history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: 昭和

「ドラえもん」の声優が変わってもう5年以上たつのですね。大山のぶ代さんどころか、声優陣が一斉に変わったのは2005年。月日の経つのも早いものです。現在、ドラえもんは水田わさびさんが演じられており、ネットではわさドラといわれております。一方の大山のぶ代さんが演じられたドラえもんは大山ドラといわれております。

だから、今の若い子は、大山のぶ代さんたちが出てた頃の「ドラえもん」知らないかもしれないって。若い子と言っても平成一桁生まれの人たちは、大山ドラをご存じでしょうね。僕の親戚の子が平成7年生まれなのですが、わさドラも知っているが大山ドラのほうが断然なじみがあるって。ツイッターでも「1998年生まれの自分は、大山ドラを知っている最後の世代」という書き込みを見かけました。どうも、大山ドラがいいか、わさドラがいいかでネットでも白熱した?議論が交わされておりますw。


僕は大山ドラもわさドラも知っています。大山ドラはリアルタイムで見てましたし、わさドラも時々アマゾンのプライムビデオで見ています。僕はどちらも甲乙つけがたく、どちらにも良さがあると思います。両者を改めて比べてみるとドラえもんのキャラも微妙に違うなって。大山さんのドラえもんの声は何とも言えない温かさと包容力が感じられる。一方の水田さんの声はなんともかわいらしく、大山さんとは違った良さがある。



で、大山さん以下、旧ドラえもんの声優陣が一斉に変わったのは、ギャラじゃないかってウワサもありますが、ギャラというより、もっと違う理由があると思う。2001年ごろに大山さんががんを患ったのですね。幸い、退院できたものの、それ以降、大山さんは引退を考えるようになったと。それでたびたびスタッフたちに後継者の話をされていたといいますし、大山さんが以前に出された著作にも、後継者についても書かれておりましたっけ。今度の後継者は、自分(大山さん)の声に似ている人でなくてもいいと。そりゃ、大山のぶ代ボイスが出せる人はそうそういないですもん。

声優交代は、総入れ替え式と穴埋め式と二通りあるのですが、ドラえもんは前者。

声優陣がみな高齢って言うのもあるけれど、大山さんだけでなくほかの出演者たちも「大山さんがやめるなら私(おれ)もやめる」って役を降りたのかもしれないって僕はおもいますね。以前に、のび太役を演じられた小原乃梨子さんも、しずかちゃん役の野村道子さんも「『ドラえもん』の現場は仕事というより家に帰ってきたようだった」とおっしゃっていた。仕事が終わってもプライベートでの交流も盛んで一緒によく旅行に行ったと。だから、出演者たちが本当の家族のような温かい雰囲気だったのかなって。大山さんが抜けたら一蓮托生いちれんたくしょうってわけですね。一方のサザエさんの声優陣は、ワカメ役を演じた野村道子さん曰く、職人気質だったと。収録が終わればさっさと帰ってしまう。つまり、公私をしっかり分けていたと。旧「ドラえもん」メンバーも「サザエさん」メンバーもどちらもプロ集団だが、そうした違いがあるのですね。

あるいは、大山のぶ代さんのドラえもんがそれくらいインパクトが強かった。というか、大山ボイスあっての旧ドラだと。だから、のぶ代さんがチェンジしたら、全体的にリニューアルする必要があったのかもしれない。

大山さんが演じられているドラえもんは、友達というより保護者のイメージ。ちょくちょく暴走するのび太をなだめたり、優しく叱ったり、そんなイメージ。これは大山のぶ代さんが、子守ロボットというイメージでドラえもんを演じられたそうです。だから、大山さんは、子守のロボットなのだから悪い言葉はインプットされていないはずだと。それで言葉遣いに大山さんは、かなり気を使われたとのことです。

原作のドラえもんは、まず、のび太を呼び捨てです。しかし、大山さんが演じられるアニメ版のドラえもんは「のび太くん」と「君」付けしている。また、原作ドラは、ちょくちょく乱暴な言葉遣いをしたり、のび太を見下すような言葉を投げかけるのですね。たとえば、のび太が100点取った時は「ああ、つにカンニングしたか」ですもん。これは、ドラえもんは、のび太と対等の関係であることもそうですが、ドラえもんはそんなに優秀なロボットじゃないという認識が藤子先生の頭にあったのかな。


大山ドラは、そういった言葉はたま〜に出てくる程度。たとえば、原作では「のび太の馬鹿が」というのをアニメでは「のび太くんのおっちょこちょいが」って感じで。これは大山さんやスタッフの配慮だなって。やはり子供も見ているのだから乱暴な言葉はよくないってことでしょうね。

また、大山さんはお子さんがいらっしゃらないのですね。最初の子供は流産、二人目の子供は未熟児で三か月で亡くなったのです。そんな不幸があったのですね・・・。だから、大山さんは、のび太のことを本当の子供のように思っていたのかもしれない。実際、大山さんがあるバラエティー番組にご出演し、その時「のび太君はほかの女の子に浮気なんてしない。あの子はしずかちゃん一筋なんです!」って言いきっていたのですね。そのものの言い方は、まさに母親そのものでした。

一方の水田さんが演じられているドラえもんは完全に友達ってイメージで、のび太とは対等。いや下手したら、ドラえもんのほうが、のび太以上に暴走することがあって、逆にのび太のほうがドラえもんをなだめることがしばしば。おそらく水田さんは、原作にある友達のイメージを大切にしたいっておもって演じられているのでしょう。かといって、原作通りの乱暴な言葉遣いもしません。それと、水田さんも「ドラえもん」を見て育った世代だからか、水田さんも、大山さんを踏襲とうしゅうして、のび太を「くん」付けしています。友達といっても、乱暴な言葉づかいをしないって配慮は水田さんもしっかり踏襲しているのは、すごく良いですね。また、水田さん他俳優陣も大山ドラ時代の声優さんたちへのリスペクトも感じられるのもグッド。

その中でも木村昴さんは僕にとって印象的。元々木村さんは、旧声優陣のたてかべ和也さんと声質が似ているのでドラたち5人の中で一番違和感なく溶け込めました。たてかべさんは、新しくジャイアンを演じる声優さんとお祝いの酒を飲みたいと熱望したのですが、声優交代当初、木村さんが未成年だったので、たてかべさん、ガッカリされたそうです。

その間、たてかべさんはがんを患い、危ない状況だったそうですが、木村さんが成人されるまで、なんとか持って、お二人が酒を交わすこともできました。木村さんのブログに、お二人のツーショットの写真が掲載され、感動しました。二人がお酒を飲みかわして間もなく、たてかべさんは天国に旅立ったのですね。たてかべさんは、この日が来るまで待ってくださったんだなって。


あと、ドラえもんと言えば日テレのドラえもんのお話もしたいところですが、その話はまた別の機会に。

snsとかで李正子りまさこさんが横田 早紀江さんの母親だといわれておりますが、おそらくガセでしょう。根拠というのが李方子さんと横田 早紀江さんが似ているというのですが、すみません、李方子さんのような顔立ちのおばさんって結構いますよ。僕の知り合いにも似たような顔立ちの人いますよwというか、李方子さんと横田 早紀江さん似てないじゃん、似ているのはメガネをかけていることくらい。横田さんの若いころの写真見たけれど、李さんとは似ても似つかないお顔です。

顔が似てるだけで親子になるんだったら、「男はつらいよ」に出てくるタコ社長の子供はタコかって話になりますね。あと僕は「ものまね紅白歌合戦」を楽しみに見せてもらっております。番組に有名人に顔がそっくりの人が毎回出てきますが、他人のソラ似って言葉があるように似ている人って結構いるもんだなって。


さて、李 方子さんとは、1901年〈明治34年〉11月4日 - 1989年〈平成元年〉4月30日)は、日本の元皇族であり、梨本宮守正王なしもとのみや もりまさおうの第一女子として生まれ、李垠りぎん(大韓帝国最後の皇太子)という人と結婚したのです。「李方子」とは、第二次世界大戦後、王公族としての身分を失ったため、夫の李姓を名乗ったのですね。その人生は大変なもので、1922年(大正11年)4月に生まれてまもない長男の晋がなくなっております。

そして1952年(昭和27年)4月28日の日本国との平和条約発効による日本の主権回復とともに日本国籍がなくなり(旧朝鮮籍のため無国籍となった)。さらに夫の李垠には財産税法による多額の税を課され、また身分に執着する弱みを握られ邸宅ていたく・資産を売却しながら、細々と生活を送っていたといいます。その後、李方子さんは夫を失い、韓国に帰化。李垠の遺志を引き継ぎ、当時の韓国ではまだ進んでいなかった障害児教育に取り組んだといいます。帰化後も昭和天皇以下、皇室とも関係が続いたといいます。それくらいの方の末裔まつえいなら、日本政府は韓国と共同して、木の根草の根を分けてでも探すでしょう。

横田 早紀江さんは京都府のご出身でお人柄も素晴らしく品の良い方ですが、皇室の関係かと言われればちがうような気がする。めぐみさんは、皇室の関係だから拉致されたといいますが、それもガセだと思いますよ。もし、本当に横田めぐみさんが皇室の末裔まつえいだとしたら、拉致された1977年当時から大騒ぎになっていたと思いますよ。北朝鮮の拉致らち問題がはじめて国会で取り上げられたのは1988年(昭和63)。それも前年に起きた大韓航空爆破事件をきっかけだったといいます。

横田早紀江さんが、めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことを初めて知ったのは1997年(平成9年)だったということです。北朝鮮から韓国に亡命した元工作員の知らせで知ったとのこと。それまで横田さんは、娘の行方も分からず自殺さえ考えた毎日だったといいます。

そんな風に20年近くも置いてけぼりにされたんだなって、ただ驚くばかりでした。もし本当に李方子さんの娘だったら20年も置いてけぼりにしないでしょう。

また僕は横田めぐみさんが拉致されたとされる現場を車ではありますが通ったことがあります。あたりは人通りも大変すくなく、海がすぐ近く。街灯もなく、昼間でさえうっそうとしているのに、夜になったら本当に暗くなりそう。海には防波堤もない。助けてってさけんでも、あたりに人がいないから気づかない。正直、誘拐犯にとっては恰好かっこうの場所。こんなこところに女の子が夜一人で歩いていたら狙われてしまう。その現場は神社のすぐそば。日本人の感覚なら神社の近くで犯罪なんて起こせないもの。


その拉致の現場からほど近いところに朝鮮総連の建物もあり、えもしれぬ不気味さでした。正直、こんなに近くに朝鮮総連があったのかって驚いた程です。ここを拠点にして拉致活動をしていたのだなって。最近、金正日専属の料理人で金正日の寵愛ちょうあいを受けた藤本健二さんのご著作を読ませてもらいました。北朝鮮は古くから日本を根城にして、一介のすし職人だった藤本さんをスカウトしたり、時に拉致という強硬手段を使ってまでも日本人を労働力として悪くいえば奴隷として連れ去ったんだなって。ただ驚くばかりでした。まして日本人は、真面目で勤勉な人が多いからなおさら重宝されるでしょうね。


ネットのウワサといえば金正恩キムジョンウンの母は横田めぐみさんだと。横田めぐみさんは金正日の愛人の一人だと。最近、横田早紀江さんのご様子をネットで見たのですが、これまでにも増して憔悴しょうすいされたお顔をされていて、何とかできないものかってますます思いましたもん。金正恩と横田めぐみさんが親子だなんて人の不幸をあざ笑うようなヨタ話をネットで拡散するのは、頼むからよしてくれって言いたいですね。

まず横田めぐみさんにはキム・ウンギョンさんという娘さんがいます。ウンギョンさんは横田夫妻と対面もしております。もしも金正恩が横田めぐみさんの子だとしたら、金正恩とウンギョンさんは兄妹ということになるが、そんな話は聞いたことがない。

金正恩の母親は高英姫コ・ヨンヒという女性。実は高英姫は大阪出身の在日コリアンなんです。金正日の愛人で、金正日から「あゆみ」と呼ばれ愛されて、金正日の事実上の正妻だったと。けれど、高英姫が在日だったことを北朝鮮は必死に隠しております。まず、あちらの国では、在日コリアンは差別の対象になるそうです。

それでも金正恩の母ということで、偉大なる聖母みたいなイメージで高英姫を国民にあがめさせようと北朝鮮の軍のお偉いさんたちもはじめ思ったようですが、彼女の父親が日本の軍需工場の幹部として働いていたことが朝鮮総連を通じて北朝鮮国内に知れ渡ることが危惧きぐされたため、彼女を神格化することをやめました。母親の出自が在日朝鮮人でさえ、いけないことなのに、金正恩の母親が生粋きっすいの日本人だったら、それこそ金王朝の存続にもかかわります。まして金一族が北朝鮮のトップでいられるのは、金日成は抗日パルチザンとして日本軍と戦った英雄だから、その正当性はあると(真偽はともかく)。だから孫ある金正恩もノウノウとしていられる。

そもそも、横田めぐみさんを拉致問題のシンボルにしたのは日本のマスコミです。拉致問題が表面化するまでは、世界中の数多くいる拉致被害者の一人にすぎず、北朝鮮も基本的に横田めぐみさんをそのように見ていると思います。

藤本健二さんのご著書にも、高英姫のことはくわしく書かれているものの、横田めぐみさんの話など全く言及されていない。もし藤本さんが横田めぐみさんと会っていたら、ちょっとはご著書にそれをにおわせるような記述が出てくると思うんですよ。藤本さんのご著書には北朝鮮の機密にかかわるような結構きわどい話もでてくるのにも関わらず。

ちなみに、高英姫と金正恩、そっくりですよ。まるで高英姫が一人でつくったんじゃないかって思うくらい、そっくり。横田めぐみさんと金正恩、全然似てない。横田めぐみさんは北朝鮮にて工作員たちの教育係みたいなことをしていたという話はきくが金正日の愛人だったという話はまずないと思う。

あと僕が腹を抱えて笑ったのが、東京の米軍基地である横田基地と横田めぐみさんのウワサ。横田基地は横田めぐみさんの名字からとったもので、あそこの基地で横田早紀江さんと、めぐみさんは会っていると。横田めぐみんさんと早紀江さんが実は会っていたことが本当なら喜ばしい話ですが、残念ながらそんなことはありません。

横田という地名は日本のあちこちにもあるし、横田という苗字も別に珍しくありません。プロ野球のロッテ・オリオンズにも横田真之さんって選手がいたし、今年お亡くなりになられた阪神タイガースの横田慎太郎さんもそう。僕の同級生にも横田って子がいました。それに横田基地はもともと大日本帝国空軍の基地だったところで、それが戦後になって米軍によって受け継がれたもの。だから、横田めぐみさんが生まれる前どころか、横田夫妻が結婚する前から横田基地は存在していたものです。




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(金正恩の母、高英姫)

金正日の料理人 (扶桑社文庫)
藤本 健二
扶桑社
2012-09-01

NHKの『ダークサイドミステリー』で「日ユ同祖論」が取り上げられ、NHkは基本的に「そんなものはない」という立場。それに関してネットでは反発する意見も見られました。日ユ同祖論というのは、日本人とユダヤ人はもともと同じ民族だったと。ユダヤの失われた10支族(*1)の一つが、日本にそのまま住み着き、それが日本人のルーツだと。個人的な意見ですが、「日ユ同祖論」はマユツバだと思っております。「日ユ同祖論」どころかイギリスにも「英ユ同祖論」なんてものがあるらしいですよ。実際、ユダヤ人は昔から放浪の民とよばれ、世界のあちこちに住み着いて、そこで暮らしております。それどころか、人類の歴史を紐解けば、世界人類すべての民族は共通の祖先をもっており、その人類発祥の地はアフリカだといわれているのです。「人類みな兄弟」って言葉がありますが、それは本当の話なんですね。そりゃ、日本の長い歴史の中でユダヤ人が日本に流れ着いて、そのまま住みつき、子孫を残した可能性は否定できませんが、日本人=ユダヤ人というのは違うような気がする。

DNAも異なるし、ユダヤ人の価値観と日本人の価値観が違う。ユダヤ人が信仰するユダヤ教は、富や財産の獲得をすることを肯定しております。ところが、日本人はどちらかというとお金の話をするのを嫌がる傾向があります。お金は大事だと頭でわかっていても、金銭は卑しいものという考え方は日本人に根強い。それにユダヤ教には選民思想がありますが、謙譲を美徳とする日本人の価値観とはちょっと違うような気もする。


「日ユ同祖論」を主張する人たちは、神社の鳥居はイスラエル人の民家の玄関口とそっくりだとか、お祭りの神輿は、失われたアークをかたどったものだとか、ヘブライ語と日本語は共通点がある(※2)とか。でも、僕はそんなのこじつけのような気もする。ヘブライ語だけでなく、インドのヒンディー語から生まれた日本語もあります。たとえば、旦那さんの旦那。これはサンスクリット語の「デーナー」からきているし、「馬鹿」という言葉もサンスクリット語の「モーハ」からきているといいます。そしてなんといっても漢字。さらに、ひらがなとカタカナだって漢字をくずしてできたものですし。要するに、ヘブライだけでなく、現在使われている日本語は意外といろいろな国の言語の影響を受けて生まれた言語なんだなって。


ただ、日本は海洋国家で、古くから世界の文化を取り入れてきたのは紛れもない事実。正倉院の宝物にもペルシアのガラス製品があるくらいですからね。奈良時代から世界の国々と交流があったことに驚きですね。中国や朝鮮だけでなく、シルクロードを経て、ペルシアやユダヤなど外国の文化なども取り入れていったのかなあって。室町時代末期から戦国時代にかけては、西洋人が来日し、鉄砲やキリスト教が日本に入っていったし、鎖国体制をとっていた江戸時代でさえ西洋の学問や医学などを取り入れたくらいですから。戦後も、バレンタインデーやクリスマス、果てはハロウィンまで取り入れて、今では日本の季節イベントしてすっかり定着していますね。







*1 預言者アブラハムの孫であるヤコブという人がいて、そのヤコブには12人の子供がいて、そのうち9人の子供たちは、紀元前8世紀に戦争によって北イスラエル王国が滅びた際、離散して行方知れずになったと。これを「失われた10支族」などともいう。9人の息子の子孫なのに10支族というのはおかしいじゃんって思うけれど、9人の息子のうちヨセフという人がいて、その氏族がさらに2つの氏族に分かれたため)

※2 日本語の「ありがとう」と似た言葉がヘブライ語にもあって、たとえば「アリ・ガト」(私にとって幸運です)という言葉があると。

いま、ジャニーズめっちゃ叩かれております。性行為問題ですね。擁護するつもりはサラサラないのですが、これだけ叩かれると、僕はなんか疑ってしまうんですよ。なんかウラがあるっていうか。


性に関するトラブルはジャニーズだけではないと思うのですが、なぜジャニーズが、それも今頃なぜって思うのです。僕は元ジャニーズのタレントだった方のブログをいくつか見せてもらいましたが、ジャニー喜多川氏への恨み言どころか、感謝の言葉がつづられているのです。ジャニー喜多川氏のお別れ会には、現役のジャニーズのタレントどころか、退所をした元タレントさんもたくさん参加したといいます。そこまで、憎たらしい嫌いな芸能事務所の社長のお別れ会に元タレントさんが来るとは思えないのですよ。それどころか、かつてジャニー喜多川氏の暴露本を書いた元タレントさんは、ジャニーズ事務所を辞めてから、仕事が激減したといいます。それで、お金に困っていた時に、暴露本書かないかって怪しげな人物にそそのかされ、暴露本を書いたって話も聞いたことがある。

芸能界は、よく言えば義理人情を重んじる社会でもあり、一方で一般の社会よりも理不尽で闇の深いところ。「推しの子」ってアニメ.マンガが話題になっているようですが、「推しの子」には芸能界の闇が描かれております。

特に、芸能界には枕営業とか性に関する話しはかなり昔からあったんです。芸能界は「究極の水商売」って言葉もあるくらいで、体を売る商売。ドラマや映画でさえ、キスシーンはもちろん、場合によってはセッ〇スをするシーンがでてきます。伊丹十三映画なんてセッ〇スシーン、本当によくでてきますwドラマや映画でもそうなのだから、ドラマや映画の裏では大変なことだと思います。性被害にあっても泣き寝入りするしかなかったのです。それどころか監督やプロデューサーとかお偉いさんと寝てまで、映画の主役を勝ち取る女優さんだっていたといたほど。


今でこそ、我が子を芸能界にって親御さんも珍しくなくなったが、昔の親御さんたちは子供が芸能界にいくことをひどく反対したのですね。芸能界に行きたいなんて子供がいうものなら勘当されました。芸能界って華やかなイメージがあるが、今回のジャニーズ問題のような影の面はなかなか表面化しない。また、運良く芸能界にいっても厳しい現実が待ってる。実はぼくはある有名人の元マネージャーさんにお会いしたことがあるのですが、芸能界で成功するのは一握り。持って生まれたオーラがないと駄目。単に歌がうまいだけでは成功しないって。



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以前に、関東大震災のときに奇跡的に火災を免れた神田佐久間町・和泉町の話をブログでご紹介しました。それから、今月になって「映像の世紀」で神田佐久間町・和泉町の軌跡として取り上げられたのです。しかし、「映像の世紀」をみて、それが戦時中、プロパガンダとして利用されたことを知り、驚きました。空襲によるひどい火災になっても、逃げずにバケツリレーをして消火活動をせよというもの。

時の内務大臣、田辺治通は「大震災の時をおもいたまえ。うろたえ騒いだものにどんな不幸が見舞ったかを」。また農林大臣だった井野碩哉いのひろや「関東大震災のときに玄米と梅干で辛抱して帝都を復興させたことを思えば何でもなくできる」と。

つまり、根性で乗り切れみたいなことを時の大臣が言ったのですね。ひどい話です。震災時の神田佐久間町と和泉町の奇跡は、住民たちの頑張りもありますが、彼らの頑張りよりも、神田川に面しているとか地の利のほうが大きかったのです。ところが、そういった地の利については置き忘れられ、住民たちの頑張りばかりが強調されたのですね。過去の成功例が必ずしも次の成功に結び付くとは限りません。

かつて、プロ野球の名将だった野村克也さんは「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とおっしゃっておりました。成功例は実は様々な偶然が重なって、それが成功につながったことが往々にしてあるのです。

僕はこれまで芸能人やら有名会社の社長さんらの本を何冊か読んだことがあります。往々にして、自分がいかにして成功したかという自慢話が多く、うんざりさせられることが多いのですが、いかりや長介さんの本だけは例外でした。いかりやさんはドリフターズの成功を、「運が良かっただけ」と語られておりました。なんて謙虚な人なんだと思う反面、そうだろうなって。だって、成功するには努力も大事だが、運だとかご時世ってそれ以上にすごく大事だから。「愛の貧乏大作戦」がYouTubeであがっていたのですが、そこで主人の腕がすごく良いのになぜか繁盛しないお店が出てきました。そのお店はいまはないのですが、もし現在だったら、YouTubeとかで隠れた名店だと取り上げられ、人気店になっていたかもしれない。

話を戻しますが、神田佐久間町・和泉町におけるバケツリレーの話は戦時中も美談というか模範として取り上げられ、教科書や紙芝居の題材にまでなったのです。空襲に備え防空訓練がおこなわれたのですが、これもバケツリレーで火を消せというものでした。そうした防空訓練は実際空襲が起きたときに全く役に立たないと切って捨てたのが信濃毎日新聞の主筆だった桐生悠々きりゅうゆうゆう。彼は1933年(昭和8)8月11日の新聞に「関東防空演習をわらふふ」というコラムをのせたのです。

「敵機を関東の空に帝都の空に迎え撃つということは我が軍の敗北そのものである。敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして一挙に焼土たらしめるだろうからである。関東地方大震災当時と同様の惨状を呈するだろうとも想像されるからである」
と。

桐生のこの発言はのちに現実のものとなるのですが、この気流の言葉に軍部は激怒。軍部は大々的な不買運動を起こすと信濃毎日新聞に通告。すると信濃毎日新聞は全面謝罪。それで桐生も新聞社をやめてしまうのです。あとからみたら、全面謝罪すべきは軍部のほうだと思うのですが、当時はそうした常識が通用しなかったのですね。それだけでなく軍部は、信濃毎日新聞社だけでなく、マスコミ各社を恫喝し、時には甘い汁を吸わせ、軍部にとって都合の悪い記事を書くことを禁じたのです。甘い汁というのは、軍部は実際に新聞社の幹部を料亭で接待したといいます。ある日、一晩で686円、今の価値で300万円近いお金を軍の機密費で使ったといいます。そんな不正が軍部とマスコミの間で行われていたのです。

さらには防空法という法律ができてから、焼夷弾で火事になっても、持ち場を逃げずに火を消すことが命じられたのです。しかし、焼夷弾はガソリンが使われているから、燃え広がるのがすごく早いのです。そうなったら消火活動よりも逃げたほうがいいのですが、政府はそれを許さなかった。むしろ「避難をすることは、其の防衛の責任を放棄するものであって、いたずらに右往左往の大混乱を来すのみである」というのが政府の言い分。そういた政府の姿勢で、どれだけ多くの人を犠牲にしたか。



しかし、1945年3月10日の東京大空襲。焼夷弾1600トンが投下され、東京は壊滅。関東大震災に匹敵する10万人が亡くなったのです。防空法で逃げることが禁じれていなければ、もっと多くの命が救えたかもしれないのに。その東京大空襲のとき、神田佐久間町・和泉町も焼野原になり、ふたたびの奇跡は起きず、多くの人々が逃げ遅れ亡くなったのです。



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