(この記事は2022年11月3日に加筆修正をしました)

今日は1929年の暗黒の金曜日でお金儲けをした2人の人物の話です。ジョセフ・ケネディとジェシー・リバモアの二人ですです。2人の話をする前に、暗黒の金曜日の話を。それは1929年の10月24日の出来事です。その日、株価は大暴落。アメリカの経済はうんと悪くなり、それは世界中に波及しました。そして日本とドイツにファシズムが台頭するようになったほど。

とはいえ暗黒の金曜日が起きる前まではアメリカの景気はものすごく良かったのです。いわゆる大量消費時代といわれた時代で、ものが実に売れた時代でした。そして、株を買うこともブームになったのですそれまで株は一部の投資家しかやらなかったのですが、銀行が取引仲介所、今でいう証券会社を作ったことで、株の知識がない人でも気楽に株をやるようになったのです。中でも人気だったのが、ゼネラルモーターズ、RCA、トーマスエジソンが設立したゼネラル・エレクトリックなどです。

借金をしてまで株を買う人がいたほど。いわゆる信用買いと言いまして、1割程度の証拠金を払えば、残りは借金で、その十倍もの株を買うことができたのです。株価が上がれば大儲け、株価が下がれば追加の証拠金を払わなくてはならないシステムです。僕は株のことはやったことないから詳しくないのですが、株を買うのにエライ金がかかるみたいですよ。例えばA社が一株千円だったとします。しかし、実際にA社の株を一株単位で買うことはできない、つまり千円でA社の株を買うことができず、100株単位じゃないと買えないのですね。A社であれば100✖️1000で最低10万円用意しないとA社の株が買えないのです。人気のゼネラルモーターズの株券なんて相当高かったのではないかと。ましてや少額で株を買えるミニ株なんてなかった時代ですからね。まさにギャンブルですね。

ちなみに経済学者のケインズはこの暗黒の金曜日について次のように述べております。


グローバルでかつ個人主義的な資本主義は成功ではなかった。それは知的でなく、美しくなく、公正でもなく道徳的でもない、そして善をもたらさない。だが、それ以外に何があるかと思うとき非常に困惑する。


これ以降、失業者も増え、失業者たちやホームレスが郊外に掘建小屋をたて、集落みたいなものを形成していたのです。その集落を時の大統領フーバーへの恨みを込めて、フーバー村と呼ばれました。みんなが大変な思いをする中で、ケネディとリバモアだけは、この金曜日をうまく切り抜け大儲けできたのです。

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ジョセフ・ケネディ

ジョセフ・ケネディとは、あのケネディ大統領のお父さん。顔写真みたけれど、やはり似てるわwこの人の本職は実業家なのですが、相場師もやっていたようです。もうけるのはかんたんだ。法律で禁止される前にやれば良い。」というのが彼のポリシーで、インサイダーー取引とか、株価操作とかアクドイことをしたようです。そのためジョセフ・ケネディのことをうらんでいた人も少なくなかったそうです。

また、ケネディは「最高値まで頑張るのは、バカものだけさ。私は今こうして健在だ。私は買ったのだ。マヌケ者どもが残したカケラを拾うのを待っている」とうそぶいたのですね。ケネディの投資のセンスはすごいものがありました。1926年にフロリダに巨大なハリケーンが襲い、リゾート地で有名だったフロリダはメチャクチャになったのです。そのためフロリダで土地を持っていた投資家たちは次々と土地を手放しました。フロリダの土地の値段は下がるいっぽう。土地の買い手もつかず、下手すりゃフロリダは過疎地域になる。そんな状況の中、ケネディはフロリダの土地を片っ端から安く手に入れたのです。7年後、なんと政府がフロリダを復興させるべく多額の投資をしたのです。リゾート地としてのフロリダが蘇ってきたのです。それで土地の値段がグンと上がるとケネディは全ての土地を売ったのです。土地を安く買って、高くなったときにすぐに売る。ケネディの先を見る才覚はすごいものがあります。

また、ケネディは、いづれ株が大暴落を起こすことを事前にわかっていたそうですね。ジョセフ・ケネディはくつみがきの少年が「石油株や鉄道株を買いなさい。天井知らずだよって、聞いたよ。」ってケネディに話したのです。それを知ったケネディは、こんな少年まで株の話をするとは、この景気も終わりだと思って、持っている株をいち早く全て売ったのですね。


ジェシー・リバモア

ジェシー・リバモアの武器はその情報力です。各国の株の相場の情報を随分集めていて、さらに「空売り」をして大もうけをしたそうです。僕は株のことはよく知らないのですが、株の値が下がったところで「空売り」をすると儲かるそうですね。ちなみに、暗黒の金曜日の大暴落のときも、この人は大変な大もうけをしたそうです。なんでも1億ドル以上の利益をあげたとか。リバモアの持つ情報力のおかげで、事前に株が大暴落することを予知できたのですね。

しかし、暗黒の金曜日を発端とする大不況は二人の人物の明暗をわけました。ケネディのほうは、相場の世界から身をひき、実業界に専念しました。さらに、ジョセフ・ケネディは政界にまで進出しました。ルーズベルトが大統領に就任した時、ケネディはなんと証券取引委員会の委員長になったのです。ケネディがそんな証券の要職に着くなんて、って懸念する声も非常に多かったのです。それに対し、ルーズベルトとは言いました。「株式市場の泥棒を捕まえるには、泥棒が必要なんだ。」って。ものすごい理屈ですが、それくらい株式市場ではワルがいっぱいいて、そうしたワルの暗躍が暗黒の金曜日を招いたのだとルーズベルトは考えたのかもしれませんね。つまりワルの気持ちを理解できるのは、やはりワルじゃないといけないってことでしょう。

さらにケネディは政界を引退し、戦後、息子を政治家にすべく動き回ったのです。息子を政治家にすべく多額のお金をばら撒いたとか。ケネディの従兄は彼の成功の秘訣は、「一に金、二に金、三に金」だと語っております。ケネディは、まさに勝ちっぱなしの人生でした。ところですが、その彼のツケはケネディ大統領ら子供達の代に回ってくるのですが・・・

一方のリバモアは1934年ごろに破産をし、一人さびしくピストル自殺をしました。リバモアの残した遺書にはこのように書かれていたといいます。「どうしようもない。事態は悪くなるばかりだ。私は戦うのに疲れた。もう続けていけない。私にはこれしか方法がない。私は君の愛には値しない。私は失敗者だ。本当にすまないが私にはこれしか方法がないのだ」と・・・ちなみに彼が死に際して残した信託と現金は500万ドルにのぼっていたといいます。

最後にケネディの言葉を引用します。

ギャンブルの背後にある主要な動機は大抵の場合、それをもたらす興奮であると思う。賭博師はもちろん勝つことを欲しているが、たとえ負けても結構楽しんでいる。私の場合は、勝ちたいという要求が陶器の背後にある原動力である。



※ 参考 

「その時歴史がうごいた」
「新・映像の世紀」
「映像の世紀 バタフライエフェクト」
ウィキペディア


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