昭和天皇は軍部の暴走を止められなかった要因の一つとして日本人の国民性をあげていました。
え?「付和雷同」の意味が分からないって?僕もうまく説明できないのですが、意味は、自分にしっかりした考えがなく、むやみに他人の意見に同調すること。ってところでしょうか。もちろん、自分の意見も持たず戦争にやみくもに賛同した人間も多かったことは事実です。ただ、戦時中にも結構いたのですよ、戦争をやめろって人が。議員の斎藤隆夫とか安倍晋三元総理の祖父である安倍寛とか。斎藤隆夫なんて軍部の妨害を受けながらも二位当選しているし、安倍寛もギリギリながら当選している。この選挙結果をみるにつけ、当時の日本人が皆が皆戦争に賛同するどころか、軍部のやり方に不満を持って、反軍部、反大政翼賛会の議員に投票する人も結構いたのですよ。だから日本国民皆が皆、付和雷同したわけじゃない。
しかし、そうした意見を封じてしまったのが、当時の軍部。当時の選挙なんてひどいもので、戦争反対を訴えた議員は露骨に選挙妨害をされたり、大政翼賛会から公認をもらえなかったり。そして戦争に反対する人間を憲兵をつかって弾圧したのですから。また言論人や文化人だって戦争に反対する人間には仕事がもらえなかったといいます。一方のアメリカは戦争に反対する人間でも、何とか飯は食えたといいます。そんな話を市川房江さんをされて嘆いていたっけ。逆に戦争を賛美したり政府をマンセーするような言論人はウハウハだったといいます。代表的なのは火野葦平。火野葦平は戦後、自らの戦争責任を悔い自殺をするのですが・・・・ちなみに俳優の火野正平さんという方がいて、火野正平さんと火野葦平間違いやすいですが、まったく二人は血縁関係などなく、赤の他人同士です。
火野は中国の戦地に赴き、戦争マンセーの小説を書いたのです。それが彼の代表作『麦と兵隊』。火野は「愛する祖国の万歳を声の続く限り絶叫して死にたいと思った」と書いたほど。まさに今でいうウヨ作家。火野の成功を受けて結成されたのが従軍ペン部隊。林芙美子ら人気作家が名を連ねておりました。これは中国の戦地に赴いては、日本軍のちょうちん記事とか文章を書いていたのです。戦争で仕事が減っていた作家たちにとって、これはありがたい話だったのです。ペン部隊の作家たちは国から支度金として国から700円、今の価値でおよそ200万円支給されたというから驚きですね。危険な戦地に行くとは言え、戦争マンセー記事や小説を書いただけで200万もらえたのです。
そういえば、9・11以降、アメリカは異様な雰囲気で、イスラムやアルカイダを戦争でぶっ潰せみたいな雰囲気だったそうですが、そんな中でもマイケル・ムーア監督はブッシュ大統領を批判し、戦争の愚かさを言い続けましたが、それで彼が干されることはなかったもんなあ。かたや日本は、落語家の桂歌丸さんが笑点で政治家の批判をたびたび繰り返したら、ある政治家から「あんまり批判するな」みたいに圧をかけられたといいますからね、民主主義の今でもこの調子だから、戦時中なんてもっとでしょう。
誰だって自分の命が惜しい。国民性というより、当時の政府の弾圧や締め付けがひどかった面が大きいと思います。
また「宗教心を培って確固不動の信念を養う必要がある」という天皇の御言葉。統一教会のことが問題になっている今では物議を醸しだしそうな発言ですね。信仰自体が悪いというより、家族の崩壊を招くほどはまり込んだり、他人まで巻き添えにして迷惑をかけたりするのが問題なんですよね。信仰を通して、心のケアになったり支えになったりする場合もありますし。仏教にしてもキリスト教にしてもも本来は哲学なんですよね。それを運用する人間の責任であり、また、それを悪用するのが問題なのであって。
※ 参考文献
また、この記事は『映像の世紀 バタフライ』を参考にして書きました。
先ず我が国の国民性について思うことは、付和雷同が多いことで、これは大いに改善の要があるとかんがえる。(略)かように国民性に落ち着きがないことが、戦争防止の困難であった一つの要因であった。将来この欠点を矯正するには、どうしても国民の教養を高め、また宗教心を培って確固不動の信念を養う必要があると思う。
え?「付和雷同」の意味が分からないって?僕もうまく説明できないのですが、意味は、自分にしっかりした考えがなく、むやみに他人の意見に同調すること。ってところでしょうか。もちろん、自分の意見も持たず戦争にやみくもに賛同した人間も多かったことは事実です。ただ、戦時中にも結構いたのですよ、戦争をやめろって人が。議員の斎藤隆夫とか安倍晋三元総理の祖父である安倍寛とか。斎藤隆夫なんて軍部の妨害を受けながらも二位当選しているし、安倍寛もギリギリながら当選している。この選挙結果をみるにつけ、当時の日本人が皆が皆戦争に賛同するどころか、軍部のやり方に不満を持って、反軍部、反大政翼賛会の議員に投票する人も結構いたのですよ。だから日本国民皆が皆、付和雷同したわけじゃない。
しかし、そうした意見を封じてしまったのが、当時の軍部。当時の選挙なんてひどいもので、戦争反対を訴えた議員は露骨に選挙妨害をされたり、大政翼賛会から公認をもらえなかったり。そして戦争に反対する人間を憲兵をつかって弾圧したのですから。また言論人や文化人だって戦争に反対する人間には仕事がもらえなかったといいます。一方のアメリカは戦争に反対する人間でも、何とか飯は食えたといいます。そんな話を市川房江さんをされて嘆いていたっけ。逆に戦争を賛美したり政府をマンセーするような言論人はウハウハだったといいます。代表的なのは火野葦平。火野葦平は戦後、自らの戦争責任を悔い自殺をするのですが・・・・ちなみに俳優の火野正平さんという方がいて、火野正平さんと火野葦平間違いやすいですが、まったく二人は血縁関係などなく、赤の他人同士です。
火野は中国の戦地に赴き、戦争マンセーの小説を書いたのです。それが彼の代表作『麦と兵隊』。火野は「愛する祖国の万歳を声の続く限り絶叫して死にたいと思った」と書いたほど。まさに今でいうウヨ作家。火野の成功を受けて結成されたのが従軍ペン部隊。林芙美子ら人気作家が名を連ねておりました。これは中国の戦地に赴いては、日本軍のちょうちん記事とか文章を書いていたのです。戦争で仕事が減っていた作家たちにとって、これはありがたい話だったのです。ペン部隊の作家たちは国から支度金として国から700円、今の価値でおよそ200万円支給されたというから驚きですね。危険な戦地に行くとは言え、戦争マンセー記事や小説を書いただけで200万もらえたのです。
そういえば、9・11以降、アメリカは異様な雰囲気で、イスラムやアルカイダを戦争でぶっ潰せみたいな雰囲気だったそうですが、そんな中でもマイケル・ムーア監督はブッシュ大統領を批判し、戦争の愚かさを言い続けましたが、それで彼が干されることはなかったもんなあ。かたや日本は、落語家の桂歌丸さんが笑点で政治家の批判をたびたび繰り返したら、ある政治家から「あんまり批判するな」みたいに圧をかけられたといいますからね、民主主義の今でもこの調子だから、戦時中なんてもっとでしょう。
誰だって自分の命が惜しい。国民性というより、当時の政府の弾圧や締め付けがひどかった面が大きいと思います。
また「宗教心を培って確固不動の信念を養う必要がある」という天皇の御言葉。統一教会のことが問題になっている今では物議を醸しだしそうな発言ですね。信仰自体が悪いというより、家族の崩壊を招くほどはまり込んだり、他人まで巻き添えにして迷惑をかけたりするのが問題なんですよね。信仰を通して、心のケアになったり支えになったりする場合もありますし。仏教にしてもキリスト教にしてもも本来は哲学なんですよね。それを運用する人間の責任であり、また、それを悪用するのが問題なのであって。
※ 参考文献
また、この記事は『映像の世紀 バタフライ』を参考にして書きました。
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