吉原の遊女屋の主役は遊女さんです。しかし、遊女屋には男たちもたくさん働いていました。

その筆頭が楼主。遊女さんの世話をする子供(禿はげ)から花魁まで女をすべて売り物にして厳しく当たることから、「忘八ぼうはち」とよばれました。忘八とは、人として守るべき「仁義礼智忠信孝悌じんぎれいちちゅうしんこうてい」の8つの徳目を忘れた人という意味です。ちなみに、仁義礼智忠信孝悌」には一つ一つ意味があります。


「仁」は思いやり、慈しみの心
「儀」は道理、道徳にかなうこと
「礼」は守るべき作法、敬うこと
「智」は物事を正しく判断する力
「忠」は真心、君主に仕える道
「信」はあざむかないこと、誠実
「孝」は父母によく仕えること
「悌」は兄弟の仲がいいこと


つまり、これらの8つの徳を忘れた嫌なやつという意味です。遊女さんたちも借金のかたで遊女屋で働いていたものですから、なおさら楼主にさからえません。

番頭は遊女屋の経理・総務をしきる使用人のトップ。二階(※1)にあがる階段の真正面にある帳場に座り、客の品定めをしながら、使用人にも目を光らせていました。

楼主に雇われていた男の従業員を「若い衆」(「若いもの」)とよばれました。若い衆と言っても10代、20代のお兄ちゃんという意味ではなく、年配の従業員さんのことも含めた男性の従業員という意味です。

若い衆たちは、いくつものパートに分かれて仕事をしていました。


客引きをする役(※2)、部屋を回って行灯の油を補充する役(※3)、柏木を打って時を知らせる役(※4)などなど。

※1 遊女屋はだいたい二階建てで、一階が遊女屋の事務スペースおよび遊女以外の使用人のスペース。二階に遊女さんの生活スペースおよび遊女さんたちと客がもてなしたりHしたりするスペースになっている。

※2 平成の今でもソープランドやキャバクラの入口でみかけます
※3 「油さし」とよばれた。火だけでなく、遊女さんが逃げたり、客と遊女さんが心中をしないかと見張る役もこなしていました。
※4 江戸の昔は時計がなかったですから

※ おまけ

昔吉原があったところの動画です。吉原があったところに今はソープランドがいくつも軒を連ねております。ちなみに吉原という地名は現在はなくなっております。






※ 参考文献