風の盆恋歌 (新潮文庫)
高橋 治
新潮社
1987-08-28



風の盆恋歌
テイチクレコード
2017-08-09



きょうは石川さゆりさんの「風の盆恋歌」。紅白でも二回歌われております。石川さゆりさんの大京曲の一つですが、紅白では「天城越え」や「津軽海峡・冬景色」ほど歌われておりません。この曲はとても情緒があって美しい曲調の歌です。もっと歌われてもいい歌だとおもうのですが。

この曲の舞台は、富山県の八尾。毎年9月1日から3日にかけて行われる「おわら風の盆」というおまつりがモチーフになっております。毎年このお祭りを一目見ようと全国から観光客が八尾に訪れますが、この八尾の「おわら風の盆」が注目されるようになったのは、そんなに昔の話ではないのです。少なくとも昭和30年代のころまでは地元の人たちがひっそりと続けてきた静かなお祭りだったのです。

昭和60年(1985年)に高橋治さんの小説「風の盆恋歌」が出版されました。八尾などを舞台にした大人の恋の物語、というか不倫がテーマのお話です。僕も昔読んだことがあります。おっと、僕は不倫の恋にあこがれてなんかいませんよw

そして平成元年(1989年)に石川さゆりさんの、この曲がヒット。その年には大トリで石川さんは「風の盆恋歌」を歌われました。ちなみに二回目にこの歌が歌われたは平成10年(1988年)でした。
小説と、歌のヒットで「おわら風の盆」は注目されるようになったのです。

それでは、「おわら風の盆」の歴史を語らせていただきます。

「おわら」がいつ始まったのかは、はっきりはわかりません。なにしろ正確な文献がないものですから。「越中婦負郡志」によるおわら節の起源として、元禄15年(1702)3月、加賀藩のお殿様から下された「町建御墨付まちだておすみつき」を取り戻した祝いに、三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされています。

え、「町建御墨付」って何かって?それは、「ここに町をつくっていいですよ」という許可書だそうです。八尾の街をつくったのは米屋少兵衛(こめやしょうべえ)という人物でした。

江戸時代初期の寛永13(1636)年、米屋少兵衛が、加賀藩から町建御墨付を拝領して町をつくったといいます。その町こそ八尾町というわけです。

しかし、元禄15年になって八尾の役人が米屋少兵衛の子孫に町建御墨付の書類を返すように求めました。なぜ、役人が書類を返してほしいといったのか、僕にはわかりません。ともかく、八尾の役人たちにとって、その書類が必要であったことは間違いないでしょう。

少兵衛の子孫は書類を渡そうとしなかったので、役人は一計を案じ、桜の季節に八尾の町衆にお花見をはじめ、どんちゃん騒ぎをしたといいます。そのどさくさにまぎれて米屋の蔵から書類を持ち出させました。無事に書類が戻ったということで、役人はお祝いに「3日間昼夜を問わず、踊ったり歌ってもしてよいぞ」というお触れを出しました。それが、おわら風の盆の始まりだということです。

どんな賑わいもおとがめなしと言うことで、春祭りの三日三晩は三味線、太鼓、尺八など鳴り物もジャンジャン鳴らして派手にやったといいます。風の盆は、三味線と幻想的な胡弓の音色に合わせてしっとりとした踊りをするお祭りなのです。が、江戸の昔は派手にやっていたのですね。

これをきっかけに花見の季節だけでなく孟蘭盆会うらぼんえ(旧暦7月15日)も歌舞音曲で練り廻るようになり、やがて台風の被害がなくなることを祈って風神鎮魂を願う「風の盆」と称する祭りに変化し、9月1日から3日に行うようになったと言われます。






※ 参考サイト

https://www.yatsuo.net/kazenobon/history/index.html

http://www.dydo-matsuri.com/archive/2010/owara/