大奥とは、江戸城に存在した将軍家の子女や正室・奥女中(御殿女中)たちの居所のことです。大奥という表現は狭い意味では江戸城本丸大奥のみを指すが、広い意味では西丸大奥・二丸大奥も含みます。大奥の女たちは奥女中といい、奥女中たちは将軍や正室の身の回りの世話をする、はたまた将軍に気に入れられば、お部屋様になれます。奥女中のほとんどが旗本の娘だったが、お部屋様となれば実家一門も高位高禄に引き立てられるため、出世の手段として美しい娘を自家の養女にして将軍家に奉公に出す旗本もあったのです。そのため大奥は欲望と嫉妬が渦巻く女の園でした。その大奥のすさまじさはドラマでもおなじみです。奥女中たちは何人もおりましたが、細かくランク分けされており、ピラミッド式になっており、下位の身分の者は将軍や正室にあうことも許されず下働きばかりさせられますが、上の身分になると将軍や正室に会うことができます。その奥女中たちのトップが御年寄。御年寄になると老中と同クラス、下手な大名よりも力を持つことができたのです。

大奥で働く奥女中たちは給与をもらっておりました。基本給は年2回払われる切米(1石=一両にあたります)。大奥トップの御年寄となると基本給は50石。いまの価値に直すと500万円。衣装代や化粧代も別途支給。さらに扶持ふちとよばれる下働きの雇用のためのお金、それから炭、薪、油などの光熱費も支給されたし、みそや塩といった食料品の購入費も銀で支払われました。これらのものをすべて合わせると、給料総額は御年寄の場合は今の金額で2千万円以上ももらっていたのですね。すごいですね。御年寄は老中に匹敵するほどの権力を持つとはいえ、いわゆるがこんなにもらっていいのって思うくらい。

また御年寄クラスになると江戸の町に拝領屋敷というものを持つことができて、そこに町人を住まわせ家賃をとることができました。つまりアパートの管理人さんも御年寄はこなしていて、その家賃収入もあったのです。大奥に30年以上勤めると今の年金にあたる手当ももらえ、老後の生活も困らなかったといいます。ほかにも大奥の女中全員に年3回(年始、中元、歳暮)にはご祝儀、今でいう臨時ボーナスがもらえたのです。この大奥たちに支払われるボーナスだけでも年間3億円だというから驚きです。逆に言えば、幕府の財政を圧迫していた面もあるのですね。特に徳川家斉の時代は大奥がもっとも贅沢三昧をしていましたから、その出費も相当だったのではないかと。

12月25日すぎると諸大名や江戸の商人たちから贈られる付け届けも届くのですね。これはワイロにも思えますが、武家社会では年の暮れの付け届けは、今のお歳暮みたいな感じだったのですね。御年寄クラスになると相当付け届けをもらってました。付け届けをいくらもらっても一人では持て余してしまうので、部下たちに分け与えたり、そういった贈り物を現金化してくれる商人が大奥に来てくれたりしていたので、せっかくもらった付け届けを捨てるなんてことはなかったと思います。

また冬になると雪の降る日に雪中御投物せっちゅうおなげものというイベントも大奥で行われました。これは御年寄以下、上級の奥女中たちが中庭にて菓子や反物など、お歳暮のあまりものを庭に投げたのです。これを必死に拾ったのが最下級の女中、御末おすえたち。放り投げられる高価な品物になりふりかまわず御末たちは飛びつくのです。御末たちはお風呂掃除だとかきつい仕事ばかりで給料も安かったので御末たちは、このイベントを心待ちをしていたのですね。