ヒトラー並びにナチスの経済政策は本当はあまり行っていなかったのです。失業者の減少だって実際はそんなにうまく行っていない。実態のない経済政策は、いつかはまやかしだったことがバレてしまう。それでナチスがやったことはスケープゴートを見つけて迫害することです。そうやって国民の不満を自分達ではなくスケープゴートに向けさせたのです。独裁国家がよくやる手段です。ナチスがやったのは、ユダヤ人、障害者、ロマなど。

とりわけユダヤ人には厳しかったのです。ユダヤ人は当時のドイツで銀行員だとか、弁護士だとか医師だとかいわゆる勝ち組だったのですね。だから恨まれていたのでしょうね。また第一次世界大戦のドイツの敗北もユダヤ人のせいだと当時のドイツでは信じられていたのです。全くの誤解ですが、世の中は誤解が誤解を生む、誤解が悲劇を生むことはよくあることですから。

さらにユダヤ人は古くから迫害され、それこそ魔女狩りの時代からありました。そういう歴史的背景もあったのですね。

ナチスは銀行、弁護士、医療などの職業からユダヤ人を追放し、商業の権利を奪い、ドイツ人のものにして良い、こんなひどい法律がまかり通っていたのです。こうしてユダヤ人から合法で略奪した金品は国の財源に充てる一方、格安で競売にかけドイツ国民に分配されたのです。収容所送りとなったユダヤ人一家の家財道具を大勢のドイツ人が競り落としたのです。ドイツ人たちは持ち主が収容所送りになって2度と戻ってこないとわかっているからこそ、安心して買えたのですね。

こうした国を挙げたナチスのユダヤ人迫害にドイツ人たちは見てみぬふりをしていたのです。それどころか、勝ち組だったユダヤ人たちが落ちぶれていくのをみて内心「ザマアミロ」って思ったのですね。それは戦時中の日本も同じ。戦時中は華族の息子や勝ち組たちが徴兵で危険な戦地にいかされたり、空襲で立派な家や会社が燃えたり、そんな状況を見て負け組たちは内心「ザマアミロ」と思ったとか。

そして、ドイツ人たちのユダヤ人に対する不満は頂点に達します。それが水晶の夜。11月9日にドイツ全土のユダヤ人街やシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)をナチ突撃隊が襲撃したり、放火をしたのです。発端は1938年11月7日。フランスのパリでユダヤ人青年によるドイツ大使館職員が銃撃されるという事件が起こったのです。それからシナゴーグが焼かれたり、ユダヤ人街襲撃が始まったのです。ユダヤ人の商店の窓は叩き割られ、ドイツ人がユダヤ人女性の髪の毛をつかんで路上を引きずり回していたと言います。その様子を警察は見てみぬふりをするばかり。シナゴーグが燃えても、消防隊は火を消そうとしなかったと言います。さらに突撃隊だけでなくドイツ人の一般市民まで暴動に加わり、ユダヤ人に暴力を行ったり、ユダヤ人商店の商品の略奪をしたそうです。

ナチスの宣伝大臣のゲッペルスは、それを止めるどころか「各地の反ユダヤデモで商店が破壊され、シナゴーグが焼かれている。しかし、この行動はあくまで自然発生的なので抑える必要はない」という有様。このような暴動を国がお墨付きを与えたようなものです。確かにゲッペルスは直接暴動を起こせと命じておりませんが、ひどい話です。しかも、ゲッペルスは、こうした暴動はドイツ人国民が勝手にやったこと、ナチスは、そんなの関係ねえって態度でした。

この水晶の夜事件で、放火されたシナゴーグは1400棟。破壊されたユダヤ人商店は7500軒、負傷者多数、死者百人以上。さらにひどい話で、この事件はユダヤ人が悪いということで、ユダヤ人3万人が逮捕されたと言います。頭を丸刈りにされ強制労働をするか、財産を放棄して国外退去をするかの選択を迫られたと言います。

それからユダヤ人は強制収容所に入れられ、毒ガスで殺されたり、いわゆるホロコーストが始まるのですが、その辺のお話はまた別の機会に。

なお、ユダヤ人が失職したことで、ユダヤ人が持っていたポスト、例えば弁護士、銀行の役員、医師などの欠員をドイツ人が埋めることができたかといえば、そうとは言えなかったのですね。弁護士や医師はそりゃ勉強しなきゃなれないし、難しい国家資格も必要です。職場のポストだってドイツ人で埋められたわけじゃない。むしろ、お金儲けがうまかったユダヤ人がいなくなったことで、逆に職場や仕事が減ったようです。ユダヤ人が経営していた商店で働いていたドイツ人も失業しちゃいますし。椅子取りゲームのように誰かを追い出せば自分にチャンスが回ってくると思う人も少なくないと思いますが、現実はそううまくいかないものなのですね。