吉原の遊女と遊ぶのはともかくお金がかかりました。時代によって相場が違うので、いくらくらいかかったか、現代の金額にするといくらくらいになるのか具体的にはよくわかりません。(最高140万円もかかったなんて書かれた資料もありますが。)

また、揚げ代(※1)以外にもいろいろとお金がかかったようです。

なじみになると若い衆(男性の従業員)や、花魁の見習いである新造や禿へ送る祝儀(チップ)、芸者や幇間(男性の芸者)に渡すお金、酒や肴代、茶屋へ払うお金、それからと床花(※2)を渡すことも慣習になっていたようです。

とくに床花が多いほど「粋な客」だと店から喜ばれたといいます。

ちなみに、紀伊国屋文左衛門という豪商は「大門を打った(貸し切りにした)男」と呼ばれた人物で、千両とも二千三百両とも莫大いなお金を吉原で散財したといいます。また、彼は節分のときにマスの豆のなかに小粒金(金貨)をまぜて、豆まきをしたともいわれたほど。



※1 遊郭でなじみ(遊女を呼んで遊ぶ代金
※2 )になったしるしに客が直接遊女に与える祝儀の金。ふつう三会目に与える。

※ 参考文献