1945年8月15日。この日に戦争が終わりました。日本は神国だ、戦争に負けぬと誰しもが信じたのですね。しかし、実際は違った。結局、日本は負けてしまい、本土は焼け野原になりました。住む家を失った人もたくさんいたのですね。僕の祖父母もそうでした。

人々は敗戦国となった現実に打ちのめされ、食糧不足は深刻で毎日のように餓死者ガシシャが出たといいます。まさに『火垂ホタるの墓』の世界ですね。戦災孤児コジも12万人以上、街頭ガイトウには浮浪児フロウジもあふれたといいます。僕の母は昭和17年生まれですが、自分が小学生のころ、戦争で両親ともに亡くなった同級生が何人かいたと話してましたっけ。

そんなひどい状況の中で、連合国軍の兵士がある日本人に話しかけたところ、その日本人はガソリンに火がついたようにまくし立てたのです。それは戦争へのうらみ言。

訳もわからず、さんざ引き回され、訳もわからぬうちに、丸裸マルハダカで放り出され、どうしていいかもわからない。


そして、東條英機のことも呼び捨てにして、頭ごなしに批判したと。同じことを考えている人は少なくなかったことでしょう。実際、戦時中に兵隊たちが「いっそのこと、トルーマンと東條英機を狭い部屋に押し込んで、ケンカさせよう。そして俺ら兵隊たちがそれを高みの見物するのだ」と言ったくらい。今でこそ東條英機を神格化する人もいますが、戦時中や戦後まもない頃は本当に評判悪かったのですよ。

また、戦死した男たちに代わって女たちは働いたのですね。戦争で家族や財産を失って生活に困ってやむを得なく売春に従事することを余儀ヨギなくされた女性が多かったのです。在日米軍将兵を相手にした、いわゆるパンパンです。しかし、パンパン狩りといって米兵にひどいことをされた者も少なくなかったと言います。映画「人間の証明」でも米兵に女性が暴行され子供まで生まされた描写が出てきます。松本清張の『ゼロの焦点』でもパンパンが出てくるそうですね。

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そんな女性たちの心情を歌ったのが、「星の流れに」。昭和22年(1947)に作られました。この曲を作詞したのは清水みのる。作曲は利根一郎。清水は、第二次世界大戦が終戦して間もない頃、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に載った女性の手記を読んだそうです。もと従軍看護婦ジュウグンカンゴフ」だった彼女は、奉天ホウテンから東京に帰ってきたが、焼け野原で家族もすべて失われたため、「夜の女」として生きるしかないわが身をなげいていたといいます。清水は、戦争への怒りや、やるせない気持ちを歌にしたのです。こみ上げてくるいきどおりをたたきつけて、戦争への告発コクハツ歌を徹夜で作詞し、作曲の利根は上野の地下道や公園を見回りながら作曲したと言います。

初め、この曲を淡谷のり子に歌ってもらいたかったようですが、彼女は拒否。、「夜の女の仲間に見られるようなパンパン歌謡は歌いたくない」と。そこで、会社は同じくコロムビアから移籍していた菊池章子に吹き込みを依頼したと言います。彼女は歌の心をよく把握はあくし、戦争の犠牲ギセイになった女の無限のかなしみを切々とした感覚で歌い上げたのです。菊池章子の淡々とした歌い方がかえって当時の女性たちの苦しみが伝わってくるのですね。

完成した際の題名は『こんな女に誰がした』であったそうです。ところがGHQから「日本人の反米感情をあおるおそれがある」とクレームがつき、題名を『星の流れに』と変更して発売となったそうです。確かに、女性たちが苦労する羽目になったのは戦時中の日本政府にも責任があるかもしれないが、空爆を行ったアメリカの責任大ですからね。

ともあれ『星の流れに』は大ヒット。それこそ大人から子供まで口ずさんだそうです。この曲を聞いて自殺を思いとどまった人もいたといいます。歌の力はすごいですね。



※この記事はウィキペディアを参考にして書きました。