history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: ヨーロッパの歴史

かつて、イギリスの首相だったチャーチルがアメリカが世界における役割について、印象的な言葉を残しております。以下、引用します。

我々は生涯に二度も運命の長い腕が大洋を超えて伸び、アメリカを戦いの最前線に招き入れた。ヨーロッパの災いが発生すると、その破滅的な猛威はアメリカにも及び、決して逃れられないことが証明される。アメリカ国民は世界的責任から免れることはできない。

私たちはほとんど予測できない激動の時代に生きているが、アメリカが富と権力において前進するたびに、この過程が強化されることは、間違いないだろう


今日のウクライナ情勢における、アメリカの動きを見るたびに、チャーチルは半世紀以上も前に、こうなることを言っていたのだから、慧眼だなって。チャーチルがこのような言葉を述べた背景を順を追ってお話しします。

アメリカは、第一次世界大戦、第二次世界大戦と二度の戦争に関わりました。実は第二次世界大戦の時、アメリカ国内では厭戦気分が漂っていたのですね。第一次世界大戦にアメリカは参戦し、たくさんの犠牲者を出したのですね。戦争はゴメンだという意見が圧倒的に多かったのです。ちなみに、かのリンドバーグも戦争反対を唱えていたのですね。リンドバーグと言いましてもバンドの名前ではありませんよw、飛行機で世界一周をした有名なパイロットです。

当時、アメリカはイギリスのチャーチル首相から、ヨーロッパでナチスドイツが暴れ出し大変なことになっているから、助けて欲しいと矢のような催促をアメリカにしていたのです。しかし、ルーズベルト大統領は、本音ではイギリスを助けたいけれど、国内の厭戦気分を無視できなかったのです。1939年の世論調査ではイギリスの軍事支援を賛成する意見は、わずか16%足らずだったのです。それが1940年6月のナチスドイツのフランス侵攻、さらに同年7月にドイツがイギリス本国空爆、といったニュースを知り、アメリカ国民は衝撃を受けます。世論調査でもイギリスを助けるべきという意見が50%を超えたと言います。それでも、1940年にアメリカで徴兵制が導入されるや否や、国民の間で、それに反発する意見も大きかったのです。イギリスに物資や兵器を輸送するなどで支援するのは賛成だが、自分達が戦争に巻き込まれるのはゴメンだということでしょう。それが1941年12月の真珠湾攻撃で、アメリカ世論も戦争に参戦すべきが圧倒的になるのですが。結局、アメリカは二度の大戦に巻き込まれてしまったのですね。

二つの戦争が終わった後も、アメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と色々な戦争に関わっております。今回のウクライラでも、武器貸与法を77年ぶりに復活させました。77年前もルーズベルト大統領が、この法律でもってヒトラーと戦う姿勢を示しました。アメリカのバイデン大統領も、ロシアのプーチンをヒトラーと同一視したってことでしょう。また、ウクライナに世界中から義勇兵が集まっておりますが、アメリカからは5000人も集まっているというから、驚きます。かなりの人数ですね。アメリカは世界の警察をやめたといった矢先のウクライナ戦争ですから。チャーチルの言葉が今も生きているんだなって。

*この記事は「映像の世紀」を参考にして書きました。

海賊というと数多おりますが、今日は何人かの海賊のプロフィールについて。


  1. キャプテン・キッド(1645〜1701)

  2. 海賊といえば、この人の名前を浮かべる人が多いかもしれません。しかし、意外と海賊としての活動は少なかったようです。イギリス国内の政争に巻き込まれ、イギリスを追われたキッドは、ボストンに入港するさいちゅうに逮捕されたといいます。絞首刑になる直前、「ある場所に宝物を隠した」と言い放ったといいます。そのお宝がどこにあるのか言わぬまま処刑されてしまったため、そのキッドが隠した財宝がいまどこにあるか、人々にロマンを与えております。

  3. フランシス・ドレイク(1543〜1596)

  4. イギリス人としてはじめて世界一周をし成し遂げた航海者であり、最強の海賊だといわれております。航海中に奪った財宝を当時のイギリスの女王エリザベス1世に献上したといいます。彼が奪った財宝はなんとイギリスの国家予算を超えるほどだったというから驚きです。そのおかげでイギリスは借金を返すことができて、その功績が認められ、イギリスの海軍副司令官に抜擢され、スペインの無敵艦隊を打ち破り、イギリスを勝利に導いたといいます。エリザベス一世は彼のことを「私の海賊」と呼んだとか。

  5. フランシス・ロロシア(1639〜1667)

  6. 大変、残虐な人物としられ、ロロシアに会うくらいなら死んだほうがマシと言わしめたほど。ロロシア一行が陸に上がりお宝を求めて森を探索中、スペイン兵たちと出会します。ロロシア一行とスペイン兵たちは抗戦。スペイン兵を何人か捕虜にすると、ロロシアはなんと短刀を抜き、スペイン兵の捕虜の1人の胸を切り裂き、心臓を手づかみして取り出すと、「安全な道を教えろ。お前たちもこうするぞ」って脅かしたのですね。見せしめのため、別の捕虜の口に心臓を突っ込んで食わせたと言います。こええ、

  7. エドワード・ティーチ(1680年? - 1718年11月22日)

  8.  通称、黒ひげ。かなり有名な海賊です。黒ひげ危機一髪なんてオモチャがありますが、実在の黒ひげはもっとやばい人です。豊かにたくわえられた髭には、ところどころに導火線が編み込まれていました。黒ひげの決め台詞は「俺は地獄からきた。今からお前をそこへ連れてやろう」。黒ひげは、ある日、仲間を1人を突然、銃で殺したのです。その時いったセリフが「手下の一人でも殺しておかないと、俺がだれか忘れられてしまう」と言ったと。ともかく怖い人でした。一方で合理主義者でもあり、黒人奴隷を仲間にしたりしておりました。

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    (黒ひげの絵。ウィキペディアより)

  9. ブラック・シーザ

  10.  黒ひげの側近で、元は黒人奴隷。黒ひげに出会う前は、白人の海賊と親しかったのですが、その友人と1人の女性をめぐって対立。結局、その友人をシーザは殺してしまうのですね。大変勇敢で、黒ひげの信頼も厚かったと言います。

  11. アン・ホニー

  12.  女性の海賊です。元々は裕福な家の出でしたが、恋愛気質で情熱的。1人の船乗りに惚れ込み、そのまま駆け落ち。さらに海賊の船長と恋仲になり、そのまま海賊になったのです。銃の名手であり、男たちを罵ったと言います。敵との白兵戦になった時、甲板で身を隠す男性の海賊たちに、意気地がない!戦えって怒鳴ったというから、すごいですね。

  13. アルヴィルダ(詳細不明。五世紀ごろだといわれている)

  14. 王族の娘として生まれた伝説の女海賊。親から勧められた縁談を拒否し、海に逃亡。その際、海賊団と遭遇。その海賊団は船長を失ったばかり。アルヴィルダの美貌と勇敢さが気に入られ、そのままアルヴィルダが新しい船長になりました。それから、アルヴィルダを忘れられなかった元婚約者が彼女を探しに海を渡ったといいます。そして婚約者はアルヴィルダと無事に結ばれたといいます。

  15. 鄭夫人ていふじん夫人(18世紀末〜19世紀初頭)

  16. 中国の女海賊。もともとは娼婦だったが、海賊の首領だった鄭乙チョンイーと出会い結婚。これがきっかけで鄭夫人は海賊となる。鄭乙が急死したので、鄭夫人が夫にかわり首領になります。厳しい掟を強いることで、海の荒くれものたちをまとめあげ、自国の清だけでなく、イギリスやポルトガルにとっても手に負えない大海賊となったといいます。掟を守らぬ部下には問答無用で首をはねたといいます。おそろしいですね。

  17. ヘンリー・エイヴィリー(1659年? - 1696年?)

元々は海賊を取り締まる側にいました。ある夜、船長が寝ている間に、船を乗っ取り、自ら船長になります。そして乗組員たちと共にそのまま海賊になってしまいます。要するに取り締まるより自分が海賊になった方が儲かるから。船と乗組員を乗っ取り、略奪のかぎりを繰り返します。そうしていつの間にか400人以上の部下と6隻の船を持つ大海賊のボスになりました。ある日エイヴィリーは奪った財宝を6隻の船にバラバラに積むと誰かがちょろまかすから、ボスである俺の船に全部詰め込めとエイヴィリーは言ったのです。すると、隙を見てエイヴィリーは5隻の船を置き去りにして、逃げたのですね。財宝を独り占めしたのですね。ひどい話です。本国に帰ったエイヴィリーはそうして独り占めした財宝を商人に売り渡そうとしたのですが、その商人は、「あなたがどんな経緯でその財宝を手に入れたか知っているよ、私が役人にチクったら、あなたは死刑だよ」って言ってしまい、ただ当然で財宝を買い叩いてしまうのです。こうしてエイヴィリーは一文なし。37歳で死亡。自分の棺を買うお金もないほど落ちぶれたとか。

  • 村上武吉ムラカミタケヨシ(1553〜1604)
    瀬戸内海を牛耳っていた村上海賊のボス。1576年の石山本願寺の戦いでは本願寺側に味方し、織田信長の船団をさんざんに蹴散らしたのですが、その後、織田信長に味方した九鬼水軍に負けてしまい、瀬戸内海の制海権を失ったのです。ちなみに九鬼水軍も海賊でした。瀬戸内海の制海権が織田信長に移ってからは能島を拠点としていたが、豊臣秀吉が海賊停止令を発令したことにより、村上海賊は終焉を迎えたといいます。





    ※この記事は「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。あとこちらの著作も参考にしました。

    新世界 海賊の作法
    ジー・ビー
    2021-05-25



  • 1 船長
    海賊船には様々な職種の人がいて、それぞれ役割分担をしておりました。いくら悪いことをするとは言え、チームワークは大事。一人でやろうたって、それだけのことはできません。

    まず必要なのは船のリーダー役。船長です。船長の資質は、知力、決断力、行動力、判断力、戦闘力そして荒くれものたちをまとめきれるリーダーシップそれらのものをすべて併せ持っているひとがなります。あとは資金力。基本的に船は船長の私有財産で購入したもの。能力もないのに、口とゴマすりだけでなれるものではないのです。

    しかし、いくら荒くれものをまとめるといっても、ただ怒鳴ったり、気に入らない人間に暴行を加えるような暴君では勤まりません。乗組員の信頼がないと、すぐに反乱がおこって船長の座を降ろされてしまいます。船長の座を降ろされた人物の末路は悲惨で、部下たちからリンチにあったり無人島に置き去りにされたり。ブラック企業の社長さんのよう威張っていられないのです。実際、海賊たちは選挙で船長を選んだのです。しかも乗組員は一人一票。下っ端の乗組員にも選挙権がある。民主的ですね。よく「親と上司は選べない」というけれど、海賊たちは上司を選べたというからうらやましい。

    あるいは海賊になりたいと思った金持ちの人間が新聞に求人広告などを出して仲間を集め、そのまま船長の座に収まった人も。

    そのほかには、それまでの実績を見込まれ船長として逆に船乗りたちからスカウトされることもあったといいます。





    2 航海士
     航海士は船長の右腕的な存在でした。いわば縁の下の力持ち。海の上では気象や潮の流れを読むことはとても大事。船は今と違って帆船。船の運航は潮の流れと風任せ。最悪、嵐に会ったら大変です。嵐と言ってもアイドルグループのことじゃありませんから、悪しからずw。その気象や潮の流れを読んで、安全な航海ができるようにつとめるのが航海士の仕事。

    航海士には専門的な知識が必要で、今でいう海技士免状が必要です。航海士の仕事は多岐に及び、舵取りもしたし、針路を決めたり、奪った財宝の査定と分配、食料や日常品の割り当て、船員同志のトラブルの仲裁、懲罰の決定なども行ったのです。ほかにも航海士は海図、方位磁石、デバイダー、天測器、望遠鏡などのアイテムを用いて安全な航海ができるように心がけたのです。

    デバイダーとは海図上の長さを実際の距離に換算する際に使う道具です。天測器とは自分の船の位置が割り出せる道具で今でいうGPSです。太陽によってできた影を天測器で測ると、緯度を特定できるという優れもの。逆に曇りだったり夜だと使えないシロモノ。

    3 甲板長
     船員たちの仕事は多岐にわたり、見張り、荷物の積み下ろし、船体や帆、甲板の修理や整備、それから掃除まで。特に大事なのは。船の帆。帆はマストやロープに強く打ちつけられるため、革を当てたりして常に補強しなくてはなりません。そのロープも痛むため、修理を頻繁に行ったといいます。きつく締めなおしたり、別のロープとつなぎ合わせたり。船員たちは全員補修作業ができたといいます。ぎゃくに補修作業ができないぶきっちょな人間は船からつまみだされてしまいます。船員たちの日常生活のほとんどはこうした補修作業に費やしたといいます。さらに船員たちは船の上での斬りあいになったら武器を持って戦わなくてはなりません。こうした船員たちを束ねるのが甲板長。甲板の掃除や管理、帆の整備を行ったといいます。そして船員たちが船員たちが規律違反をしていないか見張るのも甲板長の役。そして斬りあいになれば真っ先に敵と戦い、なおかつ作戦も考えなくてはならないのです。甲板長は先頭に立って戦わなくてはならないのでケガや死亡のリスクが高いので、一般の船員よりも割増の報酬を得ていたのです。甲板長は会社でいえば中間管理職にあたり、腕っぷしもさることながら頭もよくないとつとまりません。そうして能力が認められた甲板長は副船長に抜擢されることもあるといいます。

    4 砲手
     海の上での船同士の戦いで欠かせないのが大砲。しかし、船に大砲が積まれるようになったのは、14世紀以降。はじめはイギリスで次第にヨーロッパの列強が船に大砲を積むようになったのです。大砲を扱うには専門的な技術が必要でした。そのため大砲を扱える砲手は貴重でした。だから報酬は航海士の次に優遇されたといいます。ひとつの大砲を発射するのに4,5人の作業員が必要で、射撃までに時間がかかったのです。手順や火薬の量を間違えると自爆してしまいます。そうした知識をもっていたのが砲手なのです。敵の船をみつけたら、すばやく正確に打たなくてはなりません。スキルの高い砲手ならすばやく二発も敵の船に打ち込むことができます。砲撃によって敵を威嚇したり、ダメージを与えたのです。

    砲手の活躍の場は海上戦だけではありません。船の上での斬りあいになったら、敵の船員めがけて手投げ弾をなげて味方を養護したといいます。

    また砲手は先頭の時以外は寝ていたかというとそんなことはありません。普段は、火薬、銃などの保守や点検も行ったといいます。雨風のせいで火薬がうまく着火しないこともあるので、火薬を湿らせないように管理したといいます。

    5 その他の職務
     海賊船の中には、船医、船大工、音楽士、料理番、それからキャビンボーイ(見習いの少年)がいました。船医はお医者さんで戦闘に参加しなくてもよく、船員たちの治療を行いました。今みたいに医学が発展していなかったから、まともな薬もありません。船上で疫病がはやったら、大変なんですね。船の中と言ったらそれこそ三密状態ですから。戦闘でケガした背人の手当もしたのですが、その手当も負傷個所をノコギリで切ったり、銃弾をスプーンでかきだす程度。それでも船医は貴重だったのです。だから報酬も多くもらえたのです。まして海賊船に乗りたがるお医者さんなんてごく少数ですからね。ちなみに『種の起源』を著したダーウィンも船医だったといいます。

    船大工は船のメンテナンスが仕事。船は木造ですから、すぐ傷んでしまいますから。敵の大砲の被弾でできた傷を修復するのも船大工の仕事。また船が浅瀬で座礁したときは、船をいちど解体し、乗組員たちを指揮しながら船を直したといいます。ほかにも緊急脱出用のボートを作ったのも船大工の仕事。あとは船首に取り付ける装飾をつくるのも船大工の役目。その装飾は人物や動物などの像が多かったようです。ただ、船大工は戦闘に参加しなくてもよいことから報酬も一般の船員よりも安かったようです。

    音楽士は演奏が仕事。音楽を奏でて船員たちのテンションを高めたのです。扱った楽器はバイオリン、ホーン、ドラムなど。夕食時や作業中にも音楽士は演奏したといいます。テンションもそうですが、安息日に音楽士の讃美歌を聴き、休暇をのんびりすごす船長もいたといいます。船長は忙しいからリラックスも必要ですね。日頃だけでなく、戦闘中にも音楽士は船員たちを発奮させるために演奏したといいます。さらに輸送船などを襲撃する際、威嚇のために音楽を使うこともあったとか。船員たちが罵声を浴びせ、銃などをならし、音楽士が大きな音を鳴らす。それも敵が聴いていて不快な音を。音楽士は意外と重宝され、音楽士が敵の船に乗っていた場合は、その音楽士を拷問にかけるどころか、逆にスカウトしたといいます。音楽の才能がある人はそんなに多くありませんからね。

    料理番の仕事は文字通り。ただ、海賊船のなかは十分な調理道具もそろっておらず、多くの船は炊事場もなかった。しかも、波が高い時や荒れているときは火を使うことは禁止。そりゃそうですね。船は揺れるし、船体も木造。一歩間違えれば火事になって、船はそのまま火だるまとなって沈んでしまいます。だから、干し肉だとか燻製だとか保存食がメインだったのです。火を使うとしたら、波が穏やかな時くらいでしょうか。海賊船の料理番は、戦闘で足を負傷したものも少なくなかったのです。戦闘で足を失い義足になっても両手が使えれば料理くらいはできますから。『宝島』に出てくる料理番は船員たちに飽きがこないよう、限られた食材の中でレシピを考えるのも大変だったとか。

    キャビンボーイは見習いの少年。貧しい家に生まれた子供が一攫千金を狙って、あえて海賊船に乗り込んだケースと、逆に海賊に拉致されてやむなく海賊船に入ってしまった子供も。そうしたキャビンボーイの役目は弾丸運びをやったり、掃除をしたり、料理の手伝いをしたり、操縦の手伝いをしたり。とくに少年たちは小さな体を生かして、戦闘中の敵味方入り乱れたところをわけいって、弾薬を味方に運んだといいます。それからキャビンボーイの大事な仕事が船長の雑用係。船長の指示に従って、いろいろ雑用をしたのですが、なんと船長の夜の世話もしたといいます。かつて名だたる戦国大名も美少年の小姓とイチャイチャしたといいますし。信長と森蘭丸が好例でしょうか。ともあれ、同性愛、少年愛というのはどこの世界にでもあるのですね。

    ※ 

    16世紀になると、大西洋にプライベーティアという海賊が登場します。これは国家公認の海賊のことで、大航海時代にスペインがアメリカを開拓したことをきっかけに生まれました。当時のアメリカは未開拓の地で、たくさんの金銀や宝石があふれていたのです。スペインは新大陸からもたらされる富を独占しようと思ったのです。これを面白く思わないのがフランスやイギリス、オランダ。とくにイギリスはスペインと対立していたので、スペインに勝つためには綺麗事を言ってられぬということでしょう。


    フランスやイギリスなどのヨーロッパ諸国は足りない軍事力を補うために、海賊の力を借りていたのです。民間の船や海賊に私掠免許を乱発していたと言います。だから、海賊たちも国からお墨付きを頂いたのだから、やりたい放題で略奪を行ったのですね。その略奪した品物というのは金銀財宝だけでなく、豪華な衣装や、なんと生きたままのジャガーまでいたといいます。

    一方で、略奪したお宝の一部を国に献上するという。略奪した金銀財宝の10%を政府に差し出さなくてはなりません。残りの90%を船主、船長、乗組員で分かち合うのですが、その分前は船主と船長が30%ずつ、残りの30パーセントが則組員のものです。乗組員の分前が30%ということは、極端な話、乗組員が3人であれば、一人当たり10%ずつ分けることができるのです。ところが30人もいると分前は1人あたり1%だけ。乗組員が30人もいれば、船長と乗組員の格差がうんと広がるのです。30人以上になると、もっと乗組員の分前が減ってしまうのです。

    基本的に許可されるのは敵国の船だけですが、そんなのはあってないようなルール。実際は相手の国籍がどこだろうと海賊たちは襲ったのですね。そうしたプライベーティアと言われた海賊の中で有名なのが、イギリスのフランシス・ドレイク。ドレイクは世界一周をし、女王エリザベス1世に王室の債務を完済させるほどの財宝を献上し、ナイトの称号をえたほど。




    そんな私掠船も一旦下火になります。1692年にスペインとイギリスが和平を結んだのです。すると、それまで発行してきた私掠免許も取り消しになり、イギリスもスペインも海賊を取り締まるようになったのです。そうかと思ったら、今度は1702年にイギリスとスペインの継承戦争が始まり、再びイギリスは私掠免許を乱発。またしても海賊の活動が活性化したのですね。それが1713年にイギリスとスペインの継承戦争が終結。またしても私掠免許が無効。私掠船の取り締まりも強化。多くの私掠船の乗組員たちも生活に困ってしまうのですね。さらに悪いことに強欲な船主たちが私掠船の船乗りたちの略奪品の分前をもっとよこせとさらに要求。末端の船乗りたちは益々生活に困ってしまいます。

    国に振り回される海賊たち。そんな海賊の中でも、俺たちの自治区を作り出そうという海賊も出てきます。その辺のお話はまた次回。

    海賊たちは迷信を信じていたのです。ええ?って思われますよね。海賊っておっかなくて、悪いやつらで、現実主義者みたいなイメージがありますが、意外と迷信を信じていたのです。まして今みたいにネットもなければ、科学も発展していない時代。海は海賊たちにとって、まさに未知の世界。我々にとっては宇宙のようなものです。

    だから、ありもしない化け物がいたと信じていたのですね。クラーケンと呼ばれるタコやイカの化け物、シーサーペントという大きなウミヘビみたいな怪獣。ほかにもローラレイという人魚。このローラレイという人魚や美しい見た目とは違って、美しい歌声とその美貌で人間の男を誘い出し、海中に沈めると。ほかにも幽霊たちが乗る幽霊船も海賊たちは恐れたのです。その幽霊船に出会うと機械が故障したり、食べ物が腐ったりすると。さらに南米のホーン岬にいくと白い服をまとい杖を突いた老人が現れると。その老人をみると船が沈むという伝説があるといいます。

    そんな化け物たちが本当にいると海賊たちはマジで信じていたのです。

    ほかにも北大西洋にサルガッソーと呼ばれる魔の海があって、そこに入ると船が動かなくなり、船に閉じ込められ、船員たちが命を落とすと。さらに夜になると海の中から職種が伸びて船を沈めてしまうともいわれております。おそらくサルガッソーとはバミューダ三角海域のことでしょうか?

    逆にサントエルモの火というのがあって、海の上で、これを見ると吉兆があると。現在ではサントエルモの火の正体が科学的に解明され、カミナリなどによる放電現象だそうです。

    あとイルカも幸運をもたらすとよばれ、船員たちから歓迎されたといいます。イルカが吉兆というのはどこの国も同じだなって。日本でも『平家物語』イルカがでてきます。壇ノ浦の戦いで、イルカが出てきて、それまで劣勢だった源氏は喜んだといいます。すると実際に潮の流れが変わって平家は不利になったって描写が出てきます。

    ほかにも海賊たちにはジンクスがあって、船に乗るとき、左足からはいると縁起が悪いといわれております。そのため、海賊たちは右足から入ったといいます。さらに、くしゃみをするともっと縁起が悪かったと。逆に船に乗るとき、海にツバをはくと縁起が良かったといいます。つばをはくなんて、お行儀が悪いと思うのですが。

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