戦争責任者を連合国に引き渡すは、真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして収めるわけにはいかないだろうか。
この昭和天皇のセリフは、終戦後の8月29日に側近の木戸幸一に語られたものです。日本にマッカーサーが上陸し、いよいよ戦争責任者の処罰が執り行われようとしている、まさにその時です。昭和天皇はこのたびの戦争の責任を強く感じていたのですね。
「貴下は私について思うままになされてよい。貴下は私を絞首刑にしてもよい。しかし、私の国民を飢えさせないでほしい。」
「私は国民が戦争遂行にああって政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねるためにお訪ねした」
いづれも昭和20年の9月に昭和天皇がマッカーサーに語った言葉です。昭和天皇がマッカーサーのもとに赴き会談を行いました。開戦のことと、それからポツダム宣言の履行の確認したのです。で、マッカーサーは昭和天皇はきっと言い訳の一つや二つをいうか、命乞いをするものだとばかり思っていたのです。それが、昭和天皇は言い訳どころか、国民のことを思い、自らの責任を述べたのです。
この天皇のお言葉にマッカーサーはいたく感動。「責任を受けようとするこの男気に満ちた態度は私の骨の髄まで揺り動かした。天皇が個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じた。」。
会見は予定より大幅にオーバーしたといいます。会見が終わって、マッカーサーは大使館の玄関まで天皇を見送ったといいます。
しかし、連合国側には天皇を裁判にかけ、戦犯として裁くべきだという意見も根強かったのです。マッカーサーは考えました。天皇を告発したら、日本人に大きな衝撃を与え、天皇制の崩壊はそのまま日本の崩壊につながると考えましたし、もしそんなことをすれば日本各地でゲリラ戦が起こる恐れもあると。それで、マッカーサーはアイゼンハワー陸軍参謀長官に「過去10年間、天皇が日本の政治決定に関与した明白な証拠は見つからない」と伝え、天皇は無実であるとしました。
マッカーサーは天皇を無実にするために色々と工作をしたといいます。
- 人間宣言をさせることで、新たな天皇像を作りあげ、天皇の独裁者のイメージを払拭しようとした。
- マッカーサーはキーナン首席検事とともに、天皇を裁かれないことを前提に裁判を進めるよう他国に説得をし、同意を求めた。
「人間宣言」とは、1946年(昭和21)の元旦の新聞紙上で、昭和天皇の詔書が発表し、天皇が自ら人格性を否定したこと。日本人は衝撃を受けましたが、これにより天皇が独裁者であるというイメージは崩れたのですね。
1946年(昭和21)10月16日にマッカーサーと天皇の第3回目の会見が行われました。その時は大日本帝国憲法に変わる新しい憲法が作られている時期でした。新憲法は、民主化、封建社会の否定、そして戦争放棄が盛り込まれておりました。特に戦争放棄には天皇も賛同されたといいます。
昭和天皇は
「日本国民は戦争放棄の実現を目指してその理想に忠実でありたいと思う」
と語られました。するとマッカーサーは「戦争を放棄したゆえに道徳的な評価を受けていて、その面で国際社会のリーダーになりうる」と昭和天皇を評価したのです。
ちなみに、日本国憲法が1946年(昭和21)11月3日に公布され、翌年の1947年(昭和22)5月3日に施行されました。
天皇とマッカーサーの会談は、1945年の9月27日から、1951年(昭和26)4月15日まで11回行われました。回を重ねることに、天皇とマッカーサーの信頼は深まり。マッカーサーも当初は皇帝(エンペラー)と呼んでいたのが、次第に陛下と呼ぶようになったといいます。ただし、マッカーサーは一度も皇居に訪れていないのですね・・・
そして1951年の4月16日、マッカーサーは日本を後にしまいた。その時、日本人20数万人が日の丸と星条旗を持って、マッカーサーの帰りを見守ったといいます。
のちにマッカーサーは「天皇は日本の精神的復活に大きな役割を演じ、占領の成功は天皇の誠実な協力と影響力に負うところが極めて大きかった」と語っておりました。天皇の協力がなかったら、占領政策は失敗していたかもしれない。また、マッカーサーは天皇個人のことを「天皇は私が話し合ったほとんどの日本人よりも民主的な考え方をしっかり身につけていた」と高く評価。
昭和天皇も
「東洋の思想にも通じているあのような人(マッカーサーの事)が日本に来たことが、国のためにも良かった。一度約束をしたことは必ず守る信義の厚い人だ。元帥としての会見は今思い出しても思い出深い」
とマッカーサーを評されました。確かにマッカーサーではなく、スターリンや毛沢東が日本に来ていたら大変なことになっていましたね。毛沢東もスターリンも独裁的な手法で国民を苦しめたわけですから。
*この記事は「にっぽん!歴史鑑定」を参考にして書きました。また、「図説マッカーサー」も参考にしました。
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