history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: 昭和

何かと大谷翔平の周辺が騒がれておりますが、周囲の雑音というかバカはほっておいて野球のほうに集中してほしいなって思います。ただ、いくら何でも他人に自分の口座を教えるのはまずいなと。芸能人とかスポーツ選手の中には金銭管理が苦手な人がすくならからずいますが、教えるならせいぜい身内でしょうね。ただ、今回の件、野球とばくで野球界を永久追放された西鉄ライオンズの池永正明を思い出してしまい心配です。

さて、今年は大谷は打者に専念するといいますが、良かったと思います。というか、ずっと打者でいいと僕は思う。僕はかねてから二刀流には反対だったのですよ。二刀流のリスクは高く、大谷の身体を壊してしまい、選手生命を早く絶たれてしまうこともあるし、思うような記録も残せないまま終わってしまう、記録より記憶に残る選手で終わるには、非常に惜しい方だと僕は思う。

こんなことを言うと、「何言っているんだ、大谷は二刀流でずっとやれる!」という声も出てくるかもしれないが、二刀流は我々の想像以上に肉体にダメージを与えるそうですよ。二刀流でずっとやってくれることを期待している人も多いかと思うけれど、それには結果を残さなくてはならないので、プレッシャーも大きい。僕はあんまり無理をさせたくないんですよ。

競技は違うけれど、かつて円谷幸吉というマラソン選手がいました。円谷は東京オリンピック(1964年)に銅メダルを取りました。それで円谷は「つぎのオリンピックでは銀メダルを取る」と宣言、国民は多大な期待をしたのですね。しかし生真面目な円谷はそれが大きなプレッシャーになったのです。その後、けが、信頼していたコーチの更迭、婚約者からの一方的な結婚破棄、など様々な不幸が重なり、自殺をしてしまったのですね。過度な期待が円谷を追い詰めた面もあると思います。

それで、大谷翔平の二刀流について、プロ野球のOBや現役選手の間でも賛否両論で、大谷の二刀流を支持する人たちはいいヒトで、反対する人たちは老害だとか、ワカランチンみたいな感じでたたかれてしまう。僕は大谷の二刀流支持派が必ずしも良いヒトばかりとは限らないと思います。

大谷はたしかにすごい選手です。バッターとして育てたら王貞治の記録を抜くかもしれない、ピッチャーとして育てたら沢村栄治や野茂英雄よりもすごい投手になるかもしれない。だから、大谷に自分の輝かしい記録を塗り替えられるのが怖いって人たちも少なくないんですよ。大谷には二刀流をやってもらい、中途半端な結果で引退してくれたほうがありがたいと内心思っている人も少なからずいるのですよ。こういう人たちが一番悪いと僕は思うんですが、どうでしょう。


大谷二刀流反対派の中には確かに老害としか思えない人もいるといえばいる。しかし、そんな人ばかりではないです。例えば、ダルビッシュ有。彼は大谷の二刀流をかねてから懸念して、プロ野球ファンからずいぶんたたかれたそうですが、僕はダルビッシュの意見は正しいと思うし、むしろ大谷のことをマジで心配していると思う。ダルビッシュは、大谷にメジャーではピッチャーになることを強く勧めていたのですね。大谷がメジャーでピッチャーになったら、ダルビッシュの記録が大谷に塗り替えられる可能性がある。自分の存在が大谷によってかすんでしまうかもしれないのに、それを承知の上でピッチャーを勧めるのですから、ダルビッシュはすごいなって。

ちなみに二刀流といえば大谷が最初ではありません。あのベーブ・ルースがはじめはピッチャーとバッターの二刀流だったのです。ベーブが二刀流をしたのは1917年と1918年の二年間。その成績は以下の通り。もし、ベーブがずっと二刀流をやっていたら、打者としてあれほどの成績を残せなかったと思います。

1917年 24勝13敗・防御率2.01、6完封。 打者の成績 打率.325
1918年 13勝7敗・防御率2.22。11本塁打






1 教育勅語とは程遠い、こどもたちのいじめ
藤子・A・不二雄の「少年時代」を読了しました。さすが巨匠の漫画。ぐんぐん引き込まれましたね。藤子・A・不二雄といえば「まんが道」をよんだことがあり、僕も子供のころに読んで感動しましたが、「少年時代」は本当に引き込まれました。この漫画のテーマはずばり、いじめです。

いじめといえば、戦後のイメージがありますが、実は戦前・戦時中からありました。戦前からいじめがあったという話は僕のブログでも以前に触れましたが、いじめの問題は根が深いものです。よく戦前は「教育勅語」があったから質実剛健なこどもばかりだったといいますが、それははっきりって嘘。「少年時代」を読み返せば読み返すほど、「教育勅語」とは程遠い子供たちの姿が浮かびます。

教育勅語には「朋友の信」−友人はお互いに信じあって付き合おう。ってありますが、「少年時代」に出てくる子供たちは、陰湿ないじめと、ガキ大将の恐怖政治におびえる子供たちの姿だけです。あと藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」にも疎開先でいじめにあったって話がでてきますし。何言ってるんだ!、そんなの漫画の話だけだ!なんて怒る人もいるでしょう。確かに、そういう子供たちばかりではなかったこと思います。けれど、そうした話は全くなかったとは言えないし、僕は「少年時代」のような話はむしろ珍しいことではなかったと思います。

この漫画の主人公は風間進一という生まれも育ちも東京の少年。空襲がひどくなったので、富山県に疎開をするのです。そこで進一少年が出会ったのがタケシというガキ大将。このタケシという少年が、この「少年時代」のもう一人の主人公ともいえる人物でもあり、進一少年を苦しませ続けるのです。このタケシがどんな少年かというと。


  • 成績も優秀、字もうまいし、運動神経もよい。村の人から信頼されている

  • 大人顔負けの筋肉質な体つき。だから力も強いし、ケンカも強い

  • はじめは進一にスイカをくれたり優しい

  • 東京から来たばかりの進一にからむ、村のいじめっ子から守ってくれる

  • しかし、学校ではまさにお山の大将であり、暴君。進一に対してもなぜか冷たい態度をとる

  • 時に、進一に対しても取り巻きを使って意地悪なこともする

  • いつも取り巻き連中をつるんでいるが、一方で陰では疎まれており、取り巻き連中もタケシからリーダーの座を奪おうと虎視眈々と狙っている
  • いわば、『ドラえもん』のジャイアンと出木杉を足して二で割ったような人





2 ケンカは強いが実は気が弱いタケシ
 タケシは学校で強権的な態度をとるのでしょう?おそらくタケシは怖いのだと思う。自分がガキ大将でいられなくなるが。実は臆病なんでしょうね。だから彼は徒党を組みたがり、ときに強権的な態度をとる。

本当に強い人は徒党なんて組まないし、わりとひょうひょうとしていて、自分の強さを見せつけない。無駄にケンカなんかもしないのですね。そして、普段は何も言わないけれど、ここぞって時にビシッと言う。まるで「白い巨塔」にでてくる大河内教授のよう。


また、タケシはなぜ進一と学校では距離を置いているのでしょうか。それは、下手に東京もんの進一をひいきすると、タケシの地位が危うくなるからだと思います。それでなくても進一のことを快く思わない人間のほうが多い。新参ものでしかも東京もんの進一をひいきすれば、たちまち取り巻き連中の反感を買い、あっという間に取り巻きたちのクーデターが起こってしまう。それをタケシは恐れたのでしょう。

タケシは本音では進一とマジで仲良くしたかったのだと思います。しかし、学校というある種の公共の社会においては、素の自分を押し殺している。プライベートではいいヒトで家族思いだが、会社では、まさにブラック企業の社長で、いつも部下を怒鳴っている、そんな感じでしょうか。

一方で、「少年時代」の中でも担任の先生が、進一に「ともだちになることと子分になるということは違うんだよ」って警告するのですね。タケシが進一に親切にするのは自分の家来にするためという計算もあったのかもしれない。

では、タケシは恐怖ではなく、もっと子分に優しく、親切にすればよかったのではないか。けれど、タケシにはそれができなかったのですね。それをやれば、子分どもは自分をなめてくるのだとタケシは思ったのでしょうね。人望を集めるよりも恐怖政治を強いて自分に従わせようとしたのでしょうね。それをやればやるほど子分からの反感を買い悪循環なのに。

ましてタケシの取り巻き連中は性格が悪いのが多い。だからこそ、タケシも下手に子分たちを甘やかしたらつけあがると思い込んだのでしょうね。性格の悪い連中を抑えるには自分が悪者になるしかないとタケシなりの正義感でもあり責任感でもあったのかもしれないけれど。


3 タケシのようなリーダーが日本をだめにする?
 「少年時代」は、タケシは戦前の日本の象徴で、主人公の進一が戦後民主主義の象徴のようだと語られることが多いです。しかし、タケシのようなリーダーは戦後になっても幅を利かせていました。タケシは行動力もあるので、高度成長期まではむしろ必要な存在でした。自分が悪者になってでも、ぐいぐい引っ張ってくれるリーダーのほうがありがたかったのです。いまでも年配の方はタケシのようなリーダーが必要だと思うでしょう。

しかし、グローバル化がすすんだ現代では、こういうタイプは足かせ、下手すりゃ害悪になります。こういうタイプがリーダーだと若者は委縮して、思う存分能力を発揮できないでしょう。中には、タケシみたいなリーダーが嫌で海外に活路を見出す若者もでてくるでしょう。そうなれば、ますます日本はタケシとその取り巻き連中みたいな人間ばかりが残る


ところが、現実の社会、特に今の政治家は高度成長期のやり方が今でも通用すると思い込んでいる人間が多すぎます。困ったことに自民党どころか、野党もそんな議員さんが多い。まして、戦前のような日本を目指したら、日本はナンバーワンになるどころか世界から孤立しそうな気がします。




エスパー魔美(1) (てんとう虫コミックス)
藤子・F・不二雄
小学館
2017-02-28



白い巨塔(一〜五) 合本版
山崎 豊子
新潮社
2015-03-20




聖者の行進 DVD-BOX
松本恵
TBS
2003-03-21

1 組体操の歴史 
きょうは組立て体操の話を。なんで今更なんて話が聞こえそうだが、最近読んだ本のなかに組立て体操の話がでてね。それで、組体操のはなしを語りたくなったのw

僕が最近読んだ本ってこの本ね

体育会系〜日本を蝕む病〜 (光文社新書)
サンドラ・ヘフェリン
光文社
2020-02-28



ざっくりいうと、この本の著者は組体操は危険なうえに、今、日本をむしばむ体育会系社会の典型的な行事だからやめなさいと言っているのですね。

本題に入る前に組体操の歴史をざっくりと。


  • 組体操は紀元前2000年の古代エジプトから始まった。エジプトの壁画に組立て体操をやっている様子が描かれている。ただし人間ピラミッドのような技はなかった


  • 中国の漢の時代でも、すでに組体操のようなものはあった。中国の雑技団なんかみていると、ある意味納得。


  • ヨーロッパでは中世以降のイタリアで祭日に披露された。

  • 19世紀になるとドイツで近代的な組み立て体操が行われるようになった。19世紀のドイツは国民主義が非常に高まったころで、盛んにおこなわれた。

  • それがドイツからヨーロッパ各地に広まり、日本にも伝わった

  • 学校教育において組み立て体操が行われるようになったのは1951年くらいだと。1951年の中学、高校用指導要領には三段の人間ピラミッドの図解が掲載されていた



組体操の歴史は案外古いのですね。人間ピラミッドがいつから始まったのかは不明ですが、少なくとも日本の学校教育で行われるようになったのは戦後。しかも、当初は3段だったのですね。つまり、3段以上は危険だからやめなさいというのが本来の学校教育の在り方なんですね。

2 組体操の苦い思い出

 僕自身も小学校のころに組立て体操やったことがあるのですね。正直、二度とやりたいとおもいませんね。特に人間ピラミッド。確か4段だったような気がする。僕は運動神経が鈍いうえに、子供のころはひょろっとしていて力も弱かったのですね。今でこそティップネスに通っているため、体格もよくなって、知り合いから学生時代にハンドボールでもやっていたの?って言われたほどになりましたが、子供のころは弱かった。もう、「スペランカー」というゲームにでてくる主人公並みに弱かったw




だから人間ピラミッドでひとを上にのせるとつらかったですね。4段で僕は体が当時小さかったから、上から2段目でしたっけ。だから、僕の上に一人の子が乗っていたのですが、それでもつらかったですね。それで、僕がバランスをくずしてよろめき、上に乗っていた子が落ちてしまったのです。それで、同級生から非難されましたもの。人間ピラミッドなどの組体操は協調性を養うといわれておりますが、僕から言わせれば、いじめを助長するものでしかないって。それに危ない。

3 どんどんエスカレートする人間ピラミッド
調べによりますと人間ピラミッドで1969年以降9人が死亡、けがをして障害が残った子供の数は92名だといわれております。はじめは3段だったのに、4段、5段と増えていったのですね。

それから段数がどんどん増えて、段数が増えただけでなく人間ピラミッドをした状態でそのまま動いて移動したりと、技も高度になっていきます。人間ピラミッドを見ているほうはいいが、やっているほうは大変なんです。特に大阪のある学校で、生徒数157名による10段ピラミッドが崩れた事件はショッキングでした。一人が骨折、ほかの子も軽傷だったもののけがをしたと。僕もその動画を見たのですが、どう考えても異常でした。死人が出なかっただけでも良かったと思えるくらいでした。組体操をやって骨折どころか、半身不随になったり、へたすりゃ命を落としてしまうと。



「何言っているんだ!、人間やればできるんだ。」って声が聞こえそうですが、「やればできる」という考え方は世界のどの国にもあるのですが、どちらかというと自分自身に対して「私はできる」と言い聞かせる行為であって、日本のように他人に対して命令するものではないとおもいます。これは24時間テレビにも言えるのですが、他人に苦労を強いて、その苦労を成し遂げる姿をみて感動する姿は、いわゆる感動ポルノそのものだと思います。だから、僕は24時間テレビ大嫌いなんですね。もっとも、最近は感動ポルノ批判からか、障碍者に無理をさせる企画はあんまりやらなくなったようですが。







1 グレムリンのモデルは日本人?
この間、Amazonのビデオで久々に「グレムリン」見ましたが、懐かしいですね。子供の頃に見た時は、怖いなって思ったけれど、大人になってみてみると、以前ほど怖いなって思わなくなった。「チャイルドプレイ」だとか「シャイニング」とか、「グレムリン」よりもっと怖いホラー映画やサスペンス映画を見慣れた後となると「グレムリン」が取り立てて怖いとは思わなくなったですね。むしろ、ちょっと怖いところもあるけれどコメディー色や風刺も込められた映画だなって。


さて、この映画に出てくるグレムリンという化け物のモデルが日本だと言われておりますが、僕は半分は当たっているかもしれないが、半分は違うと思います。

まず本題に入る前に、「グレムリン」のあらすじを。主人公ビリーの父親が、息子のビリーのためにチャイナタウンにある骨董品屋でモグアイという謎の小動物を買おうとします。この小動物は、けむくじゃらで耳が異様にデカく、猫のような猿のようなそんな生き物です。しかし、骨董屋の主人は売り物ではないといって拒否します。しかし、骨董屋は金に困っており、主人の孫がこっそり、ビリーの父にモグアイを売ってしまいます。主人には内緒で。

父からモグアイを渡されて、ビリーは大喜び。ビリーはそのモグアイに「ギズモ」って名前をつけます。意味は、新製品。生き物に製品って名前をつけるのも変な感じですが。そのモグアイを飼うのは大変難しく、三つの決まりを守らなくてはなりません。



  1. 水をかけてはダメ。数が増えるから。

  2. 光を当ててはダメ。苦手だから。特に日光を当てると死んでしまう。

  3. 深夜に食べ物を与えてはダメ。かわいらしいモグワイは、グロテスクなグレムリンになって狂暴化するから。これが一番守んなきゃいけない決まり




結局、ビリーたちは決まりを破り、モグアイの数も増やしてしまい、挙句に狂暴化させてしまい、人間に危害を与えるようになるのです。それはヒッチコックの「鳥」のように、人間を襲う生物がどんどん増えてくる怖さ。

2 双子の赤字に悩まされたアメリカと映画「グレムリン」
 で、映画にフッターマンというおじさんが出てきて、たびたび外国製の電化製品やら車を批判し、車は国産つまりアメリカ製に限ると言っているのですね。フッターマンは、かつては第二世界大戦の英雄だったが、現在は失業中という設定。この映画が上映されたのは1984年。当時のアメリカは双子の赤字に悩んでいたのです。双子の赤字とは、



  • 貿易赤字

  • 財政赤字


ベトナム戦争で莫大なお金を使った挙句に、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻。米ソ間の軍事的緊張が高まっている状況。軍備にかけるお金がばんばん膨らみ財政的に苦しくなる一方。だから、当時のアメリカは今の日本のような雰囲気で、国民も自信を失っていたのですね。そんな状況だから、ギズモもアメリカの国旗を好み、おまわりさんから「アメリカびいきなんだな」って言われる場面が出てくるのです。国民が自信を失っているいまこそ愛国心を持とうって動きが当時のアメリカにあったのでしょうね。かたや、日本は莫大な貿易黒字だったのです、それは二つの理由からです。

  • 安くて省エネで品質の良い電化製品や車を作ることができた

  • 専守防衛で防衛費よりも経済発展にお金をかけることができた



日本は70年代の石油危機を省エネ技術や太陽光発電などの技術革新で乗り越えたのです。この結果、燃費に優れた日本製の車や、信頼性の高い日本製の電気製品が世界を圧巻したのですね。また、日本は防衛費に金をかけることもなかったし、ベトナム戦争の時、アメリカは日本に派兵要請をしたものの、憲法9条を盾にそれを拒むことができた。それで、1981年の日本のGN Pは世界の10%を占めるほど。しかし、こうした経済の発展はアメリカの強い反発を生むのですね。日米の貿易摩擦です。日本の輸出攻勢はアメリカの産業に大打撃を与えるのです。

アメリカの自動車業界では30万人もの労働者が解雇され、日本車の非売運動まで発展します。「グレムリン」のフッターマンもそうした状況で工場を解雇され、外国産とくに日本産の電化製品には嫌悪感を抱いていたのですね。


3 プラザ合意
そして、アメリカは双子の赤字状況を脱却すべく、1985年にプラザ合意を行いました。これは日本や西ドイツ、イギリスいった国々の首脳をアメリカのプラザホテルに集め、アメリカのドルの価格の是正を求めたものですが、槍玉に上がったのが日本との間の貿易赤字。

結局、日本の車や家電商品が安いから売れるわけで、ドルの価格が下がり、いわゆる円高ドル安状況になれば、日本の車や家電商品が高くなる、それで日本製のものが売れなくなるのです。円高ドル安って言われてもわかりにくいですが、これはアメリカ人の立場から見て、円の価格が高く、ドルの価格が安くなったという状況。円、つまり日本のお金の値打ちが高くなれば、日本製そのものの値段も上がってしまうってことですね。

そうなると、困るのは日本。車や電気製品がアメリカで売れなくなったのです。円高になると、輸出に頼っている日本は困ってしまうのです。それで好景気に沸いた日本も円高不況になってしまい、日本の工場が海外に出て行ってしまったりといろいろ大変なことになって、それからバブル経済に突入するのですが、それ以降の話はまた別の機会に。

グレムリンが上映された1984年はプラザ合意の一年前ですね。グレムリンの映画に出てくる、グレムリンの正体は日本じゃないかとも言われておりますが、確かに当時のアメリカ人にとって、当時の日本人は小憎たらしい悪魔のような存在かもしれない。しかも80年代といえば、先の戦争から40年しか経っておらず、日米両国、お互いに戦争の記憶も残っている状況。両国の指導者たちも戦争を知っている世代。

4 グレムリンは自然の摂理を守れというメッセージ
でも、グレムリンは知日派のスピルバーグも関わっているし、この映画のダンテ監督も日米の対立とか、そうした話を盛り込みつつも、自然への畏怖を忘れ、お金儲けに走る人間への警告をしたかったのかもしれない。映画でも、骨董屋の主人が、「人間は愚かで自然の摂理を踏みにじってまで、幸せを得ようとする」と非難しています。実際、アメリカでも環境問題に関心を持つ人が増えたのですね。温暖化、それからフロンガスによるオゾン層破壊が問題になったのもちょうどこの頃。

また、1990年に「グレムリン2」が上映されます。2の方がコメディ色が強く、マネーゲームに走り過ぎて、人間としての情だとか、自然への畏敬を忘れてしまったことへの批判が1よりも込められておりました。

グレムリン2には遺伝子をいじくって新しい生物を作り出す研究所が出てくるのですね。ちなみに「グレムリン」は小説にもなっているのですが、そこではモグワイは科学が発展した星で科学者が人工的に作り出した生物だという設定なんですね。それで科学者がモグワイを地球に送り込んだって話。ここでも自然の摂理を忘れた人間への批判が込められております。

そして、守銭奴の象徴が、2に出てくるクランプという富豪。クランプはニューヨークの王者と呼ばれる人物で、不動産を中心にアメリカの経済を動かすほどの人物ですが、一方で偏屈で人間性に欠けている面もあった。クランプは土地の買い取りを先の骨董屋に持ち掛けますが、骨董屋はクランプをアホ呼ばわりして、それを拒みます。もっともグレムリン騒動で彼もラストでよい人間になるのですが。

そのクランプのモデルが、トランプ元大統領。トランプは日本では、大統領になるまで、それほど知られた人物ではなかったのですが、アメリカではこの頃からすでに有名人で、評判もあまり良くなかった。「バックトゥザフューチャー」に出てくる悪役のビフもトランプがモデルだと言いますし。横暴でモラルに欠ける人間とみなされた人物がのちにアメリカの大統領になるとは。いろいろ考えさせられます。









NHK朝ドラで「ブギウギ」やっていますね。笠置シヅ子のモデルのヒロインが活躍するドラマですね。僕もちょくちょく見ていますよ。このドラマに茨田りつ子という女性が出てきます。モデルは淡谷のり子。淡谷のり子といえば戦前から活躍した大歌手です。

でも、僕は正直、「ものまね王座決定戦」の審査員のイメージが強いというか強すぎるw毎回、厳しいコメントを発するが、真面目にやると優しい。お笑い路線をとっていたタレントには厳しく、特に清水アキラには厳しかった。そうかといえば、同じお笑い路線の田代まさしや稲川淳二、コロッケには優しく、もちろん叱ることもあるが、たいていゲラゲラ笑っていた。清水アキラのそれと、どこに違いがあるのか良くわからんがw、淡谷はまず下ネタはNGであることは間違い無いと思う。

でも、清水アキラが真面目にやっていた時は素直に褒めていた。テープ芸を初めて披露したときは10点をつけて「いつもそうなさい」だって。しかし、テープ芸って真面目なの?よくわからんwともあれ淡谷先生は清水アキラが嫌いなのではなく、真面目にやったら上手いのに、やらないから怒るのだと思う。清水アキラも淡谷のことは尊敬しており、花束を贈ったり、淡谷が亡くなったときはいの一番で駆けつけたとか。

あっと若い子は知らないだろうけれど、ヒップアップというお笑いトリオがいて淡谷のモノマネ毎回やってました。淡谷のまねで曲は田原俊彦の「あッ」とか荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」だとか色々バリエーションはあるけれど、代表曲なのは小泉今日子の「なんてたってアイドル」。サビの「♪なんてたってアイドル」を繰り返すだけwそれがなんとも面白いし、また御本人の前でよくできるなって、その勇気が素晴らしいというか笑える。当然、淡谷は、オカンムリ。


子供の頃は、怖いおばあちゃんだなって思っていたけれど、大人になって改めて、淡谷の動画をユーチューブで見ると、愛が伝わってくる。淡谷がふざけると怒るその理由は、やはり、彼女の壮絶な人生とリンクしてるのですね。淡谷のり子も若い頃は、食物にも困って裸婦のモデルになったくらい。そんな状況でも努力を惜しまず、歌のレッスンも怠らなかった。

戦時中は官憲から睨まれていたのです。時節柄、彼女の歌はふさわしくないと。特に「別れのブルース」は敵国アメリカに毒された曲だと見なされていたのですね。度々、淡谷のり子は取り調べを受けたのです。で、時節柄、勇ましいうたや、愛国心を駆り立てる歌を歌えと。それでも淡谷のり子はあくまで歌は人を楽しませるものだと突っぱねたのです。

歌だけでなく衣装にもこだわりがあって彼女は戦時中も派手な服装をしていたのです。それまた軍部からにらまれ、モンペをはけと言われても、彼女は「ドレスはわたしの戦闘服」といって譲らなかったそうです。


また、淡谷のり子は特攻隊の慰問で歌を歌ったのです。これから死に行く若い青年たち、少年たちの前で淡谷のり子は歌を歌い上げたのです。本来、歌は人を楽しませるもの。それが戦争で死に行く若者のために歌う。後に「徹子の部屋」にご出演された淡谷のり子はこう語られた。


「特攻隊で平均年齢16歳ですって。命令来れば飛びますって、飛んだら帰ってきませんって言うのよ。そうしたら歌ってる間に命令が来ました。スッと立ち上がってニコニコ笑って敬礼していく。泣けて泣けて、次、歌えなくなった。悲しくて。16歳よ?それで飛んでいきましたね。だから私は怒るんです」

歌っている最中に出撃命令が出て、若者たちは、すっと立ち上がり、笑顔で「行ってきます」といって、その場を去ったといいます。淡谷のり子はその時の若者たちの顔が忘れられないと。

そんな彼女の生き様が「ブギウギ」でも出てきます。僕も「ブギウギ」みてて、思いましたもん、淡谷は歌を歌えることのありがたさ、歌手が歌を歌うことの重さを知り尽くしているからこそ、「真面目に歌え」って厳しく言うんだなって。



淡谷が審査員降りたのは1994年ごろ。ものまね番組がきらいになったから?いえ、むしろ逆です。淡谷は審査員を降りてからも、一視聴者として、ものまね番組を亡くなる前まで楽しみにしていたですね。出なくなったのは、1993年に、恩師の服部良一と、戦前からの戦友ともいうべき藤山一郎が亡くなったことが大きいと思う。二人の死は淡谷にとってショックだったのでは。それから体調を崩され、1994年以降、ものまねどころかテレビにも出なくなったっけ。


ちなみに、淡谷のり子は後輩の芸能人から淡谷先生と呼ばれ親しまれていましたが、本人は先生と呼ばれるのを快く思っておらず、「私は先生じゃないわよ」って言っていました。

淡谷のり子は演歌が嫌いで有名で、ものまねでも、演歌を歌われるとすごく不機嫌になるのですね。どんなに真面目にやってもダメ。ある意味、清水アキラのおふざけよりも厳しい表情になる。「アッコにおまかせ」に出演した際、演歌批判をしまくっていて、都はるみの「北の宿」の歌詞にある「♪着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」の節を、「着てもらえないのをわかっているのなら、編まなきゃいいじゃない」って一刀両断。


淡谷は演歌歌手その人が嫌いというより、その歌詞やメロディラインが嫌いだというのです。曰く、貧乏くさくて、暗い気持ちになるからだと。でも、僕から言われせれば「別れのブルース」だって暗い気持ちになるし、今のJPOPと比較したら演歌と大差ないじゃんって思うw

それはともかく演歌のメロディがどこか軍歌と被るからかなって僕は思います。演歌を聴いてると苦しかった戦争の時代を思い出してしまうのかもしれない。

あと淡谷のり子が大好きな曲は五輪真弓の「恋人よ」。名曲ですね。淡谷は、自らもこの曲をカヴァーし、五輪真弓とはまた違った良さがある歌いっぷりでした。五輪が繊細なもの悲しさのある「恋人よ」、淡谷が歌う「恋人よ」は、クラシック仕込みで貫禄たっぷりの歌唱。




※ この記事では、敬称は省略しました。僕もかつては自分のブログでご存命の著名人に「さん」づけしていたけれど、著名人と近い関係じゃないし、「さん」をつけるとかえって失礼になるって話も聞いたので。

このページのトップヘ