津田は裁判にかけられます。大津事件の翌日の5月12日。総理大臣の松方正義は、津田を早急に死刑に処し、ロシアの感情を鎮めようとしたのです。しかしこの事件が起こる9年前に施行された刑法292条には「あらかじめ計画して殺人した者は死刑だが、未遂に終わった場合は、死刑より軽い刑」だと決められて居たのです。津田は計画的ではなく、衝動的である上に、未遂に終わったから、重くても無期懲役だろうって。

そこで松方は皇族に対する罪、刑法116条をニコライにも適用し、津田を処刑にしようと主張。「天皇とか皇后とか、皇太子など皇族に危害を与えたものは処刑」と定められていたのです。ニコライは日本の皇族ではないが、刑法116条には「日本の」と明記されていないし、ニコライは外国の皇太子なのだし、拡大解釈できるだろうと松方は考えました。

しかし、それを大審院長の児島惟謙は反発。津田を一般人に危害を加えた罪で裁くべきと主張。草案の段階では刑法116条を適用できるのは、あくまで日本の天皇や皇太子に危害を与えたときだけだと。だから、ニコライは適用外だと。それに松方は反発、津田は死刑だと。しかし、児島は一切、松方の言い分を拒否。それで松方は司法大臣の山田顕義らに担当裁判員を説得させ、七人中四人を政府の意向に従わせたと言います。すると児島は政府側に回った二人の裁判員に対し、考え直すように説得。児島は内閣の圧力に屈せず、正しい判決をすべきと。そして二人の裁判員は児島の熱意と公正さに心打たれ、児島側についたと。そして津田は無期懲役を言い渡されたと言います。こうした児島の姿勢は三権分立の意識を広く知らしめたのです。ロシアのアレクサンドルもこの判決に文句をいうどころか、日本が決めたことだから、我々がどうこういう立場ではないと認めていたのですね。

*この記事は「にっぽん!歴史鑑定」を参考にして書きました。