綱吉のニックネームは犬公方ですが、もう一つニックネームがあります。それは「ナマズを呼ぶ男」。ナマズとは魚のナマズのことではありません。地震ナマズのこと。綱吉の時代は天変地異が多かったのです。

まずは、1703年12月31日の大晦日、深夜2時ごろのこと。江戸ですごい大地震が起きました。マグニチュードは8.1。いわゆる元禄地震です。

津波(房総半島や熱海、鎌倉などで)や液化現象(平塚と品川にて)、江戸の町も火災の被害もあったそうです。また、小田原城もこの元禄地震で崩壊したというから恐ろしい。江戸は比較的被害は小さかったようですが、小田原領内の倒壊家屋トウカイカオク家屋約8,000戸、死者約2,300名だったそうです。

夜中にいきなり地震がきたらびっくりしますよね。昼間の地震も怖いけれど、みんなが寝ている時に地震が来たらもっと怖いです。ちなみに、この地震が起きた1703年は「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助以下46人の志士達の切腹を命じた年でもあります(この年の三月)。だから、この元禄江戸大地震は「死んだ赤穂浪士達のたたりじゃないか?」と江戸っ子達はウワサをしたとか。


元禄地震の4年後の1707年の10月28日に、東海・南海・東南海の3つの地域で、同時に3つの大地震が起きました。宝永地震です。マグニチュードは8.4ないし8.7と推定されています。これだけの地域で地震が起こったのだから被害は酷かっただったと思われてます。

それからこの年の12月には富士山が噴火しました。それで綱吉が生類憐みの令とか悪政を敷いたからと当時の江戸っ子は思ったかもしれません。昔は災害が多く起こるのは為政者が悪い政治を行い、天が怒っているからだと信じられていたから。

ごく最近になって生類憐みの令も、動物だけでなく弱者救済をした法令だと再評価されておりますが、昔は悪法だと言われていたのですよ。僕が中学のときだって、生類憐れみの令が治安維持法と並ぶ悪法だと学校で教えられたくらいだから、江戸時代を生きる庶民にとっては迷惑な話だったでしょう。

いくら綱吉が弱者救済したとかいっても、マスメディアやSNSもない時代です。綱吉の良い話など庶民になかなか伝わらず、悪い話ばかりがどんどん伝わるのです。昔から悪事千里を走るというくらい、悪いウワサや評判の方が広がりやすいのです。うなぎもダメ、魚もとってはダメだから商売もできないし、中野に犬小屋を作ったために莫大バクダイな維持費がかかり、その維持費を庶民に払わせようとしたのですから。そりゃ庶民はたまったもんではありません。「忠臣蔵」の話だって庶民があそこまで赤穂浪士たちに喝采かっさいを送ったのは、生類憐れみの令への不満の裏返しかもしれない。

綱吉は、天の怒りというより、将軍になった時期が悪かったのです。大正関東地震以前の相模トラフ巨大地震と考えられており、こうした巨大地震は周期があるようです。綱吉がいたころは日本の地底で大規模な地殻変動チカクヘンドウが起きていたのかもしれません。

http://ehatov1896rekishi.diary.to/archives/784545.html
(こちらの記事では綱吉の生類憐れみの令について触れました)


(小田原城 このお城は昭和に再建したもの)