history日誌

へっぽこ歴史好き男子が、日本史、世界史を中心にいろいろ語ります。コミュ障かつメンタル強くないので、お手柔らかにお願いいたします。一応歴史検定二級持ってます(日本史)

カテゴリ: 平安時代

漫才の歴史は意外と古く、平安時代にその原型があったといいます。当時は漫才と言わず、千秋萬歳(せんずまんざい)」(略して「萬歳」)にあります。基本は「太夫」と「才蔵」の2人組の芸です。2人は新年のめでたい日に家々を訪れ、その玄関先で芸を披露します。太夫が扇、才蔵が鼓をもち家々を回ります。

太夫と才蔵は、七福神などおめでたい言葉を節にのせて歌を歌うのですね。これは「今年一年、悪いことが起きませんように」と神に祈るのですね。歌だけでなく時に面白いことを言って楽しませるのですね。

万歳は神事の一種とされていますが、そんなに堅苦しいものではありませんでした。鼓を持ち面白いことを言うのが才蔵。つまりボケです。扇子を持った太夫がたしなめる、いわゆるツッコミ。そんな2人の掛け合いで笑わせます。笑う門には福来ると言ういう意味で、新年からわっはっはって笑えば、おめでたいですよね。それが昭和初期になり横山エンタツ・花菱(はなびし)アチャコという漫才コンビが、楽器を持たず、歌も歌わず、会話だけで笑わせる漫才をはじめたのです。それが今の漫才につながったのですね。


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源義経の家臣である弁慶が怪力の持ち主だったのは有名な話。というか弁慶なる人物が実在したかどうかは疑わしいのですが、それはともかく置いておいて、奈良県の吉野にある吉水神社に弁慶の力釘というものがあります。

源義経は、源平の合戦で平家と戦い輝かしい活躍ぶりでしたが、平家が倒れたとたんに、兄の源頼朝から、義経は疎まれてしまったのですね。この時代は兄弟といえども油断ができない、下手すると自分の親兄弟に寝首をとられてしまう危険もある。寝首を取られるくらいなら、親兄弟といえど殺してしまおうと。そんな時代に生まれたことが頼朝・義経兄弟の不幸でもありましたが。頼朝に追われた、義経は吉野に身を寄せていました。それをしった頼朝の追手は吉野までやってきたんです。それで、吉水神社の前身である吉水院のお坊さんたちが義経をかくまったのですね。え、吉水神社の前身の吉水院ってどいうことかって?もともとは僧坊で、1300年以上前である天武天皇の時代(白鳳年間)に役行者(えんのぎょうじゃ)が創建した格式高い僧坊だったのです。

僧坊が神社となったのは、明治時代に行われた神仏分離によって、吉水院が後醍醐天皇の南朝の皇居であったことから、明治八年に「𠮷水神社」と改められたのです。

頼朝の追手が吉水院までやってきて、「そこに義経がいるのはわかっている!出てこい!」ってさけんだのです。すると、弁慶が顔を真っ赤にして、そばにあった釘を二本手に取って、大声でさけんだのです。

「やあやあ、我こそは弁慶なり!力自慢をいたそうぞ」

それで、追手たちのすぐ近くにあった岩に、弁慶はなんと持っていた二本の釘を力を込めて、それも親指だけでうちこんだのです。ハンマーとか使わずにですよ。すごいですね。豆腐にくぎを打ち込むのとはわけが違います。追手たちは恐れをなして逃げ出したのですね。そんなバカな話あるもんかと思うかもしれません。しかし、弁慶の力釘の伝承は歴史的に根拠があったかどうかはべつにして、のちの時代まで語り継がれ、かの豊臣秀吉が、吉野に訪れ、弁慶の力釘にふれて、こういったといいます。

「力をもらいたい・・・力を!」って。






来年の大河ドラマは紫式部が主人公だそうです。吉高由里子さんが演じられますが、吉高さんは演技はなので楽しみです。大河では平安時代の中期をとりあげるのはおそらく初めてだと思うので、そういう意味でも楽しみです。

皆さんご存じの通り、紫式部は『源氏物語』の作者です。1000年も昔に書かれた小説なのに、いまだに読み継がれているのは、本当にすごいことです。日本人のみならず海外でも親しまれております。ドナルド・キーンさんは18歳の時に『源氏物語』と出会いました。時は日本とアメリカと戦争状態だったころ。反日感情がアメリカ人の間で高まっている、まさにその時にドナルドさんは『源氏物語』を知ったと。『源氏物語』を読んでドナルドさんは、日本の美意識をみたと。そして、愛と美のために生きる『源氏物語』の登場人物の生きざまに好感をもったと。光源氏や女たちが話す言葉は美しく、文を交わす時も美しい和歌を添え、そのうえ上質の和紙を用いてと。これこそ人間のあるべき生活だと、ドナルドさんはおっしゃっております。

しかし、紫式部が生きた平安時代も、そんなに美しい時代ではなかったのです。殺人事件もあったろうし、飢えや疫病に苦しむ人々も少なくなかったし、政治の世界でも、応天門の変だとか、安和の変だとか政敵を追い落とす陰謀や事件もたびたびあったのです。華やかな宮中でも欲望と嫉妬がうずまいていたのです。

紫式部は宮仕えをしていたのですが、宮中はまさに江戸時代の大奥と同じ。宮仕えの女たちはお互いにライバル意識を持っていたのです。だから女たちが噂や陰口をたたくのは日常茶飯事。女たちも貴族や帝に気に入られようと必死でしたからね。うまく貴族それも藤原氏や、帝に気に入られれば、かれら妻になれるわけですから。

紫式部も宮中で待ち受けていたのはイジメでした。あいさつをしても周囲に無視され、ショックを受けたのです。紫式部は出仕を拒否し5か月も引きこもってしまうほど。いわゆる新参イジメですね。平安時代からあったとは。新参いじめは通過儀礼で、これを乗り越えたものだけが、組織の人間として受け入れてやるってことでしょうか。そうした新参いじめのために優秀な人材に逃げられたらどうするんだって僕は思うのですが。特に現代はパワハラとかいじめが訴訟話に発展したり、イジメられた人がSNSで書き込まれて企業の信用を失うリスクだってあるのに。人間の業の深さなんでしょうね。

まして紫式部は漢文の知識もある才女であり、『源氏物語』を描いて、一条天皇から目をかけてもらったのですね。『源氏物語』を読んだ一条天皇は紫式部に「『日本書紀』を読み込んでいるにちがいない」って絶賛したのです。それが先輩たちは同僚たちの嫉妬と反感を買ったのですね。あげくのはて、紫式部は「日本書紀の御局みつぼね」というあだ名をつけられてしまうのです。能力のある人というのは、反感を買われやすいもの。本来、組織において能力のある人というのは重宝されるべきなのに、周囲からの嫉妬やいじめで潰されることもままあるのですね。まして、新参者で古参を出しぬき実力者に気に入られたらなおのこと。実際、プロ野球でも才能がありながら先輩たちのイジメに耐えかね若くして引退した選手もいたというウワサもききます。もったいない話です。

こうしたイジメ対策の回避策として紫式部がとったのはバカキャラ作戦。「じぶんは『一』という漢字も書けないバカ女ですよ」というふりをしたのです。嫌味を言う女に対しても、わざとマヌケな返事を返したと。それで同僚たちは「才能に鼻をかけない、おっとりととした女性」とおもうようになったのですね。それでやっとイジメを回避できたといいます。『源氏物語』は美しい面だけでなく、人間の汚い面も描かれておりますが、紫式部が宮中でいろいろと人間の醜さをみてきたからこそ書けたのだと思います。







※ 参考文献

平安貴族 嫉妬と寵愛の作法
繁田 信一
G.B.
2020-07-17




京アニ放火事件、2019年に36人が焼死し、32人が重軽傷を負ったおぞましい事件ですね。もう4年以上たつのですね。犯人は、いま初公判を受けておりますが、彼の口から反省の弁はなく、社会が悪いとか、そんな感じだったようです。確かに虐待を受けたとか、いろいろ挫折もあって気の毒な一面もあるといえばあるのですが、やったことがやったことですからね。日本の法律では二人以上人を殺せば死刑確定ですが、犯人が精神的に疾患があり、無罪の可能性があるとのこと。

実は僕は2021年に、京アニの跡地に行ったことがあるのですよ。2021年と言ったら事件があった2年後ですね。京都と奈良の観光のついでに亡くなった人たちの供養でもしようかなと思いましてね。JR西日本の六地蔵駅って駅から降りたのですが、まあ、わかりにくいところにありまして、探すのに苦労しましたよ。一応、携帯のナビを使ったのですが、それでもなかなか見つけにくい。かといって地元の人に、「京アニ跡地どこですか」って聞きにくいし。

住宅地の奥まったところに、その京アニの跡地があったのですが、まあ狭い路地の奥。これでは火災にあったら逃げるのも大変だって。火災どころか震災とかあったらどうするんだって思ったほどでした。跡地には供養塔などはなく、高いバリケードみたいなものがあるだけでしただから、一見するとそこに京アニのスタジオがあったかどうかもわかりません。京アニスタジオ跡なんて看板もありません。

おそらく、跡地をバリケードで囲っていて、中に人が入れないようにしているのでしょうね。そのバリケードの上のほうには監視カメラがあったのですよ。びっくりしましたね。そんなんだから写真撮影もできるような感じじゃないし。それで張り紙があって、近所迷惑だから、この場所に滞在してはダメみたいなことが書いてあったのですね。

実は遺族の方々から、跡地に慰霊碑を作ってくれって意見も出ているようですが、地元の人たちは大反対だとか。全国からオタクがきて、中には素行の悪いのがいてギャーギャー騒がれては困ると思ったのでしょうね。監視カメラがあったのもそのためでしょうけれど、僕の中ではモヤモヤしたものを感じましたね。そういうことを割り引いても塩対応だなって。

そりゃギャーギャー騒がれたら嫌ですが、もしも、単にオタクという理由だけで来るなというのなら、それは差別であり偏見ですね。偏見の目で見られたら、人間はひねくれますよ。すべてのオタクが非常識だとか、犯罪を犯すとか、そんなことはないのに。

そうした、なにかモヤモヤしたものを感じながらも、心の中で亡くなった方々の冥福を祈りつつ、そそくさとその場を立ち去りました。



現場を立ち去って、改めて犯人はよく、あれだけの事件を計画的に起こしたなって、変な意味で感心しました。もしかしたら共犯者がいたのかもしれないが、それにしてもって。ムカッとなって刃物で人を瞬間的に刺したとか、たまたま目についた商品を万引きしたとか、そういうのだったらともかく、犯罪って基本的に頭がそれなりによくないと出来ないと思うんですね。事件のあらましをみても、精神疾患が理由で無罪はありえないでしょう。もし、京アニ放火事件の犯人が無罪になったら僕は日本の司法を疑いますね。

さて、僕はも京アニ跡地に訪れた際、六地蔵って地名も気になりましたね。6つの地蔵が建つくらいだから、それくらい何かいわくつきの土地なんじゃないかってピンと来たんですよ。だいたいお地蔵様が建つところって事故があった場所か、災害が起きて人が大勢亡くなった場所だったりしますから。

また、6つの地蔵さんがあるような土地で、京アニの犯人であのような犯罪を犯すとはなんと罰当たりなみたいな感情すら生まれましたね。ともあれ、この土地の由来を家に帰ってから調べたのですが、六地蔵は平安時代初期に漢学者であった小野篁おののたかむらが桜の木を彫って、6つのお地蔵さんを作ったものだといいます。小野篁は、小倉百人一首にもでてくる「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という和歌を作った人でもあります。その6つのお地蔵さんを木幡こわたの里、現在の京都、六地蔵の地に収めたといいます。

地蔵さんが6つあるのは、六道の苦しみから救うためと。地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天界の6つの世界の苦しみがあって、そこから抜け出した人は本当の幸せを得られると。地獄は言うまでもありませんが、餓鬼道は飢えの苦しみ、畜生道は動物の世界。動物の世界ってメルヘンなイメージがありますが、実際の動物界は弱肉強食の厳しい世界ですからね。修羅道は争いの絶えない苦しみの世界、今でいえば中東やウクライナでしょうか。人間界も苦しみの多い世界です。意外にも天界にも苦しみがあるのですね。天界は天人が住み、過ごしやすく快適で幸せな場所ですが、あくまでそれは地獄や人間界よりも快適だという意味で、やはり天界には天界の苦しみがあるようですね。銀河鉄道999にもあったなあ。作中にざんげの国って星があると。その星は善人ばかりで、清らかで犯罪もないとされています。しかし実態はドロドロしてて、

仏教の世界はその六道を超越して初めて幸せになれると。

おっと話がやや脱線しましたねw、時はすぎて平安時代後期になると、地蔵信仰が高まったといいます。平清盛は、1157(保元2)年に都を病魔や魔物から守るため、西光法師に都の出入り口となる六カ所に六角形のお堂を建てさせたといいます。これは仏教を熱心に信仰していた後白河法皇の命を受けてのものとされておりますが、清盛自身も仏教を信仰しておりましたからね。清盛は、6つのお堂にそれぞれ小野篁が作った木彫りの地蔵さんをおさめ、まつったとされております。お地蔵さんをまつったのは都を守るためであって、特別この地で何か災害があって建てられたものでは無さそうです。


京都の宇治に橋姫伝説というのがあります。平安時代中期、大変仲が良い公家の夫婦がいました。そんな夫婦の間に亀裂が突然走ってしまいます。夫が浮気をしてしまうのです。怒った妻は夫をなじります。夫は言い逃ればかりで、結局、夫は蒸発してしまったのです。意を決した妻は貴船神社へと向かいます。ここには丑の時(午前2時)に参拝すると願いが叶うという言い伝えがあります。僕も以前に貴船神社にいったことがあるのですが、丑の時にお参りすればよかったなあw、僕がお参りをしたときは昼間でしたから。そんな話「ダークサイドミステリー」見るまで知らなかった。

そこで女がかけた願いとは、「恨みを晴らしたい、生きながら鬼にしてください」。怖いですね。普通、夫が浮気がバレた時点で奥さんは鬼になると思いますがw、わざわざ鬼になりたいと神様に願を書けるのだから本格的ですね。しかも、夫への恨みを晴らしたいと。女は神のお告げを聞き、まずは髪をツノの形に作り、そして21日間、宇治川に入り、水に浸かり続けたといいます。すごいですね。すると、女は願い通り鬼になったのです。その名を橋姫。

橋姫はすぐさま夫の元へ。夫の命を奪おうとしたら、突如現れた神々に邪魔されてしまいます。逃げ出した橋姫は、宇治川の流れに姿を消してしまうのですね。最後に残した言葉は、

「私を弔ってほしい」

男の身勝手な振る舞いに鬼になった橋姫の悲しい物語です。

また、元々丑の刻参りは願いを叶えるための純粋な行いでしたが、この橋姫以来、相手を呪うための儀式みたいになってしまったのですね。

*この記事は「ダークサイドミステリー」を参考にして書きました。

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