでしょう。ヨーロッパ諸国は足りない軍事力を補うために、海賊の力を借りていたのです。民間の船や海賊に私掠免許を乱発していたと言います。特にスペインとイギリスは対立が酷く、イギリスは海賊たちをある意味利用していたのですね。一方の海賊たちも国からお墨付きを頂いたのだから、やりたい放題で略奪を行ったのですね。

ところで、私掠船というのも国家公認の海賊といえば聞こえが良いですが、末端の乗組員にとってはひどいものでした。私掠船が略奪した金銀財宝の10%を政府に差し出さなくてはなりません。残りの90%を船主、船長、乗組員で分かち合うのですが、その分前は船主と船長が30%ずつ、残りの30パーセントが則組員のものです。乗組員の分前が30%ということは、極端な話、乗組員が3人であれば、一人当たり10%ずつ分けることができるのです。ところが30人もいると分前は1人あたり1%だけ。乗組員が30人もいれば、船長と乗組員の格差がうんと広がるのです。30人以上になると、もっと乗組員の分前が減ってしまうのです

そんな私掠船も一旦下火になります。1692年にスペインとイギリスが和平を結んだのです。すると、それまで発行してきた私掠免許も取り消しになり、イギリスもスペインも海賊を取り締まるようになったのです。そうかと思ったら、今度は1702年にイギリスとスペインの継承戦争が始まり、再びイギリスは私掠免許を乱発。またしても海賊の活動が活性化したのですね。それが1713年にイギリスとスペインの継承戦争が終結。またしても私掠免許が無効。私掠船の取り締まりも強化。多くの私掠船の乗組員たちも生活に困ってしまうのですね。さらに悪いことに強欲な船主たちが私掠船の船乗りたちの略奪品の分前をもっとよこせとさらに要求。末端の船乗りたちは益々生活に困ってしまいます。

国に振り回される海賊たち。そんな海賊の中でも、俺たちの自治区を作り出そうという海賊も出てきます。その辺のお話はまた次回。

※この記事は「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。





このページのトップヘ