事件は此上拡大せざる様努力すとの政府方針は誠に結構なり。充分努力するように



この発言は、張作霖爆撃事件を受け、関東軍が軍事行動を開始し、満州を占領し始めたことを受けての発言。関東軍の暴走に、当時の若槻礼次郎内閣は手を焼いていたのですね。若槻は、関東軍の不拡大方針を出したのですが、軍部は聞き入れなかったのです。軍部は独断で満州を攻略し、結局、政府は事後容認するようになったのですね。本来なら、関東軍は軍法会議にかけ、責任者を処罰するのが正しいのですが、それをしなかった。ガンダムに例えれば、カツの勝手な行動をブライトさんが粛清するどころか、「カツの行動はやむを得ない」って認めたようなもの。今じゃ考えられませんね。ともかく、昭和天皇陛下は、関東軍のやり方を快く思っておらず、若槻内閣の不拡大方針を支持したのですね。

ところが、どうしたことか天皇陛下は関東軍の行動を次第に容認するようになったのです。一体、天皇陛下に何かが起こったのか?

満州付近に張学良軍隊再組織成れば、事件の拡大はやむを得ざるべきか。し必要なら、余は事件の拡大に同意するも可なり。


軍部に脅されて、このような発言をした可能性もありますが、昭和天皇は良くも悪くもマキャベリストなところがありました。満州における権益を守るためにも関東軍の行動は決して褒められたものではないが、やむを得ないって心境に変わったのですね。父の仇を打つべく張学良が集めた軍隊が集めていたのですね。そのためには軍隊を使ってでも制圧する必要があるって天皇陛下はおもったのでしょう。この時、天皇陛下は30歳。マキャベリストでもありましたが、血気盛んなお年頃。もし、昭和天皇が、若槻内閣の不拡大方針を支持し続けたら?歴史にIFはありませんが、歴史が変わっていた可能性があります。もっとも、天皇陛下が不拡大方針を貫いたところで、関東軍がいうことを聞くかどうか。

そして満州事変は拡大し、1932年2月までに関東軍は満州の主要都市をすべて制圧。欲付き翌月の3月には、満州国が成立し、9月には日本が「日満議定書」でこれを承認。そして翌年の2月に、昭和天皇はまたしても軍部に悩まされることになります。満州国と中国との国境を画定するため熱河ねっか作戦を検討したのですね。これには昭和天皇も「いいんじゃねえ」って考えて、万里の長城を超えない条件で裁可したのです。それは1933年2月4日のことでした。
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(万里の長城。実際に私が中国で撮ったんじゃありませんw東武ワールドスクウェアで撮影しました)


ところが、2月8日になって斎藤実首相が、「我が国は国際連盟との関係上、熱河作戦は同意できません。裁可を取り消してください」と言ってきたのです。昭和皇はあわてて、さきの裁可を取り消そうとしたのですが、後のまつり。陸軍は裁可をもらったということを理由にそれを拒否。この時に昭和天皇が斎藤首相とよく話し合ったうえで、熱河作戦のことを検討すればよかったのですが、時はすでに遅し。昭和天皇の痛恨のミスでした。 昭和天皇はこのことを大変後悔したとか。統帥権を行使し、この熱河作戦を中止を命令しようと考えましたが、このようなことをすれば政争の原因にもなりかねず危険でした。そのような命令をしたところで軍部は「天皇陛下、あなたは一度熱河作戦を裁可したじゃないですか。それをいきなり中止せよとはどういうことですか?それは、誰かにそそのかされたのですか」なんていうのは目に見えております。そうなると槍玉にあがるのが時の首相の斎藤首相ですね。仕方なく天皇陛下は12日、こう言いました。

参謀本部に、熱河作戦の結果、万里長城を越えることは絶対に慎むべき旨注意し、之を聴かざれば熱河作戦中止を命ぜんとす。


しかし、関東軍は「そんなの関係ねえ、天皇のいうことなんて聞いていられるか」なんていわんばかりに、3月上旬には長城に達し、その後、何度も長城を越えてしまったのですね。さすがの中国側もこれにはまいってしまい、塘沽停戦協定タンクーテイセンキョウテイを5月31日に結んだのです。これで満州事変はおわり、満州国誕生につながり、日本の勢力圏がひろがったのですが、それと同時に、日本は国際的信用を失ってしまうのですね。閑話休題、10年位前の話ですが、僕はある国会議員の秘書さんとお話したことがありまして、その時秘書さんが「日本が国際的信用を失うことは大変恐ろしいことだ」っておっしゃっておりました。実際、国際的信用を失った結果が、あの無残な敗戦ですから。目先の損得より、信用のほうが大事ってことでしょうね。

昭和天皇にとっても、このことは苦い経験で、「軍部は何を言っても、私の言うことを聞いてくれないか」って思うようになられたのですね・・・戦時中、天皇陛下が度々、戦争の結果を賛美する発言をされ、そのことを非難する人も少なくありません。けれど、天皇が戦争反対って言ったところで、軍部が聞いてくれなければ、同じこと。その辺のお話は後程しますが、そのことで天皇を軍国主義者だの、クズだのって断ずるのは早いと思います。なにせ、軍部はロボットではなく、生身の人間です。まして、当時の軍部は野心家にして天皇を内心馬鹿にしていているような連中。命令に背くとなんて朝飯前。まさに「ラピュタ」に出てくるムスカのような人間の巣窟。こんな連中を相手に天皇陛下の苦労は相当なものだったと思います。それから斎藤実のこともでてきましたが、彼も2・26事件で暗殺されてしまうのですね。斎藤は、天皇陛下に熱河作戦中止を訴えるほどの国際協調派でしたが、そのことで軍部から疎まれていたからね・・・。

参考文献