21世紀最初の2001年。あの9・11。もう20年以上前の話ですが、本当に痛ましい事件でした。世界貿易センターが崩壊するシーンは忘れられません。僕はあの時、21世紀を迎えるにあたって、すごく不安になりましたもの。あれから湾岸戦争やら、イラク戦争、それからコロナ、そしてウクライナで戦争。本当に世界はどうなってしまうのだろうと思いました。そんな9・11で一人の若者が英雄的な行動を起こしたのです。彼は赤いバンダナをつけておりました。赤って本当に象徴的な色ですよね。赤っていうと僕の世代なら赤い彗星のシャアを連想してしまいますw、世代によっては共産主義者を連想するかもしれません。

世界貿易センターの東棟に一機目が激突してから10数分後、今度は南棟に二機目が激突。その南棟に赤いバンダナの男がいました。ウェルズ・クラウザー。当時24歳。南棟にある投資銀行に勤務しておりました。飛行機が激突したフロアー(78階あたり)よりも上の104階にいたため、ウェルズは無事でした。クラウザーはすぐ母親に電話をしました。「母さん、ウェルズだ。僕は無事だよ」と。ウェルズはすぐに非常階段を下りました。それからウェルズがとった行動がすごかった。飛行機がぶつかった78階にたどり着いた時でした。下りるのをやめたのです。炎のなか、取り残された人を助けるためでした。赤いバンダナで顔を覆って。取り残された人たちに、ウェルズは「向こうはもうだめだ、こっちだ!」と叫び、またやせた黒人の女性も背負っていたといいます。その女性を肩から降ろすと、「僕は上に戻る」とウェルズは言ったといいます。なんと、ウェルズは炎の中を、まだ取り残された人を救おうとしたのです。ウェルズに助けられたと証言する人は少なくとも10人はいたといいます。激突から56分後、南棟は崩壊。


世界貿易センター崩壊から半年後、ウェルズ・クラウザーの遺体が見つかったのです。それだけ発見が遅れたのが、ガレキの一番下に彼の遺体が埋もれてしまったから。つまり彼はビルの一階にいたことになります。その気になれば逃げることもできたのに。これは彼が一階と上層階を何度か往復し、人々を救おうとしたからでしょう。亡くなる最後まで救出活動をしたのです。

ウェルズの父親は消防隊員で、幼いウェルズはそんな父を尊敬しておりました。赤いバンダナは父からもらったものでした。ウェルズはそのバンダナを宝物にしていたのですね。ウェルズはきっと父に倣って人々を助けたいと思ったのでしょうね。

そんなウェルズの勇気ある行動に感激し消防隊員を目指している若者もいるといいます。


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(世界貿易センターの模型。東武ワールドスクウェアで撮影)






※ おまけ
世界貿易センターの北棟に一機目が突撃しましたが、北棟にいた人々はパニックに陥ることなく、落ち着いて避難を始めていたといいます。非常階段では人々は慌てることなく、悠然と譲り合いながら階段を下りていたといいます。アメリカは人種差別があるといわれておりますが、この時は誰も相手の肌の色や宗教を考えようとはしなかったといいます。助け合いの精神ですね。そして、みんなの恐怖を鎮めようと『ゴッド・ブレス・アメリカ』を歌う男性もいたといいます。その『ゴッド・ブレス・アメリカ』をどうぞ。



※この記事は『映像の世紀』を参考にして書きました。