1 三部会
ルイ16世は貴族の特権にメスを入れようとしたが、貴族たちが反発したというのは前回までのお話でした。それで、貴族たちの怒りを抑えるために、三部会を開きました。三部会は1614年以来ずっと開かれていなかったのでが、ルイ16世は国民の要求に応じて1789年5月5日に開きました。実に100年以上も開かれていなかったのです。三部会とは今の国会です。

フランス全土で議会の代表を選ぶ選挙戦が開かれました。貴族たちが、三部会のテーマは税制問題と貴族たちの特権についてでした。

三部会では第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、そして第三身分(平民)の3つの身分からそれぞれ、議員が選ばれました。議員の数は1200名。そのうち第一身分が約300名、第二身分が約300名、そして第三身分が600人の議員がいました。その第三身分の600人の中に、ミラボーやロベスピエールといった革命の有力者がいました。

単純な多数決だと、第一身分+第二身分の総人数約600人に対して、第三身分が600人ほどだから拮抗しております。しかし、その採決方法が問題がありました。

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(三部会 説明の図)

三部会の採決の仕方について三部会はもめたのです。第三身分は、単純な多数決による議員別採決を主張しました。議員の数だったら第一身分+第二身分の600名、第三身分の600名で同等です。それで第一身分や第二身分にも平民に同情的だったり、貴族の特権に批判的な人もいるので、そういう人たちを味方につければ、第三身分側が有利になります。

しかし、第二身分などの特権身分は身分別採決を主張しました。これは、議員の数でではなく、第三身分が600人いようが、1000人いようが、票の数は一票とカウント。そうなると、第一身分+第二身分で二票、第三身分一票で、身分別採決では第三身分は不利です。これには第三身分の人たちは怒り出します。それからどうなったか。






2 テニスコートの誓い
第三身分は自分たちに協力してくれそうな貴族や聖職者に接触しました。そして1789年6月17日に、第三身分は「国民議会」を称し、三部会から分離独立をしたのです。こうした第三身分の動き。国王であるルイ16世は第一身分も第三身分も仲良くやろうよという立場でしたが、まさにルイ16世に対する裏切りのようなもの。そんなルイ16世は、改修工事を口実にして、第三身分が会合を開いていた部屋を閉鎖せました。そりゃ、ルイ16世にとって、第三身分のやり方は看過できるものではありません。

しかし、それにくじけないのが第三身分の議員たち。6月20日に、第三身分は室内球戯場きゅうぎじょうに集まって、会議を開いたのです。この会議では「我々は憲法制定までは解散しない」とちかいあったそうです。この誓いによって彼らの心は一つに、そして強固になりました。これが「テニスコートの誓い」という出来事です。



テニスコートといいましたが、当時のテニスとは今のテニスとは違います。この時代は「ジュドポーム」とう遊びで、ラケットを使わず手のひらでボールを打ち合うゲームだったそうです。いわば手打ち野球のテニス版といったところでしょうか。


3 抵抗するルイ16世 
その様子をルイ16世はただ黙っていたわけじゃありません。ルイ16世は場合によっては解散もありうることをほめの課しました。そして軍隊を使って弾圧することも考えていたそうです。

しかし、それぐらいのことで第三身分の議員たちは動じませんでした。「われわれは人民の意思にしたがってここにとどまるのだ。われわれをここから動かすことができるのは銃剣のみ」とある議員は叫んだといいます。

結局、ルイ16世は、国民議会を認めざるを得なくなりました。そして7月9日に「憲法制定国民議会」とあらためました。しかし、ルイ16世の胸の内は複雑でした。ルイ16世自身も改革の必要性は認めつつも、先祖代々から受け継がれた王制を守らなくてはならないという、ジレンマにおそわれていたのです。

結局ルイ16世は軍隊の力でねじ伏せようとしたのです。パリには武装した兵士であふれ、王宮は軍隊に囲まれ、パリも物々しい雰囲気になりました。とはいえ、軍隊は市民に銃を向けませんでした。これがポルポトだったら、市民は虐殺ギャクサツでしょう。ルイ16世は穏健な王様ですからね。

しかし、この状況を見た時の財務長官ネッケルは、これらの政策がむしろ市民の暴動を誘発してしまうと感じ、王に軍の撤退を要求します。しかし、ルイ16世はネッケルをクビにします。

このネッケルをクビにしたことが非常にまずかったんですね。ネッケルは改革派で平民にも人気が高かったのです。そのネッケルをクビにするなんて許せんという空気になってきたのです。さらに国王の軍隊がうじゃうじゃパリに集まったことに、民衆たちは「国王軍が我々を殺しに来る」と思ったのでしょうね。いくらルイ16世がその気がなくても、民衆は不安に思いますよね。自衛隊が東京の新宿や、大阪の梅田にゾロゾロ集まったら、何事かと思いますよね。



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(テニスコートの誓いの絵。中央に立って手をあげているのが国民議会議長バイイ。ロベスピエールやミラボーといった革命の有力人物も描かれている)






※ 参考文献