1 マリアナ海戦
1944年(昭和19)、日本はマリアナ諸島に対するアメリカ軍の攻勢を撃破する「あ号作戦」を発令し、大和ホテル、武蔵御殿と揶揄された大和と武蔵にも活躍の場が与えられます。大和や武蔵が前衛艦隊になり、機動部隊を護衛する役割を果たすことが決められました。

しかし、このマリアナ沖海戦も日本の負け戦。のちにマリアナの七面鳥撃ちと呼ばれたこの戦いで日本機動部隊は約480機の艦載機のうち426機も失ってしまいます。大損害です。ミッドウェーや数々の戦いで優秀なパイロットを失い、マリアナ沖海戦の時には、短期の養成によって投入された飛行隊員が数多くいたそうです。十分な訓練を受けないまま実戦に出すのですから、損害を受けます。

だから、このマリアナ沖海戦で、日本の戦闘機部隊を、戦艦部隊が撃墜するという事件も起こります。敵味方不明の変態が、大和に接近した時、見張りをして居た者が、あせったのです。編隊は味方識別のための翼を振る「バンク」もしない。見張りをしたものも区別ができず困っていたところを、ヤマトではない別の艦が発砲を始めた。数機が落ちていく。その翼をよく見たら日の丸があったのですね。

これや軍法会議ものですね。バンクをしてたら、こんなことにはならなかった。また、敵の艦隊を発見できないほど、日本軍のパイロットの精度が低くなったのですね。

幸い、大和はこの時自分の味方を攻撃しませんでした。大和の乗組員は「ひどい話です。でも大和が撃たなかったのは、せめてもの救いでしたよ」

どんなに性能の良いメカでも、人間の使い方次第ってことでしょう。


ともあれ、マリアナ海戦以降、事実上日本の空母機動部隊は活動停止を余儀なくされるのです。、

2 武蔵が沈んだ
 1944年(昭和19)10月に米上陸隊がフィリピンのレイテ島に上陸。フィリピンまで取られたら、いよいよ日本がやばくなる。海軍も必死になります。これを阻止すべく日本海軍連合艦隊は残る戦力をほど出勤させました。いわゆるレイテ沖海戦です。

戦力が低下し、しかも戦闘機の搭乗員も訓練不足。それで空母機動部隊が「おとり」となってアメリカの艦隊を引きつけ、その合間を縫って大和がレイテ湾に行きアメリカの輸送船団を攻撃するというもの。その空母機動部隊を率いるのが小沢治三郎オザワジサブロウ中将。そして大和の艦隊を率いてレイテ奪還の命を受けたのが栗田健男クリタタケオ中将。


しかし、栗田率いる艦隊の船はどんどん沈められ、武蔵まで沈められてしまいます。武蔵は大和ほどの対空装備がなく被弾。アメリカ軍は武蔵に攻撃の的を絞りました。無数の魚雷と空襲を受けながらも武蔵は耐えました。その強靭ぶりにアメリカ軍も驚いたほど。しかし、その武蔵も力尽きて、24日の午前7時半に沈没。大和の乗組員だった人は、「武蔵がなぜ沈むんだろうか」とか「次は自分達の番だろうか」って不安がったとか。武蔵は大和とほぼ同じ性能でした。その戦艦が沈んでしまうのだから、大和の乗組員たちもショックだったろうし、不吉なものを感じたと思います。

ちなみに武蔵の艦長だった猪口敏平イノグチトシヒラ中将は俳優の六平直政さんのお母様の親戚だそうです。猪口もまた航空機に対する戦艦の無力さを山本五十六同様訴えていました。また、猪口は砲術の第一人者でもありました。射撃の腕は相当だったといいます。しかし、その腕を発揮するような戦況はなく、レイテ沖の海戦にて、武蔵と運命を共にしたのです・・・

3 謎の反転
それで栗田長官は艦隊を退避させたのです。するとアメリカ艦隊は追撃をしなかったといいます。小沢艦隊がおとりになってアメリカ軍を引きつけたからです。小沢は「最後の一発まで撃って打ちまくれ」と命じたとか。自分たちが死んでまでも、おとりの役目を果たそうとしたのです。しかし、その胸中は複雑でした。戦闘機のパイロットたちは訓練を終えたばかりの若者たち。彼らの命を犠牲にしなくてはならないから。小沢は帽子を取って、飛び立つ若者たちを見送ったといいます。


そんな中、小沢は大和に電報を打ちます。「敵機動部隊ハ北ニ誘致シタ 本隊ヲ攻撃中ナリ」と。しかし当時の通信環境は非常に悪く、小沢の作戦成功の電報はなんと栗田の元に届いていなかったのです。大和はその時周りの状況がわからない状況だったのです。それで突然、栗田は反転を命じ、艦隊は北方へと進路を変え帰投したのです。作戦は成功していたのになぜ?

栗田のこの行動は「謎の反転」とされ今も議論の的となっていたのです。結局、大和は小沢艦隊の犠牲にも関わらず、そのまま引き返してしまったのです。こうしてレイテ沖海戦は幕を閉じたのです。本来なら栗田艦隊はレイテ湾に突入すべきだったのですが、それをしなかったのです。あえて、栗田は大和の乗組員を守るために突入しなかったという見方もできます。確かにレイテ湾に突入するということは特攻と同じで、下手すりゃ乗組員がみな死んでしまいます。

レイテ沖海戦を経験した大和の生還者たちに「引き返したことをどう思うか」と尋ねたら、「あのまま突っ込んでいたら、全滅していた。引き返したのは正解だった」という意見が大半だったといいます。

あと敵の部隊が突然現れたという電報が急に入って、突撃をやめ反転したという説もあります。しかし、その敵の部隊は結局いなかったので、謎の反転の真相は未だ謎のままです。

* 参考にしたもの
徹底図解 戦艦大和のしくみ (徹底図解シリーズ)
市ヶ谷ハジメ
新星出版社
2012-07-19














また、この記事は、BS・TBSの「THE 歴史列伝」やNHK のDVD「巨大戦艦 大和 〜乗組員たちが見つめた生と死〜」を参考にして書きました。